五十枚の論文への応援コメント
これは、矢張り狡い事をしてはダメですよ、という
天の声!それにしても、古墳の呪いが凄過ぎるけど…。
作者からの返信
読んで頂き有難う御座います。これ、中学時代の話しで、僕の論文を写した友人がいて、、僕の字が汚かったために、僕が友人のモノを写したと、教師に決め付けられたという理不尽な話しを書いたんです、、書き直しを命じられて、それに従って、退学はしませんでしたが、そして、友人も良い奴でその書き直しを手伝ってくれて、学食の定食の券を3枚もらいました。なので、彼には恨みは無かったのですが、なぜか、書いているうちに、教師では無く、彼の方に恨みが向いてしまって、、とんでもない話になりました^^;やっぱり、プロットもなく、気分で書いてると、思いつきが先走って、あらぬほうに物語がすすんでしまいますね^^;
五十枚の論文への応援コメント
読み書きそろばんが重要視されて、履歴書を送るのにも一字一字丁寧に書いて…という時代もありましたね。私は字のきれいさに多少自身があるものの、最近だとパソコンで書いてしまいます。今は、字のきれいさ=優秀さに必ずしも繋がらないし、金髪の店員のほうが、むしろデキる人だったりもしますよね。
そういう、外見や筆跡とっぱらって、フラットに勝負(?)できる小説って面白いですね!(をはちさんは字が綺麗か汚いかわからないですけど…)
読後感、怖いけれど、人間の本質ですね。
作者からの返信
読んで頂き有難う御座います。最近は文字を書く機会が減って、簡単な漢字すらも書けなくなってきました、、しかも僕は文字がすごく下手なので、これで文章書いてます。といっても誰も信じないだろう的な状態です。たまに、外出してるときに、ふと面白いアイデアがうかぶと、書きためておくのですが、、そのノートに書かれている文字がすさまじくきたなくて、、数日後に読み返すと自分が何を書いてるのかすら理解できないことが良くあります^^;恐らく、こういった投稿スタイルではなく、原稿用紙に書いて提出するスタイルであったら、僕は文章を書くことはなかっただろうと、断言できます。
五十枚の論文への応援コメント
古墳の呪いなのか、罪悪感なのか分からない後味が怖いですね。
三十五年越しに論文が戻ってくる構成が印象的でした。
作者からの返信
読んで頂き、有難う御座います。人に気付かれようが気付かれまいが、どれほど上手く悪事を隠したとしても、結局いちばんよく見ているのは“自分自身”なんですよね。
当人はそのことに気付かないまま、癖のように悪さを繰り返してしまう。だからこそ、呪いという言葉を向けられたとき、「自分は誰にも恨まれる覚えはない」と言い切れず、胸の奥に思い当たるものが生まれてしまった。
その“思い当たり”こそが呪いであり、彼にとっての不運だったのだと思っています。