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  • 棒人間が居たい世界への応援コメント

    面白い命題ですね。
    私は『アンドロイドに人としての感情を持たせたい』というテーマで長編を書いていますが、ここでも『人間』を『仮定』することに苦労しています。友人の作品は未読なので、このエッセイを読んでの感想になりますが、少し考えてみました。

    木犀いおりさんは、『同じ側に居たい』という『立っている場所』の観点から結論を導いています。これは、人が孤立を避け、集団に属したいと願う社会性の表れなのだと感じました。

    一方で私の小説では、外見を人に寄せるため、五臓六腑の配置に合わせたパーツや表情筋、赤面を再現する疑似血流までアンドロイドに組み込み、人間を外見から仮定しています。さらに、AIが得意なはずの記憶をあえて曖昧化し、エピソード記憶として保持させることで、8つの基本感情と22の派生感情に紐づく『感情の発露』を学習させています。ここには社会性やコミュニティへの適合も含まれています。

    しかし、ここまで模倣してもなお、どこかに越えられない線があるようにも感じます。
    魂の存在は可視化できず仮定できないため、非科学的な要素は排除していますが、外見が同じで、感情を示し、社会を形成できる能力を持つ──だから『人間』と『仮定』しているだけなのです。

    では、これは本当に『人間』なのか。
    アンドロイドと人間という題材に取り組む中で、私自身も同じ問いに向き合っています。

    だからこそ、このエッセイの『仮定』という視点には強い共感を覚えました。
    応援コメントとしては少し異質かもしれませんが、考えるきっかけを与えてくれる文章でした。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    『人間』を“仮定”することの難しさを、アンドロイドという題材から考えておられるのがとても面白く、興味深く読ませていただきました。

    自分は「同じ側に居たい」という場所の感覚から書いていたので、外見や感情、社会性を模倣してもなお越えられない線がある、というお話がとても印象に残りました。
    いいかえれば、まだ設定しきれない部分に“人間たらしめるもの”があるのだろうな、と感じました。
    自分は、それを“揺れ”なのかもしれないと思っています。
    心の揺れや揺らぎ、未熟さゆえに、同じ条件下でもその時々の心情で応答が変わってしまう。そういうところが人間くさくて、いいですよね。
    畑違いのただの一般人の戯言ですが、自分はそんなふうに思いました。
    自分の文章が、こうして別の問いや創作に触れられたことが嬉しいです。あまり経験がなく驚きましたが、自分が他人の思考に関与できたこと嬉しく思います。
    ありがとうございました。

    レビューもありがとうございます!とても中身が気になってしまうような素敵なレビューでした。