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  • 夢も現実もへの応援コメント

    「短編を読ませて!そしてレビューをつけさせろ!!」からきました。
    この作品の奥で静かに流れているものについて、私なりに考えました。

    最初に読んだとき、この作品は「SNSの承認に頼っている女性の話」か、「完璧でいようとして苦しくなっている人の話」として読み終えました。

    でも読み返すうちに、この作品のいちばん底にある怖さは、そこだけではない気がしてきました。



    藤澤は物語の最初から最後まで、「完璧」という言葉を使い続けます。

    「なぜ完璧に理想になれないのか」と問い、
    「今日も完璧だ」と言い聞かせ、
    「完璧でいることを頑張っている」と自分を支え、
    最後には「完璧なまま」と宣言する。

    ここですこし考えました。

    この「完璧」とは、何なのでしょうか。

    ネイルをする
    マツエクをする
    服を選ぶ
    ダイエットをする

    では、それらがどこまで満たされたら「完璧」なのか
    逆に、どの状態になったら「完璧でなくなった」のか

    その答えは、本文のどこにもはっきり書かれていません。

    つまり「完璧」は、内容がはっきりしない言葉のまま、藤澤の一日を動かし続けているように見えます。



    もう一つ、この「完璧」には奇妙なところがあります。

    藤澤は昼食の場面で、こう言います。

    「完璧でなくなった私を肯定してくれる人はいないし、自分で自分を肯定できるわけがない」

    けれど物語の冒頭では、「今日も完璧だ。そう言い聞かせ」と、自分に向かって語りかけています。

    自分で自分を肯定できるわけがない。
    でも、自分に「完璧だ」と言い聞かせる。

    このずれは、最後の場面でさらに大きくなります。

    動悸がして、視界が乱れて、身体の内側が軋む音まで聞いたあとで、藤澤は「完璧なまま」と宣言する。

    この宣言は、自信の表れではないと思いました。

    むしろ、「自分では自分を肯定できない」と言った人が、それでも何かを置かないと立っていられない場所まで来てしまった。その結果の言葉に見えました。



    この作品では、「液晶の世界」が何度か出てきます。

    朝の場面では、傷んだ髪への不安を打ち消す場所として出てきます。

    「ライトをつけて液晶の世界に入れば同じ」

    現実の髪は傷んでいても、画面の中なら、見え方を整えられる。

    職場の場面では、女優と自分を比べながら、こう出てきます。

    「ライトをつけて液晶の中に飛び込む私とは大違いだった」

    ここでは、藤澤が「自分が美しくいられる場所」を液晶の中にしか見出せていない感じがします。

    最後の場面では、「コメント、いいね。よかった。」のあとに、「完璧なまま」が来ます。

    最初は逃げ込む場所だったものが、途中では自分の存在場所になり、最後には「日常が壊れていない」と確認するための場所になる。

    「液晶の世界」は、物語が進むにつれて、少しずつ役割を変えていくような気がします。



    笠原さんとの昼食の場面は、藤澤の「完璧」がどれほど閉じているかがよく見える場面だと思いました。

    笠原さんは言います。

    「いつも髪も、メイクも、洋服もとても綺麗で素敵だから、ずっと話してみたくて」

    これは、外から届いた、まっすぐな肯定です。

    でも藤澤の中では、すぐに別のものへ変わります。

    「そんなわけがない。笠原さんは内心、私のことを馬鹿にしているに決まっている」

    なぜ、そう変わってしまうのか。

    藤澤には、「完璧でなくなった私を肯定してくれる人はいない」という強い思い込みがあります。

    だから、もし笠原さんの言葉を本当の肯定として受け取ってしまったら、「完璧ではない自分が肯定された」ことになってしまう。

    それは、藤澤を支えているはずの考えを揺るがしてしまう。

    だから、肯定を肯定のまま受け取れない。
    褒められても、やさしくされても、それは「馬鹿にしている」に変換されてしまう。

    外から肯定のようなものが届いても、藤澤の内側では、それをそのまま受け取れない。
    その閉じた感じが、この昼食の場面に強く出ていると思いました。



    その閉じた仕組みが、いちばん激しく揺れるのがバーの場面です。

    藤澤は、スーツにスニーカーを履いた男を見て、「完璧か、不完全か」という物差しで処理しようとします。

    「なんなのスニーカーって。せっかくいいスーツ、それにセンスのいいネクタイ。そんなの服があまりにも可哀想じゃない」

    これは、藤澤の物差しを使った攻撃です。

    相手を「不完全な側」に置くことで、自分がまだ「完璧な側」にいることを確かめようとしているように見えます。

    でも、男の返答は、その物差しの外側から返ってきます。

    「このネクタイ。妻の土産でね。とてもセンスがいいんだよ」

    そしてスニーカーについても、妻によく言われるけれど、楽だからもう革靴には戻れそうもない、と語る。

    スニーカーは、完璧の失敗ではありませんでした。

    妻とのやり取り
    長く続いてきた習慣
    格好よさより楽さを選ぶ身体
    それでもそこに、ちゃんと生活があるということ

    藤澤の「完璧か、不完全か」という判定は、この男には届きません。



    さらに男は、妻について話します。

    自分と同じか、それ以上に働いている妻に、ご飯を一緒に食べようなんて誘えない。
    言えば、彼女はご飯を作ってくれようとする。
    そんな負担を強いることなんてできない。

    言えない。
    でも、気遣っている。
    不器用で、少し遠回りで、それでも確かに生活がある。

    それを聞いて、藤澤は思います。

    「こんなにも生活が滲むのか」

    この一文は、この作品の中でもかなり重要な場所だと思います。

    「生活が滲む」とは、「完璧か、不完全か」という判断よりも手前にあるものが、外見や言葉や沈黙の中に出てしまうことなのだと思いました。

    男のスニーカーも、ネクタイも、バーで一人で飲む時間も、妻に言えないまま抱えている気遣いも、全部そういう「滲み」です。

    藤澤はここで、自分の物差しでは測れない現実を、一度見てしまったのだと思います。



    しかし、その直後です。

    「だめだ。こんなこと、認めてはいけない、頭から追い出せ。意識してしまったら。離れない。」

    藤澤は、見てしまったものを「こんなこと」と呼んで、名前をつけることを拒みます。

    男の生き方のことなのか。
    自分もいつかそうなるという予感なのか。
    完璧でも不完全でもなく、ただ生活として成り立っているものがある、という事実なのか。

    「こんなこと」の中身は、最後まではっきりしません。

    でも、はっきり言ってしまったら、藤澤を支えていた「完璧」という言葉が崩れてしまうのだと思います。

    だから、それは「こんなこと」のまま、言葉にされないと思います。

    けれど、消えたわけではありません。

    動悸がする
    瞼の裏に衛星が飛ぶ
    身体の内側が軋む音が聞こえる

    私はここを、「藤澤が何かを理解した場面」とは読みませんでした。

    むしろ、名前をつけられなかったものが、言葉ではなく身体の側から漏れ出している場面に見えました。

    「こんなこと」として閉じ込めたはずのものが、身体の反応として残ってしまっている。

    その感じが、とても怖いです。



    そして藤澤はバーを出ます。

    外は真っ暗でした。

    そこで藤澤は、あることを後悔します。

    「バーで写真を撮らなかったことを後悔する。自撮り、他撮り、店内の内装、看板、店のSNSのリンク、撮るのも尋ねるのも忘れていた。」

    この後悔は、読み返すとかなり大きいと思いました。

    藤澤にとって、「液晶の世界」に記録することは、自分の日常を保つための行動のひとつです。

    でもバーにいる間、彼女はそれを丸ごと忘れていた。

    写真を撮ることも、店のSNSを確認することも、自分を液晶の中へ戻すことも、できていなかった。

    この「忘れていた」という事実だけで、バーでの時間が藤澤にとってどれほど異質だったかが伝わってきます。

    「こんなこと、認めてはいけない」として追い出そうとしていたあいだ、藤澤は、いつもの液晶の世界への通路を見失っていたと思います。

    その後悔が、バーで起きたことの大きさを、後から示していると思います。



    そして最後、藤澤はスマホを確認します。

    「コメント、いいね。よかった。」

    すぐ後に、こう続きます。

    「私の日常は何一つおかしくなってなんていない。完璧なまま。」

    この「完璧なまま」は、朝の「今日も完璧だ。そう言い聞かせ」と似ています。

    でも、同じではありません。

    朝の「完璧だ」は、傷んだ髪を見て動揺した後の、自分への言い聞かせでした。

    最後の「完璧なまま」は、動悸がして、視界が乱れて、身体の内側が軋む音まで聞いた後の宣言です。

    しかも、その直前にあるのは、「コメント、いいね。よかった。」です。

    バーで見てしまったものを「こんなこと」と呼んで名指さなかったあと、その空いた場所に、液晶の中から返ってきた反応が流れ込む。

    そして、本当は言葉にしなければならなかったものの代わりに、「完璧なまま」という言葉が置かれる。

    私は、この終わり方をそう読みました。



    この作品の「完璧」は、最後まで、何かをはっきり意味しているわけではありません。

    だからこそ怖い印象を受けました。

    中身がないから弱いのではなく、中身がないからこそ、名指せなかったものを入れておく器になってしまう。

    「完璧」はずっと空のままです。

    けれど、その空っぽさによって、バーで見てしまったものを押し込める場所として使われてしまう。

    だから藤澤は最後に、また「完璧なまま」と言えてしまう。



    この作品は、自己欺瞞が成功した話でも、失敗した話でもないと思います。

    藤澤は一度、現実を見てしまいました。
    それを名指すことを拒みました。
    名前のなくなったものの場所に、液晶の反応を通して「完璧なまま」を置きました。

    ここには、大きな悪意も、意図的な嘘もないように思います。

    ただ、名指せなかったものの場所に、代わりの言葉が置かれてしまった。

    そしてそれは、最初から一度も定義されていない「完璧」という言葉の器があったから、可能だったのだと思います。

    読み終えたあとに残る怖さは、そこから来ている気がします。

    「完璧」が何であるかは、最後まで分かりません。

    でも藤澤は、その分からない言葉だけで現実を測り、測れなかった現実を「こんなこと」として名指さずに遠ざけ、最後には液晶の反応を根拠に「完璧なまま」と呼び直す。

    この作品の終点にあるのは、壊れていない日常ではなく、
    名指されなかったものを中に入れたまま、
    それでも静かに回り続けてしまう、空の器なのだと思いました。