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  • この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。

    読み終えてまず残るのは、理沙という人の想いの深さです。
    立ち止まって読み返すと、この作品が本当に描いているのは、そこだけではないと感じました。
    手紙の役割が、物語の途中で変わっていく感じがしました。
    その変化の筋を追ったとき、この作品の芯が見えてきたような気がします。

    最初の手紙は、嘘として始まったものではありません。

    「こんなみじめな俺を、お前に見せたくない」

    修はそう言って、面会を断りました。
    大切な人に、今の自分の姿を見せたくなかった。

    そのかわりに理沙が言う。

    「毎週手紙を書きます」

    手紙は「会えないことの代わり」として生まれています。
    顔を見せられない、そこに行けない、その空白を埋めるものとして置かれた。

    それが刑務所の時間の中で、別の役割を持ちはじめると感じました。

    毎週水曜日に届く手紙
    何度も読み返される手紙
    擦り切れそうになるまで指を滑らせた紙

    その積み重ねの中で、手紙は「理沙が待っている」という事実を確かめさせるものになっていく。
    修を繋ぎ止めていたのは、手紙そのものというより、「理沙が待っている」という事実の方でした。
    手紙は、その事実があることを毎週証明するものとして読まれていた。

    ここで少し立ち止まっておきたいことがあります。

    修が理沙に自分のみじめな姿を見せなかったように、理沙もまた、修にある事実を見せません。

    服役中、理沙は大病を患い、出所の二年前に亡くなってしまうが、友人の南雲さんに頼んでいたのです。

    「亡くなったあとも、手紙だけは続けてほしい」

    だから修が読んでいた手紙の後半は、南雲さんが書いていた。
    理沙の「手紙を届け続けたい」という意志を引き受けながら。

    修が自分のみじめさを隠し、理沙が自分の死を隠した。

    この二つの「見せない」が、作品の中で向き合っています。
    どちらも相手を思ってのことです。
    どちらの隠し方も、相手がその時間を生きることを支える条件になっていたと思います。

    しかし出所の日に、その隠していたことが開かれます。

    門を出た修を待っていたのは、理沙ではなく南雲さんでした。

    理沙は二年前に亡くなっていた
    手紙は南雲さんが書いていた

    そして南雲さんは、理沙が亡くなる直前に書いた最後の手紙を、修に手渡した。

    「出所した日に渡してくださいと預かっていました」

    そこには理沙の言葉がありました。

    「あなたが決めた約束を、私は最後まで守りたかったんです。だから、南雲さんにお願いをしました。」

    「あなたが決めた約束」が何を指すのか、作品は明かしません。
    修が「理由が今なら分かります」と言うとき、その理由の中身も語られない。
    それでも修はそこで、ありがとうございましたと言って、南雲さんと握手します。

    この後の修の言葉が、この作品で重いと感じたところです。

    「あの手紙がなかったら、俺の心は折れていた」

    修がここで認めているのは、「理沙が待っていた」という事実ではありません。
    その事実はもう崩れています。
    南雲さんが書いた手紙だったことも知っている。
    それでも、暗い夜に毎週届き続け、何度も読まれている。
    擦り切れそうになるほど何度も触れられた、あの手紙たちが自分を支えていた。

    事実としては崩れた。
    経験としては消えない。

    その二つが、修の中でそのまま並んでいます。
    どちらかが上書きするのではなく、両方がそのまま残っている。

    そしてなぜそれが成り立つのか、作品は説明しきらない。
    事実を失った後でも、受け取られ続けた手紙がなぜ支えとして残るのか。
    約束とは何だったのか。
    理沙が南雲さんにお願いしたことと、「約束を守ること」がどうつながるのか。
    問いは答えのないまま置かれている。

    それでも修は、その手紙を胸にしまって歩き出す。

    「理沙の好きだった桜を見に行きます」

    桜は、物語の最初にも出てきます。
    修と理沙が花見の帰りに立ち寄ったバーの夜が、すべての始まりです。

    あの桜と、修が今から一人で向かう桜は、同じ言葉でも、まったく違う場所に置かれています。

    「理沙の好きだった桜」

    終盤の桜を、二人で見た桜ではなく、理沙という人を内側に持ちながら修が向かう場所として変えている。
    修が桜に向かうのは、何かが解決したからではないと思います。

    「崩れた事実」
    「取り消せない経験」

    その答えの出ない問いを抱えたまま、次の時間が始まる。
    その最初の一歩として桜が置かれている。

    この作品は、愛が死を超えた話としても、嘘が人を救った話としても読めると思います。
    でも私には、それだけでは言い切れないものが残りました。

    会えないことの代わりとして生まれた手紙が、「待っている」という事実の証拠として読まれる。
    その事実が崩れた後も、受け取られ続けた経験として修の中に残る。
    その転換がなぜ成立するのかは、作品が語らないまま終わります。
    修の前進は、その語られない転換の向こう側に、静かに置かれています。
    私はこの作品をそう受け取りました。

    作者からの返信

    Lina Ictus Fluctusさんコメントありがとうございます。
    丁寧に読み解いていただきありがとうございます。

    書いているときはここまで明確に設計していたわけではなく、
    書き進める中で形になっていった部分が多い作品でした。

    それでも、こうして筋を追いながら受け取ってもらえたことは、
    とてもありがたいです。

    読み方そのものが作品をもう一度成立させてくれているように感じました。形にならない芯のようなものは確かにあったのですが、
    それをはっきり言葉にすることはできませんでした。

    作品も、静かにそれぞれの中へ届いていったのだと思います。