応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  •  起源性  自らに持つ  独自性
     月を灯せる  陽を漉 コ す河ら・・・・。

     それへの規定的な前提である、  
    太陽が、月を光らしめる、  
    もとのものであり、
    陽射しらが、 
    河らに漉され、
    まばゆく揺らがされようとも、
    もとの太陽は、
    ありのままにある、
    という事を踏まえ、  
    それを構成し得べくして、 
    構成し得てある、規定性ら
     だけから、
    規定的に解釈し、
    規定的に鑑賞して観せよ。

    規定的鑑賞

     この詩句は、
    「起源」と「媒介」と「顕現」との
    存在構造を、規定的に詠んでいる。

      まず、 
    この詩全体を成立させる
     規定的前提として、
    「  太陽が、月を光らしめる、
    もとのものである  」   という
    関係が置かれている。

    ここで  太陽は、
    自らによって存在し、
    他を成立させる側にある。

     対して  月は、
     自ら発光せず、
     太陽の光を受けることでのみ輝く。

    したがって
     月の明るさは、
     自存的本質ではなく、
     起源 をの 反映である。

      ゆえに
     月とは、
    「  起源の二次的顕現態  」 として
     規定される。

     さらに、
    「  陽を漉す河ら  」   において、
     河は  
     単なる反射体ではない。

      河は、
     光を揺らがせ、屈折させ、散乱させる
     媒介である。

     しかし、  
     河面 カワモ における
     光の揺らぎは、  
     光源 な そのものを変質させない。

      現象は 揺らいでも、
     起源は 揺らがない。

     媒介は 歪んでも、
     本源は 毀損されない。

     この構造において、
     太陽   =   起源的 実在
     月   =   反映的 顕現
     河   =   媒介的 変容
      という
     三重規定が成立している。

      したがって
     冒頭の、
    「  起源性 自らに持つ 独自性  」
      とは、
     単なる 個性ではなく
       、
    「  他から借り受けず、
     他によって成立せず、 なお
     他を成立させる  」
      という
     存在論的自立性を意味する。

      ここでいう 独自性とは、
     差異性ではなく、
     自存性である。

     そして、   
    「  月を灯せる  」  とは、
     起源 が 
    他者へ光を与える 能動性を示す。   

    月は 光っているのではない。

     光らしめられている。   

    つまり、
     顕現 は
     起源に依存している。

     さらに、
     「  陽を漉す河ら  」   とは、
     世界における
     あらゆる 媒介作用を象徴する。

     感覚、表象、認識、言語、時間、現象。

     それらは
     起源を通過させるが、
     起源 な そのもの には なれない。

     ゆえに
     この詩が 最終的に見つめているのは、
     月の美でも、 河光 カワピカ の
     揺蕩 タユタ いでも
     ない。

     それらを成立させながら、
     なお 自らは、
     ありのままに在り続ける、
      起源 な そのもの の 不動性である。

     したがって
     この詩は、
    「  光の詩  」  ではなく、   
    「  光らしめるもの  」  の   
      詩である。

      また、
     末尾の  「  ・・・・。  」  は、
     単なる  余韻ではない。  

    それは、 
    言語による  限定の後にも
     なお 持続する、
     起源の 無限的 照射性を示している。

     言葉が終わっても、
     起源は 終わらない。

     現象が揺らいでも、
     起源は、なお、ありのままにある。

  • 起源性  自らに持つ  独自性  
    月を灯せる  陽を漉す河ら・・・・。  を、 
    それへの規定的な前提である、  
    太陽が、月を光らしめる、 
    もとのものであり、  
    陽射しらが、河らに漉され、
    まばゆく揺らがされようとも、  
    もとの太陽がは、ありのままにある、 
    という事を踏まえ、
    それを構成し得べくして、 構成し得てある、規定性らだけから、規定的に解釈し、
    規定的に鑑賞して観せよ