第十三部 ヤブロノフカ警戒捜索任務 "沈みゆく鼓動"への応援コメント
女性が士官学校入れるなら普通なんだろうけどこの世界では?
懐中時計は軍人は使わないと思う。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ちょっと検証して修整きます。
追記 8月2日
コメントありがとうございます。
鋭い指摘、二つともその通りです。
佐藤和子について
この世界の帝国陸軍において、女性が士官学校を卒業して将校になることは、原則としてあり得ません。
旧日本軍の延長上にあるこの軍隊の組織文化は極めて家父長制的で、佐藤のような女性中尉は「異例中的異例」です。
彼女が存在するのは、あくまで「特務部」という特殊な組織の中だけです。
実際の旧日本軍にも諜報要員養成機関がありましたが、本作の世界線では戦後の冷戦構造の中で諜報活動が肥大化し、「能力のみで抜擢する」という名目で、ごく限られた女性が特務士官として登用される先駆例が生まれた、という設定です。
佐藤はその一人です。
だからこそ、兵士たちの間で「本当に中尉か」「誰の愛人だ」といった下品な噂が飛び交うのは必然で、彼女自身もその視線を完全に承知した上で、あの冷徹さを装っている、ということです。
「昭和デモクラシー」が内地の学生の間で流行っていても、軍隊という組織の中では、まだまだ「女が戦場に来る」ことへの抵抗が根強い。
佐藤の立場は、あくまで「例外」であり、決して「普通」ではありません。
懐中時計について
これは完全に私のミスです。
旧日本軍の高級将校や参謀は確かに懐中時計を使っていましたが、1960年代の現場の少尉が作戦教示の場で懐中時計を取り出すのは不自然ですね。
腕時計に修正します。
田代少尉は神経質で几帳面な男なので、安物の国産腕時計を気にしながら確認する、という描写に変えようと思います。
ご指摘、本当に助かります。
第十一部 "白銀の虚像"への応援コメント
六式ってどこから名前とりましたか?
皇紀、昭和、西暦、設計番号・・・・
イメージは64式、AKM、スプリングフィールドM14・・・・・・
作者からの返信
コメントありがとうございます。
基本は「四式自動小銃」以来の連番です。
太平洋戦争末期に制式化された四式を基に、1950年代にフルオート化を試みた五式が試作されが、極地での作動不良が解決できず頓挫。
その改良引き継ぎ、1960年にようやく完成したのがこの銃、という経緯で「六式」と命名しました。
旧軍の技術本部の慣行に従った開発連番ですので、皇紀でも昭和でもなく、あくまで「四式・五式に続く系譜」としての名前です。
そして、64式や、AKM、M14の比較、めちゃくちゃ嬉しいです。
本作の六式は、旧軍の伝統と、新しい時代の自動火器化の要求の間で生まれた銃なので、M14のような「伝統と革新の狭間の銃」のイメージに近いです。
まぁ、あとビジュアルイメージも近い感じです。
AKMのような徹底した実戦本位ではなく、帝国陸軍特有の「型」へのこだわりが、設計に微妙な影を落としている、という設定です。
余談ですが、実は最初は西暦1960年制式=「六十式」の略称、という案も考えていました。
ですが、それは無理あるんちゃう?みたいになって結局こちらに落ち着きました。
気づいてくださって本当に嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。
幕間 "嵐の兆候 下"への応援コメント
事勿れ主義と、独断専行型と、フォーク准将が集まった会議か……やな会議だな。
とはいえ、第三帝国も似たような状況かも。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
いつの時代もやな将校はいるものですね。
ナチの方も大戦に勝った事に自惚れている軍人も多そうですよね。
幕間 "嵐の兆候 下"への応援コメント
景井中佐の役職はただの参謀にした方がリアルです。副参謀長だと少将か大佐で中間管理職ではなくなります。
物証にグリース使うなら弾より銃の機関部の方が良いです。
弾のlotは薬莢ではなく、箱や包み紙に記載されます。
ドイツとゲルマニアの表現ゆれがあります。
モーゼルはフランス語訛りでドイツ語だとマウザー。
日本陸軍でモーゼルって言ってる人は時代遅れイメージです。
作者からの返信
ご指摘、ありがとうございます。
少し修整を加えようと思います。
第十部 "別れと始まり"への応援コメント
軍の辞令は階級が上から順に読み上げてくので霧島が先の方が良い。
歩兵第三連隊は、東京の第一師団に所属する名門連隊。連隊が新設されると番号が増えていく。大戦初期編成だと300番台、末期や戦後だと500番台ぐらいにすると海外で編成された急造部隊っぽくなる。
作者からの返信
ご指摘ありがとうございます。
師団に対するというご指摘、まさにその通りでした。
整理し直した結果、以下の設定に落ち着きました。
第13師団
実際の歴史では計画のみで解体された番号ですが、この世界線では大戦後の極東方面軍再編に伴い、沿海州で新編された師団としました。
基幹となるのは、内地の第2師団(仙台)から分離された歩兵第4連隊。戦後の軍縮で内地の多くの部隊が整理される中、由緒あるこの連隊が沿海州に移駐し、第13師団の核として再編された、という経緯です。
ご指摘ありがとうございました、今後ともよろしくお願いします。
第九部 "錆びた牙を研ぐ"への応援コメント
38式の知名度は捨てがたいけど、戦争に勝って20年なら99式が正解と思う。モシン・ナガンに慣れてるなら38式は精密さより小口径の威力不足を気にしそう。1960年代だと大日本帝国が残っていても軍の民主化はそれなりに進んでいそう。描写は志願制の外人部隊より、徴兵された殖民地兵のイメージが強い
作者からの返信
コメントと、非常に鋭い軍事・歴史考証、誠にありがとうございます。
おっしゃる通り、一九六一年の勝者としての日本軍であれば、訓練では九九式が主流であるのが自然かも知れません。
これは、修正すべきと考えます。
また、シベリアでモシン・ナガンを愛用してきたセルゲイにとって、日本の小銃を持った時に感じる最初の違和感は、精密さより威力の物足りなさであるべき、というご指摘には深く首を縦に振るばかりです。
元少年兵としての彼の五感を描くために、この「口径に対する不満と違和感」は今後の描写に反映・修正しようと思います。
また、一九六十年代の軍の近代化が進む中で、なぜ彼らの扱いが「志願兵の割に、前近代的な植民地兵のしごきに近いのか」という点について。
これはmochie様のご指摘の通り、彼らが配属されているのが日本国内(本国内)ではなく、最前線の「関東軍」であるという歪みに起因しています。
本国であれば一九六十年代に相応しいスマートな兵教育が行われているのですが、国境地帯で軍閥や難民と対峙する関東軍にとって、志願してきたロシア人は「スパイやテロリストの残党かもしれない危険因子」です。
そのため、本国よりも遥かに猜疑心が強く、まずは徹底的に精神をへし折って「去勢」するための、過酷な基準の教育が行われている……という、ウラジオストクならではの冷徹な統治システムとして描く意図がありました。
とはいえ、おっしゃる通り「戦前の古い日本軍のステレオタイプ」に偏りすぎていた部分もありますので、今後の描写を修正しようと思います。
今回も作品のリアリティを何倍にも引き上げてくれる素晴らしいご指摘、本当にありがとうございました。
第八部 "関東軍"への応援コメント
セルゲイにありきたりな絶対服従の量産型新兵教育を受けさせるのはもったいない。中野学校や近代的なブートキャンプ的なものに入れた方が特殊任務に使いやすい。量産型新兵教育すなら、松井家の下宿を後回しにして、そこから再教育や特殊任務に入れた方が良い様な気がします。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「中野学校」や「近代的な特殊任務のためのブートキャンプ」という極めて鋭いご指摘、架空戦記としてのリアリティを突き詰める上で、本当にハッとさせられました。
おっしゃる通り、セルゲイのような者に、ただ大声を出すだけの量産型新兵教育を延々と受けさせるのは、物語のテンポとしても、松井の効率的な計画としても不合理に見えますよね。
実は、現実の歴史(特務機関や、白系ロシア人を集めた関東軍の特殊部隊「浅野部隊」など)においても、特殊工作員として選抜される人間であっても、身元確認と「軍人としての基礎的な動作の刷り込み」のために、一度は一般の練兵場で一律の訓練を経るプロセスが存在しました。
(出典は「参考文献」に載せておきます)
そして、今作の日本軍は一九六一年の「近代化された大日本帝国陸軍」です。
次話から、この軍隊が単なる前近代的なシゴキの場ではなく、より近代的に兵士を管理・教育していくかを描写していきます。
その「合理化された軍隊」の中で、自分を隠しながら、最底辺の二等兵として耐え忍ぶセルゲイの姿を描く予定です。
そして、その中での彼の「光る才能」を、軍がどう拾い上げて次へと繋げていくか……。
mochie様が危惧された「もったいなさ」を、解決するためにより一層精進していくつもりです。
ご指摘、本当にありがとうございました。
第六部 "美徳と言う見えざる糸"への応援コメント
松井がチョロすぎる。セルゲイと幸子を二人きりにはしないはず。松井の家なら元ロシア人の使用人が複数いるのが自然。幸子のロシア語・ロシア文化の教師(外部の知り合いにも適任はいる)にセルゲイは選びそうにない。セルゲイの日本語教師は使用人で十分。
後の伏線でも、日常の挨拶や休憩中の短い会話で十分と思う。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
松井の「チョロさ」、そして「元少年兵の主人公と娘を二人きりにすること」そしてその他の展開への鋭い違和感の指摘、大変嬉しく拝読いたしました。
おっしゃる通り、冷徹な関東軍士官であり、何重もの防壁を巡らせるべき大人である松井が、素性も知れない難民の若者を愛娘の近くに置くのは、普通に考えれば「あまりにも不自然で不用心な行為」です。
本来なら使用人や、もっと適任な外部の教師を雇うべきです。
しかし、その「不自然さ(チョロさ)」こそが、まさに松井という男の隠された意図であり、今後の物語における伏線となっております。
私自身、人間の言動一つ一つには必ず意図と目的が伴っていると考えております。
そして一見すると不用心極まりないこの状況の裏にも、先ほど申したように松井は「意図」と「目的」を秘めております。
その意図が暴かれる日を、ぜひ今後の展開で見届けていただければ幸いです。
そして作品の人間関係や統治のリアリティを、ここまで論理的に深く読み解いてくださる読者様と出会えて、作者としてこれほど幸せなことはありません。
身が引き締まる思いです。
今後とも、鋭い視点でのご意見を楽しみにしております。
熱いコメント、本当にありがとうございました!
編集済
第四部 "日本人"への応援コメント
テロリスト、国家の狗、裏切り者、何でもつくれる最高の舞台装置。
追記
セルゲイの生い立ちと経験が合ってない。
農民の子でモスクワ陥落後の生まれ。戦争孤児だと破壊前のモスクワを知る機会。祖国に誇りを持つ理由がない。
高級軍人や旧貴族の子で10歳過ぎるぐらいまで裕福に過ごして教養を身に着けたぐらいでないと知識・思考と経験・経歴が一致しない
作者からの返信
コメントおよび追記、誠にありがとうございます。
まず、「何でもつくれる最高の舞台装置」というお言葉、作者としては褒め言葉として受け取らせていただきました。
ウラジオストクの異様な空気感を感じ取っていただけて本当に嬉しいです。
そして、追記していただいた「セルゲイの生い立ちと、知識・思考の不一致」について。
……痛いところを突かれました。
おっしゃる通り、シベリアの底辺で育っただけの無学な孤児であれば、モスクワの美しさも知らず、国家への誇りやアイデンティティについてここまで深く思考できるのは不自然ですよね。
ご指摘、ごもっともです。
実は、彼がそうした知識や「祖国への誇り」を持っているのには、僕の中でいくつかの裏設定があります。
一つは、モスクワ郊外から逃げてきた両親や、その後には祖父から、幼い頃に絵本代わりに「失われた美しいモスクワ」の話や写真を何度も見聞かされていたこと。
もう一つは、シベリアの軍閥という極限状態の中で、大人たちが「昔のロシアは偉大だった」「枢軸に奪われた」と過去を美化・誇張して語り継ぐのを、彼がずっと聞かされて育ったためです。
持たざる者だからこそ、見えない「過去の栄光の残滓」にすがり、それが彼の中に歪な教養と誇りとして形成されていきました。
……とはいえ、これらが本編の描写から抜け落ちてしまっていたため、mochie様に違和感を抱かせてしまいました。これは私の描写不足であり、大きな反省点です。
この背景(なぜ彼が軍閥育ちなのにそこまでの知性や誇りを持っているのか)については、今後の彼の回想や仲間たちとの会話の中で、自然な形で補足・回収していこうと思います。
作品の矛盾やキャラクターの解像度について、ここまで真剣かつ論理的に読み解いてツッコミを入れてくださる読者様の存在は、本当にありがたいです。
おかげで作品の解像度をさらに一段階上げることができます。
鋭いご指摘、本当にありがとうございました。
引き続きよろしくお願いいたします。
第二部 "鋼鉄の街へ、踏み入れる影"への応援コメント
何故、焼酎でもウオッカでもないのだろうか?シュナップスや工業用アルコールでもない。どこでウイスキーを知ったのか?
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ウイスキー…そうですね。
その所をコメントされるとは思ってもいませんでした。
実は日本のウイスキー(サントリーやニッカ)は戦時中に海軍監督工場として保護され、戦後急速に発展しました。
1950年代〜60年代の日本は「トリスバー」などに代表される空前の安ウイスキー(合成ウイスキーや、アルコールにキャラメルで着色しただけの安物)のブームでした。
これは現実世界での話ですが、この世界でも十分あり得るのではないかとこの設定を裏に入れたのです。
日本国内で余った粗悪なウイスキーがウラジオストクへと流れていったならばあり得ると思います。
しかし、たしかに中央シベリアでこれまでの人生を歩んできたセルゲイがウイスキーを知っているという描写は不自然であり、私自身のミスと感じます。
ご指摘ありがとうございました、少し修整を入れようと思います。
第二部 "鋼鉄の街へ、踏み入れる影"への応援コメント
野暮ったいことを言うようですが、この時代、日本のウイスキーがロシアに入ることは難しいのではないかと考えました。
1962年にニッカウイスキーよりスーパーニッカというお酒が販売されましたが、当時の新卒大学生の月収が15,000円だったのに対し、ボトル一本の値段が3000円であることや、年間1000本しか製造されなかったという背景からも、国外へ輸出されるのが如何に難しいかということを物語っています。
尚この時代に国内で出回っていたウイスキーの大半は、醸造用アルコールにカラメル色素を足して色を付けただけの物が主流だったため、僅かな差はあれど、ウォッカとの味の違いはそうなかったのではないかと推察されます。
ロシアと言えばウオッカですが、実はブランデーで一つ面白い話があります。
アルメニアという国はソ連へブランデーを供給する役割を担っていましたが、1945年のヤルタ会談にて、スターリンがチャーチルへこのアルメニア産のブランデーを振る舞ったという逸話が残っています。
そのときブランデーを大変気に入ったチャーチルは「もっと飲みたいからたくさん送ってくれや」とスターリンに言ったところ、スターリンは毎年400本送ったという逸話です。
ただブランデーは高級品だったため、一般人の口に入ることはほぼ無かったのでしょうが^^;
小説に酒を登場させるとき、何故その酒である必要があったのかということは、物語に大きく影響を与えることだと考えています。
何故なら酒には作られた国の背景や歴史、それにまつわる逸話、飲む人の階級、時代の背景と流れなど、その酒たらしめる様々な要因が込められているからです。
それを理解しないまま登場人物が理由も無く口にしていたりすると、その話は途端に薄っぺらくなりかねない諸刃の剣であると、私は考えています。
わかりやすく例えるなら、西部劇のバーにて、客のテーブルの上に乗っかっていたのが、お味噌汁の入ったお椀だとしたらどうでしょうか。貴族たちが集うパーティで、手にしていたのがタピオカミルクティーだったのなら。なんでやねんと、私ならツッコミを入れたくなると思います(笑)
長々と語ってしまいましたが、お酒は話へ取り込むのが難しい一方、調べてみると面白い歴史が沢山あったりします。
老婆心ながら、そういったところからとっついてみたり、映画やアニメでお酒が登場する作品を見てみるのも勉強になるかもしれませんね。
作者からの返信
コメントありがとうございました。
ご指摘の通り、第二部の酒まわりの描写を根本から見直し、書き直しました。
まず、ご指摘いただいた通り、1961年の極東ロシア・ウラジオストクに「安くて手に入る日本のウイスキー」が存在すること自体が不自然でした。
ニッカウイスキーの値段や流通量を考えると、難民が気軽に飲める代物ではありませんし、色付きの醸造アルコールという点でも、ウォッカとの差別化が機能していませんでした。
そこで、地理的・歴史的に自然な選択として満州の麦焼酎を採用しました。
満州国時代、日本の焼酎製法が持ち込まれ、現地の麦や雑穀を使った焼酎が造られていました。
ウラジオストクは大日本帝国の占領下であり、満州との人的・物的な流れがあったことは想像に難くありません。
つまり、満州産の酒がこの街に流れ着くのは違和感が少ないのです。
また、麦焼酎は「雑多な麦を混ぜて造る安物」と「熟成させた上質なもの」の両極を持ち得るため、同じ「満州の麦焼酎」でも松井とセルゲイの間に明確な階級差を出せると考えました。
セルゲイのグラスには「わずかに白濁した透明な液体」——澱の残る粗悪な雑酒。
松井のグラスには「琥珀色に輝く」熟成酒。
占領下の街における「上級者と被支配者」の構造を、グラスの中の液体の色と透明度で暗示できれば、と思います。
アルメニアのブランデーの逸話、大変興味深く読ませていただきました。
スターリンとチャーチルのやり取り、あまりにも絵になりますね……。
今後「上級者」の社交場に巻き込まれる機会があれば、そういった「酒にまつわる政治と歴史」を織り込んでみたいと思います。
「酒には作られた国の背景や歴史、階級、時代の流れが込められている」この言葉、胸に刻みます。
今後も何か違和感を覚えた際は、遠慮なくツッコミを入れてください。
作品の厚みが増す大きな助けになります。
引き続き、よろしくお願いいたします。