評価が欲しい僕の迷いへの応援コメント
Akiさんのエッセイは、時々『わたしの頭の中を覗かれた?』と思うくらい、わかる……! と共感できるものがあります。
それはきっと、ご自身の心を揺れたままに書かれているからなのでしょう。
身を切るように書いているとのこと、とても納得しました。
今回の話も、本当にリアルタイムでわたしが悩んでいたことそのまますぎて、びっくりしました。
わたしの話になってしまって申し訳ないのですが、最新完結作【クオーレに一撃】が、ほぼ丸一日PV0でして。
『自信作なのになぜ?』『営業したほうがいい?』『こだわったタイトルを変える?』
一日中悩みました。
今は少し読んでもらえてますが、PVのつき方が最初と最後だけ、みたいな動きで。
『ちゃんと通して読んで欲しいのに…』と胸を痛めているところです。
でもやっぱり、営業はしたくないし、書きたかったことは曲げたくなくて。
『読まれない』ことより、『自分を偽る』ほうが辛いので、わたしは我慢することにしてます。
たくさんの人に読まれることも嬉しいけれど、『今読んでくれた人への感謝』を大事にしたいなって。
わたしは、本気で読まれたいなら、コンテストに出すのが1番な気がして。
これから少しずつ、コンテストに出せる作品を書いていけたらいいなと思っています。
全ては難しいかもしれませんが、これからも読ませていただきますね。
楽しみにしています!
評価が欲しい僕の迷いへの応援コメント
僭越ながら同じ気持ちです。
私の場合は貴方様のように多くもらってはいませんが、それでも多少、微々たるものでも貰えて、一喜一憂したのを覚えています。
確かに、過去作を読んで貰うために出す。主流、流行に合わせ工夫する。AIを利用し校正、アイデア、形を考えるのはアリだと思います。それを上手く駆使し書きあげたり、評価をもらってる方がいるので…でも自分がやるとそこに“純粋さ、真っ直ぐさみたいなのが無い“と感じてしまいます。
使ってる方々に対してではなく、自分に対してです。
こうやって加工に近い事をして良いのだろうか? 場所を変えたり、加工を悪とは思ってないが、自分がすると素材感的なものを失ってしまうのでは無いだろうか?
そんな誰かに言われた訳でも、指摘された訳でも無いのに常に頭によぎります。
さらにそういう嘘偽りなく、自分そのものを出した結果貰えた評価がある。そうすると「評価がもらえる…ならやっぱありのままの自分を」と考えます。
しかしこれは、評価をもらった頃に比べると邪な気持ちが、悪い意味で“商売”“ビジネス”が加わってる気がして嫌気がさします。
別にそうやってる方を非難している訳では無いです。柔軟かつ、適応する能力に尊敬します。
ただ、自分となると割り切れません。
「そこに以前まであった『ただ書きたい』という熱意があるのか」
「本当に評価を一切気にせず書いていると言い切れるのか」
「気持ちを抱いてもいないのに抱いたふりをして、自己暗示で書いてないか」
こんな気持ちを抱きます。これをNOとは言いません。
しかし少しでも抱いてる自分を受け入れられない、受け入れてるが飲み込めない。
そんなモヤモヤがあります。
ここまで書いてなんですが、「いや、全然違うけど…」「何言ってんの?」だったらすいません。
ただ自分に少し重なる部分があり、共感したので書いています。
そして今の自分は「これもまた私か…」と諦観に近い感情で受け止めています。
いくら否定しても自分は変わらないし、変われない。生まれ変わることもなければ転生もしない。
なら、自分は割り切れも、判断も出来ない。なんなら踏ん切りもつかない上に、相反する思考、感情を抱くしょうもない人間なんだと受け入れるしか無いんだなー。と言い聞かせています。
そんな混沌で善にも悪にもなれない。なんなら何にもなれないかもしれない。ただただ生きることしか出来ない。『人間』なんだと思い生きようと思います。
人間らしく生きてる人間が一番カッコいいじゃないですか!
私はそう思います。
長文失礼致しました。
評価が欲しい僕の迷いへの応援コメント
こんにちは!
あくまで持論なんですが、PVや応援だとどうしても通り過ぎただけ、営業目的という内容も含まれてしまうとは思うので、良い応援コメントやレビューコメントをもらう事に意識を集中してみてはどうでしょうか?
実際、良質なコメントをもらうと嬉しいという内容にも触れられていますよね。
コメントは狙ってもらえるものではないので、結局はPVを増やす、良い作品を書くという話になりますが。
コメントは内容が見えるので、熱いコメント = 評価と考えれば営業かどうかわからないPVや応援に振り回されることもないのでは?
もちろん、PVや評価自体に意味を持たせたいという気持ちはわかりますけどね。
長文失礼しました。
評価が欲しい僕の迷いへの応援コメント
はじめまして、AKiさんのお気持ち少しだけ分かる気がします。
私もキャッチを変えたり、あらすじを工夫したり色々してみても、小説はなかなか読まれないです。😿
どうしても多く読まれ、評価されるのは、気軽に読めて共感しやすいエッセイが中心になりますよね。
でも、そのエッセイをきっかけに興味を持ってくださって、小説にも足を伸ばしてくれる方がいるので、やめられないところがあります。
エッセイを書くのも“営業”と言えば営業なのかもしれませんが、何もしないと本当に読まれないのがカクヨムなので、自主企画もエッセイも、出会いのひとつとして受け止めるのが気が楽かなと思っています。
儀礼的なやり取りが気になる気持ちも分かります。
ただ、そういうご縁はその場限りで自然と流れていくので、あまり重く考えなくていいのかなと感じています。
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はじめまして……では、ないです、多分。
真白様の主催の企画か、三題噺の企画か、どちらかで作品をお見掛けしております。
「これは本当に作品への反応なのか。/それとも、交換されたものなのか。」というところ、すごくわかるなあと思いました。
私もこの一年くらい、企画主さんがコメントを書きに来てくださるような場合を除くと、星もコメントも、どこかで「どうせ交換だよね」と思ってしまい、頭も読みも止まってしまいます。
そう思い始めてから、このカクヨムが少しずつ「読んでもらう場所」というより、「とりあえず作品を置いておく場所」になりつつあります。
もちろん、このエッセイ内にも書かれておられましたが、自主企画そのものが悪いわけではないし、そこから作品を知ってもらえることもあるのだと思います。
ただ、一度「交換」というものを意識してしまうと、反応をもらっても、以前のようにただ素直に喜ぶことが難しくなることがあるんですよね。
だからこそ、「その時々の自分が納得できる場所を、書きながら探していくしかない」というところにも、すごく共感しました。
私もまだ、自分がどこにいたいのか、どういうふうに投稿サイトと付き合っていきたいのか、答えは出ていないのですが……「わかるなあ」と思いながら読ませていただきました。