第16話 届かない手

 翌朝カイルは寝台の上で、もらった銀貨と銅貨を布の上に並べていた。銀貨1枚と銅貨10枚。昨日、自分の手で稼いだお金だ。眺めていると、不思議と温かい気持ちになる。


 そして、ふとルカの顔が浮かんだ。痩せた頬や継ぎはぎだらけの服、串を受け取ったときに見せたあの目が、今も忘れられずにいた。カイルはお金をぎゅっと握った。


「ヴァンさん」


向かいで剣の手入れをしていたヴァンが顔を上げた。


「あの子に……ルカに、少し分けてあげたいんです。これだけあれば、しばらくお腹を空かせずに済むかもしれない」


 ヴァンはしばらくカイルを見ていたが、やがて手元の剣に視線を戻して低く言った。


「好きにしな」


「……はい」


「だが、覚えとけ。お前が思ってるほど、思ったようにいかねぇこともある」


 その言葉の意味が、カイルにはまだよく分からなかった。


◇ ◇ ◇


 ルカは、すぐに見つかった。前と同じ広場のすみ、木箱の影で膝をかかえて座っていた。カイルが近づくと、ルカははっと顔を上げた。


「……カイル」


「やあ。元気だった?」


 ルカは小さくうなずいた。けれど、その頬には新しい青あざがあった。カイルの胸が、ちくりと痛んだ。


「これ」


 カイルは通貨を数枚、ルカに差し出した。


「昨日、依頼で稼いだんだ。少しだけど、使って」


 ルカはその手のひらを見つめたが、それからさっと顔色を変えた。


「……だめだ」


「え?」


「だめだよ、こんなの」


 ルカは後ずさった。まるで、お金が恐ろしいもののように。


「お金なんて持ってたら見つかる。あいつらに、そしたら全部とられて……たぶん、もっと殴られる」


 カイルは言葉を失った。


「でも……っ、隠せば」


「隠せないよ。あいつら、誰がお金を持ってるかすぐ気づくんだ。匂いでわかるみたいに」


 ルカは力なく笑った。その笑い方が、カイルにはひどく大人びて見えた。カイルは少し考えてから、屋台を指さして、


「じゃあ、いっしょに食べよう。今ここで食べちゃえば、とられないよ」


 ルカは少しためらってから、小さくうなずいた。


◇ ◇ ◇


 屋台で串焼きとパンを買って、ふたりで広場の隅に座って食べた。ルカははじめおそるおそる、それからは夢中でかぶりついた。よほど空腹だったのだろう。カイルは、それを見ているだけで少し救われる気がした。


「うまい?」


「……うん。すごく」


 ルカがはじめて笑った。あざのある顔で、それでも子どもらしく。このときだけは、世界が優しい気がした。けれど、その時間は長くは続かなかった。


「よお。楽しそうじゃねえか」


 声がしたほうを振り向くと、3人の少年が立っていた。あの時のあの3人組。先頭には炎の魔法を使った少年。ルカの体がびくりと固まった。少年はルカの手元の串を顎でしゃくった。


「うまそうなもん食ってんな。なあ、俺にもよこせよ」


「……断る」


 カイルはルカの前に出た。


「は?」


 少年の目がすっと細くなった。


「お前、この前のガキか。たしか、ヴァンとかいうおっさんの……今日は、あのおっさんは?」


 カイルは答えなかった。少年はぐるりと辺りを見回して、それからにやりと笑った。


「いねえのか。そりゃあ、ついてねえな。――おい」


 これが合図だった。両脇の二人が一斉に動いた。カイルはルカを背にかばいながら短剣を抜いた。ひとりがこぶしを振り上げて突っ込んでくる。カイルは身を沈めて腕の内側に入り、足を払うと少年が土の上に転がった。


 もうひとりが横から殴りかかる。カイルは半歩退いて、短剣の柄でみぞおちを打った。


「ぐっ……」


「……っ、こいつ、強くなってやがる」


 先頭の少年の手のひらに、ぼっ、と炎が灯った。火の球が飛んできた。カイルは横へ跳んで避けると、火は背後の壁で弾けた。2度、3度、カイルはよく見て避け続けた。


 3人は明らかに戸惑っていた。たかがよそもんのガキが、自分たち3人を相手取っている。


 いける、守れる。そう思った、その時だった。


「――騒がしいな!」


 低い、太い声がした。路地の奥から、ひとりの男がゆっくりと歩いてくる。3人の少年より頭ひとつ大きい。20代ぐらいか、腕も肩も、丸太のように太くて、その目には何の感情もなくただ冷たかった。3人の少年が、さっと道をあけた。


「あ、兄貴……っ」


 兄貴と呼ばれた男は、カイルを上から下まで眺めると、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「ガキが、調子に乗ってんのか」


◇ ◇ ◇


 男が1歩、踏み込んできた。カイルはとっさに短剣を構えたが、男のこぶしはそれごと弾きとばすように振り抜かれた。肩にまともに入った。体が宙に浮いて、地面に背中から叩きつけられる。


「が……っ」


 これは違う。3人の少年とは、重さも、速さも、まるで違った。カイルはなんとか立ち上がろうとしたが、膝が震える。それでも短剣を握りなおして、男の足へ斬りつけた。刃は確かに当たった。けれど浅く、届いていなかった。男は眉ひとつ動かさない。


「……威勢だけは、いっちょ前だな」


 男のこぶしが、ふたたび振りあげられた。


「やめて……っ!」


 ルカが叫んだ。そして、カイルと男の間に身を投げ出した。


「ルカ……っ」


「カイルは関係ない……っ。僕が、悪いんだ。僕が、カイルを呼んだから」


 ルカは男を見上げて、震える声で続けた。


「だから……僕が行くから。カイルには、手を出さないで」


 男はしばらくルカを見おろしていたが、やがてルカの襟首を無造作に掴みあげた。


「最初から、そう言えばいいんだよ」


「ルカ……!」


 カイルは手を伸ばした。けれどその手は届かなかった。肩が燃えるように痛くて、体が動かない。


「お前は、もうこいつにかまうな。次はねえぞ」


 男はそれだけ言うと、ルカを引きずるようにして路地の奥へと消えていった。3人の少年も、そのあとに続く。去り際、《小炎》の少年が、カイルを見てにやりと笑った。


 あとには、カイルだけが残された。土の上に座り込んだまま、伸ばした手の先には、もう誰もいなかった。


◇ ◇ ◇


 どれくらい、そうしていただろう。カイルは痛む体を引きずって、路地の奥へと向かった。ルカを捜さなければ。入りくんだ裏路地を、いくつもいくつも回った。汚れた水たまりや崩れた塀、すえた匂い。陽の差さない、街の裏側だった。


 そして、見つけた。細い路地の、ゴミの山の脇に、ルカは倒れていた。


「ルカ……!」


 カイルは駆け寄った。ルカはひどい有様だった。顔は腫れ上がり、唇は切れ、片目は開かない。服の裾から、あざだらけの腕がのぞいている。


「ルカ、しっかり……っ」


 ルカの、開いたほうの目が、うっすらとカイルを見た。


「……カイル」


 息はあった。生きていた。カイルはほっとして、それから、泣きそうになった。


「ごめん……俺のせいで」


 ルカは腫れた顔で、ほんの少しだけ笑おうとした。


「……言ったろ。ここは、君のいたところとは……違うんだ」


 そのとき、背後で足音がした。


「……ひでえな」


 ヴァンだった。戻りの遅いカイルを捜しに来たのだろう。ルカの姿を見て、その顔がかすかにこわばった。ヴァンはすぐにルカのそばへ膝をついて、傷をあらためはじめた。


「骨は折れてねえ。命にも別状はねえ。だが……ひどくやられたな」


 カイルは、こぶしを握りしめた。


「ヴァンさん。俺、強くなりたい。あの男を倒せるくらい」


 ヴァンは手を動かしながら、低く言った。


「倒して、どうなる」


「え……」


「お前さんがその男を倒したとする。それで、この子は救われるか。この街の裏には、ああいう連中はいくらでもいる。ひとり倒したって、次が来るだけだ」


 カイルは言葉に詰まった。


「世の中ってのは、弱いやつから喰われる。理不尽だが、それが、この世界の決まりだ。お前さんの優しさは間違っちゃいねえ。だが、優しさだけじゃ、この子は守れねえ。それが現実だ!」


 カイルはうつむいた。握りしめたこぶしが、震えていた。


◇ ◇ ◇


 その夜。ヴァンはルカを宿の一室へ運んで、手当てをしてくれた。ルカはひと晩深く眠った。


 カイルはその枕もとで、ずっと起きていた。何でも、うまくいくわけじゃない。優しさは、いつも誰かを救えるわけじゃない。そして、強さがなければ、守りたいものひとつ守れない。


 カイルは自分の手のひらをじっと見つめた。小さくて、まだ何の力もない手。いつか、この手で。きっと、この手で。窓の外には、星のない暗い夜空が広がっていた。


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