2026年6月6日 09:48
一歩目は重く、二歩目は遠いへの応援コメント
「☆☆☆欲しいやつ集まれぇぇぇー!!!」からきました。この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。一読すると、陸上の怪我で走ることを失った青年が、クマの事件をきっかけにもう一度走り出し、「誰かのために走るのも悪くない」と思えるようになる再生の物語として読めます。その読み方は自然だと思います。温かさもあると思います。ただ、読み返していくうちに、この作品はそこだけでは閉じていないような気がしてきました。最初に気になったのは、冒頭のルーティンです。遠矢には走る前の呼吸があります。「スゥーーーーー、ハァ。」かつてはベストタイムにもつながった、自分だけの手続きです。でも、その呼吸の直後に置かれているのは「もう足が自然に走り出そうとはしなかった」という一文で、準備はある、走りは起きない、という状態が、物語の一番最初から置かれます。この始まり方が、後から読むとかなり重く響いてきます。本当に遠矢が走る場面では、逆に、そのルーティンがありません。クマがいる女の子がいる危ないその直前まで、遠矢は「どうせ俺はまともに走れないんだから」と自分に言い聞かせています。走れると思ったわけじゃない。覚悟を決めたわけでもない。「大きなクマが動くのと同時だった」という一文のあとに来る。「──駆け出していた。」走ろうとした、ではない。走ると決めた、でもない。気がついたら、もう走っていた。救出後の「俺も気付いたら走ってました」という言葉も、そこに重なります。自分がなぜ走れたのか、遠矢はその場で説明できていない。走りが、本人の理解より先に出てしまっている。この作品の大事なところは、そこにある気がしました。もうひとつ、似たことが起きます。「誰かのために走るのも悪くない」この言葉は、物語のなかで大きな転換点に見えます。でも、なぜ遠矢がそこでそう思えたのか——その道筋は、はっきりとは書かれていません。きっかけはあると思います。それは但馬さんの二枚の写真です。『五年前、トラックで崩れ落ちる遠矢』『現在、女の子を助けるために走る遠矢』遠矢の中では切れていた時間が、紙面の上で並べられる。しかも但馬さんはあの怪我の日にも現場にいた——遠矢はそれを、この場面で初めて知る。外側から、自分の五年を見せられる。それはかなり大きな出来事だと思います。でも、そこから遠矢の中に何が起きたのかは、はっきり名づけられません。「心のまだ日の当たらないところでそう感じた」この一文が、とても好きです。何かが動いている。でもまだ明るい場所には出てきていない。言葉になる手前の、それより少し奥のほうで、何かに触れている感じです。その状態がそのまま書かれていて、そのあとに「誰かのために走るのも悪くない」と来ます。「走りたい」と言い切らない。「いい」でも「正しい」でもない。「悪くない」という、否定をそっと外すだけの小さな肯定です。まだ確かめきれていないものに、遠矢が仮の名前をつけているような感じがしました。走りが説明なしに体から出てきたように、意味づけもまた、なぜそうなったかの説明なしに言葉として出てきます。「気付いたら走っていた」いつの間にか「悪くない」と言っているこの二つが、どこかで同じ形をしているように思います。走りにも意味づけにも、きれいな橋がかかっていないと感じました。でも、どちらも確かにそこに置かれています。それが不思議で、そして正直なものを感じました。タイトルのことも、そこに関わってくる気がします。「一歩目は重く、二歩目は遠い」作中では新聞記事の見出しとして出てくる言葉です。遠矢自身が名前をつけたのではなく、外側にいた人たちが、写真と記事によって先に形にしてしまいました。遠矢はまだ、自分の中で何が起きたのかを完全には言葉にできていないと思います。その手前で、記事が、見出しが、先回りして彼の走りを名づけた形になります。それが、この作品のタイトルになっていると思います。もうひとつ、怪我の場面に出てくる言葉です。序盤の「そのまま高校の、いや陸上生活のゴールテープを切ることになった」終盤の「人生のゴールには必ずしもテープがあるわけじゃない」このふたつが呼び合っているのも気になりました。かつて遠矢は、望んでいないかたちでゴールテープを切ってしまった。でも人生のゴールには、必ずしもテープがあるわけではない。何も見えないまま、何かが通り過ぎていることもある。終わったと思っていた場所が、別の始まりになっていることもある——その感じが、作品の後半に広がっています。自分では気づけない変化を、外側から名づけられていくのと、少し似ているかもしれません。◇最後に遠矢はもう一度、あの呼吸をします。「スゥーーーーー、ハァ。」冒頭と同じ手続きです。本文はそこで遠矢が走り出したとは書きません。置かれているのは「また走り出すために」という目的だけです。冒頭では、ルーティンがあっても走りは起きなかった終盤でも、ルーティンは戻ってくるでも走りそのものはまだ来ない違うのは、今度はそこに「また走り出すために」という言葉が添えられていることです。準備に、目的が戻っている。それだけが違う感じです。でも、走りはまだ先にあると思います。この作品は、「準備すれば人はもう一度走れる」とは言っていない気がします。走るためのルーティンは何度も出てくるけれど、そのルーティンが走りを生んだことは、文中で一度もない。唯一の走りは、準備の外で起きた。本人の理解よりも先に、体が一歩目を出してしまった。そして、その一歩にどんな意味を与えるのかも、すぐにはつながらない。「誰かのために走るのも悪くない」という言葉はある。でもそれは、完全な答えというより、まだ暗い場所から出てきた小さな肯定のように見えました。回復した、とも言い切れない回復していない、とも言い切れない接続が完全に戻ったわけではない。でも、目的は戻ってきている。「一歩目」は、本人が気づかないうちに出てしまった。「二歩目」は、まだ遠い。それでも遠矢は、もう一度あの呼吸をしている——届かないものを抱えたまま、それでも次の一歩の準備をしてしまう。この作品の奥に残るのは、その静かな姿なのだと思います。
作者からの返信
応援コメント、おすすめレビューも一緒にここでお礼を言わせていただきます。有難う御座います。温かい声援に背中を押されます。無粋なので全部は言いません。嬉しいので本当は一つ一つに返事したいところですが。「心のまだ日の当たらないところでそう感じた」私も好きな一文です。賞に送った時は文字数制限でカットしたところでもあります。ちょっとしつこいか。とも感じたからです。こちらで投稿する際にはでもやっぱり入れたい、いやでもしつこいか。と五回くらい入れては、推敲し、そして消してを繰り返しました。でも応援コメントを読み、入れて良かったと思えました。「ただ一人に一冊の中で一文を届けたい」とは小説を書き始めた時の目標でした。貴方の心を少しでも響かせたならこの短編を書いて良かったです。「走れるまで回復してたんだな」「みたいですね。あの、競技に戻るつもりはないですけど」但馬に聞かれ、遠矢がみたいですね。と他人事みたいに言っています。だから遠矢の中では、まだ走れないのだと私も思います。この短編はまず、何かを始めようとしている人の背中を押してあげたいという想いから書き始めました。タイトルがそれです。何かを始めるのに、初めの一歩目は重い。そこからさらに踏み出す二歩目は遠く、難しいように感じる。書いていない三歩目を踏み出せたなら、それはもう走り出している(始められている)。いや、簡単に背中を押すって言うけどやってる本人は大変だよな。それも好き勝手に言える外野がなんだ。と考えながら書いていたら、遠矢がクジ新聞に入社してきました。読んでくださって有難うございます。
一歩目は重く、二歩目は遠いへの応援コメント
「☆☆☆欲しいやつ集まれぇぇぇー!!!」からきました。
この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。
一読すると、陸上の怪我で走ることを失った青年が、クマの事件をきっかけにもう一度走り出し、「誰かのために走るのも悪くない」と思えるようになる再生の物語として読めます。
その読み方は自然だと思います。温かさもあると思います。
ただ、読み返していくうちに、この作品はそこだけでは閉じていないような気がしてきました。
最初に気になったのは、冒頭のルーティンです。
遠矢には走る前の呼吸があります。
「スゥーーーーー、ハァ。」
かつてはベストタイムにもつながった、自分だけの手続きです。
でも、その呼吸の直後に置かれているのは「もう足が自然に走り出そうとはしなかった」という一文で、準備はある、走りは起きない、という状態が、物語の一番最初から置かれます。
この始まり方が、後から読むとかなり重く響いてきます。
本当に遠矢が走る場面では、逆に、そのルーティンがありません。
クマがいる
女の子がいる
危ない
その直前まで、遠矢は「どうせ俺はまともに走れないんだから」と自分に言い聞かせています。
走れると思ったわけじゃない。
覚悟を決めたわけでもない。
「大きなクマが動くのと同時だった」という一文のあとに来る。
「──駆け出していた。」
走ろうとした、ではない。
走ると決めた、でもない。
気がついたら、もう走っていた。
救出後の「俺も気付いたら走ってました」という言葉も、そこに重なります。
自分がなぜ走れたのか、遠矢はその場で説明できていない。
走りが、本人の理解より先に出てしまっている。
この作品の大事なところは、そこにある気がしました。
もうひとつ、似たことが起きます。
「誰かのために走るのも悪くない」
この言葉は、物語のなかで大きな転換点に見えます。でも、なぜ遠矢がそこでそう思えたのか——その道筋は、はっきりとは書かれていません。
きっかけはあると思います。それは但馬さんの二枚の写真です。
『五年前、トラックで崩れ落ちる遠矢』
『現在、女の子を助けるために走る遠矢』
遠矢の中では切れていた時間が、紙面の上で並べられる。しかも但馬さんはあの怪我の日にも現場にいた——遠矢はそれを、この場面で初めて知る。外側から、自分の五年を見せられる。それはかなり大きな出来事だと思います。
でも、そこから遠矢の中に何が起きたのかは、はっきり名づけられません。
「心のまだ日の当たらないところでそう感じた」
この一文が、とても好きです。
何かが動いている。でもまだ明るい場所には出てきていない。
言葉になる手前の、それより少し奥のほうで、何かに触れている感じです。
その状態がそのまま書かれていて、そのあとに「誰かのために走るのも悪くない」と来ます。
「走りたい」と言い切らない。
「いい」でも「正しい」でもない。
「悪くない」という、否定をそっと外すだけの小さな肯定です。まだ確かめきれていないものに、遠矢が仮の名前をつけているような感じがしました。
走りが説明なしに体から出てきたように、意味づけもまた、なぜそうなったかの説明なしに言葉として出てきます。
「気付いたら走っていた」
いつの間にか「悪くない」と言っている
この二つが、どこかで同じ形をしているように思います。
走りにも意味づけにも、きれいな橋がかかっていないと感じました。でも、どちらも確かにそこに置かれています。
それが不思議で、そして正直なものを感じました。
タイトルのことも、そこに関わってくる気がします。
「一歩目は重く、二歩目は遠い」
作中では新聞記事の見出しとして出てくる言葉です。遠矢自身が名前をつけたのではなく、外側にいた人たちが、写真と記事によって先に形にしてしまいました。遠矢はまだ、自分の中で何が起きたのかを完全には言葉にできていないと思います。その手前で、記事が、見出しが、先回りして彼の走りを名づけた形になります。
それが、この作品のタイトルになっていると思います。
もうひとつ、怪我の場面に出てくる言葉です。
序盤の「そのまま高校の、いや陸上生活のゴールテープを切ることになった」
終盤の「人生のゴールには必ずしもテープがあるわけじゃない」
このふたつが呼び合っているのも気になりました。
かつて遠矢は、望んでいないかたちでゴールテープを切ってしまった。でも人生のゴールには、必ずしもテープがあるわけではない。何も見えないまま、何かが通り過ぎていることもある。終わったと思っていた場所が、別の始まりになっていることもある——その感じが、作品の後半に広がっています。自分では気づけない変化を、外側から名づけられていくのと、少し似ているかもしれません。
◇
最後に遠矢はもう一度、あの呼吸をします。
「スゥーーーーー、ハァ。」
冒頭と同じ手続きです。
本文はそこで遠矢が走り出したとは書きません。
置かれているのは「また走り出すために」という目的だけです。
冒頭では、ルーティンがあっても走りは起きなかった
終盤でも、ルーティンは戻ってくる
でも走りそのものはまだ来ない
違うのは、今度はそこに「また走り出すために」という言葉が添えられていることです。
準備に、目的が戻っている。
それだけが違う感じです。
でも、走りはまだ先にあると思います。
この作品は、「準備すれば人はもう一度走れる」とは言っていない気がします。
走るためのルーティンは何度も出てくるけれど、そのルーティンが走りを生んだことは、文中で一度もない。唯一の走りは、準備の外で起きた。本人の理解よりも先に、体が一歩目を出してしまった。そして、その一歩にどんな意味を与えるのかも、すぐにはつながらない。「誰かのために走るのも悪くない」という言葉はある。でもそれは、完全な答えというより、まだ暗い場所から出てきた小さな肯定のように見えました。
回復した、とも言い切れない
回復していない、とも言い切れない
接続が完全に戻ったわけではない。でも、目的は戻ってきている。
「一歩目」は、本人が気づかないうちに出てしまった。
「二歩目」は、まだ遠い。
それでも遠矢は、もう一度あの呼吸をしている——届かないものを抱えたまま、それでも次の一歩の準備をしてしまう。
この作品の奥に残るのは、その静かな姿なのだと思います。
作者からの返信
応援コメント、おすすめレビューも一緒にここでお礼を言わせていただきます。有難う御座います。温かい声援に背中を押されます。
無粋なので全部は言いません。嬉しいので本当は一つ一つに返事したいところですが。
「心のまだ日の当たらないところでそう感じた」
私も好きな一文です。賞に送った時は文字数制限でカットしたところでもあります。ちょっとしつこいか。とも感じたからです。
こちらで投稿する際にはでもやっぱり入れたい、いやでもしつこいか。と五回くらい入れては、推敲し、そして消してを繰り返しました。
でも応援コメントを読み、入れて良かったと思えました。
「ただ一人に一冊の中で一文を届けたい」とは小説を書き始めた時の目標でした。貴方の心を少しでも響かせたならこの短編を書いて良かったです。
「走れるまで回復してたんだな」
「みたいですね。あの、競技に戻るつもりはないですけど」
但馬に聞かれ、遠矢がみたいですね。と他人事みたいに言っています。
だから遠矢の中では、まだ走れないのだと私も思います。
この短編はまず、何かを始めようとしている人の背中を押してあげたいという想いから書き始めました。タイトルがそれです。
何かを始めるのに、初めの一歩目は重い。そこからさらに踏み出す二歩目は遠く、難しいように感じる。書いていない三歩目を踏み出せたなら、それはもう走り出している(始められている)。
いや、簡単に背中を押すって言うけどやってる本人は大変だよな。それも好き勝手に言える外野がなんだ。と考えながら書いていたら、遠矢がクジ新聞に入社してきました。
読んでくださって有難うございます。