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    社会と偏見とピアスと私。への応援コメント

    (追記:思ったよりも長くなりました。すみません。)
     うまく答えられなかった先生たちに代わり、僭越ながら件の理由説明を試みたいと思います。多分もう理解してらっしゃるとは思いますが、その場合は笑ってください。
     なお、私はピアスを開けています。
     結論から言えば、おそらく彼らが危惧していたものは、

    1.所属する学校全体の評判・印象を悪化させる可能性
    2.ピアスを装着する本人の危険性
    3.1.によって同じ学校のほかの生徒も2.のようになる危険性
    (4.保護者層の価値観)

    であると思います。

     ファッション(流行)の本質は、虚無性にあります。この場合のピアスは、流行とは違いますが、装飾の範疇です。装身具に意味があるとすれば、社会性か、実用性か、宗教的な理由によるものでしょう。そのピアスには、だから、本質的な意味はなく、外側だけが本来はあるのです。空虚な概念には、意味の浸透圧が生じます。

     海外に滞在しているときは、ポジティブな社会性の意味があったでしょう。周囲と同じ格好をすること、見た目に共通点を持つことは、うまくやっていくのに大切なことです。
     日本に戻ってきてからもやはり、社会性の意味があります。それは、その社会(人々)がピアスというものを、どのように捉えているのかに依存します。本質的に虚無だからです。本人がピアスをどういうつもりで身につけていようが、いまいが、社会性の意味づけをするのが他者なのには違いありません。本人の意志や自由は、公共の福祉に反する場合に棄却されます。
     今回の場合、「公共の福祉に反する」とは、生徒や学生が危険に巻き込まれる可能性を上げることです。

     極端な例を出します。制服を着崩して派手な化粧をしてコンビニ前で買い食いをしているような高校生と、正しく制服を着用して伝統的に学生らしいとされる髪型で道を歩いている高校生、どちらがより犯罪や巻き込まれやすそうでしょうか。

     そして、前者を見たとき、大人たちは思います。(制服を見て)あそこの高校は、治安が悪いんだろうな、怖いなと。あるいは学校側に通報したりもするかもしれません(私は過去に故意ではなく駅で人とぶつかってしまったとき、相手から即座に学校名を尋ねられたことがあります)。こうなると、学校全体の問題です。自分が制服を着ているときは、その場限りで、他の同じ制服を着ている集団の代表選手となってしまうのです。

     更に目ざとい悪人はこう考えるでしょう。あの高校は反抗的な生徒が多そうだから、悪事に利用しやすそうだ。学校や保護者からも大して目を掛けられていないから、あんな乱れた格好をして、下品なふるまいをしているのだ、と。要するに、子供の外見的な乱れは、そのファッションとしての虚空の向こうに、大人たちがいかにその子供の近くにいないか、いかにその子供を守れていないかを映すバロメータとして機能するのです。誰でも、弱っている獲物を狙います。少なくとも私が高校生を狙う悪漢だったならば、騙しやすそうで、「正しい」生活に嫌気がさしていそうで、そして大人たちがすぐ駆けつけてくれなさそうな子を選びます。
     「高校生のピアス」もこの問題の延長線上というか、少なくとも同じ地平にあると考える大人が一定数いるでしょう。中身を見ない、大多数の大人たちです。

     だからといって私は、あなたのピアスが、そこまでの騒動を直接起こす影響力があったのだ、とは流石に思いません。問題は、このような事態を念頭に置いた上で、教員としてどう振る舞うのが適切かということです。多分大丈夫だけど、万が一火種になったとしたら、コトだ。そう思っていたのではないでしょうか。
     例えば、あなたのピアスが好評で、他の生徒も穴を開け、大流行してしまったら。おそらく地域の人は気づきます。無理解な大人たちは、反抗的な風潮が流行っていると、学校単位の印象で思うかもしれません。自分の子供が無断でピアスを開けて、びっくりする保護者も出てくるかもしれません。どうしてそんなことしたのと問い詰めれば、学校でみんなやってるから。〇〇ちゃんがやっててかわいかったから。そんなことを言ってしまえば、反対する保護者としては、学校に文句を言わざるを得ないでしょう。

     言うまでもなく、組織に所属するとは、そういうどうしようもなく窮屈なところがあります。しかも、責任を負うのは多くの場合生徒学生本人たちではない。でもたぶん、迂遠にピアスをやめるよう促してきた大人たちは、きっとピアスをつけている本人の意志や事情を慮っていたように思います。だから、全部説明するのもはばかられた。なぜなら、その火種は目の前の子供の守り育てあげるべき自我でもあり、それが大火事になることを防ぐのは、普段の(不断の)メンテナンスでどうにかできなくもないからです(私が教員だったら、おそらくすべて説明してしまうでしょう)。

     話を戻します。つまり、教員としても、別にピアスが悪だとか、風紀の乱れの象徴だとか、そういう妄信的な固定観念があったわけではおそらくなくて、「社会の目」のシミュレーション/延焼の可能性/それらへの潜在的な対応コストを考えて、リスクヘッジ的にやんわりとやめるように促したのでしょう。そうなるのも当然です、今のところ何も悪影響を出していないあなたのピアスを、事実に基づいて批判することは、できないのですから。

     私が現状の日本社会のピアス(正確には、高校生のピアス)に対するイメージを代表して代弁することはできませんが、微細ながらも身体の改造を伴うファッションというのは、単に化粧をしたり、派手なアクセサリーをつけることとは一線を画した不可逆性があるというのは、事実でしょう。

     ただまあ、個人的には、信念あらば、それに逆らうのもよいと思っています。盲目的に校則や言いつけを守るよりは、メリットとデメリットを天秤にかけて、自分で考えるほうが大切です。たとえ失敗しても、たかがピアスでかわいいものだし、失敗しなきゃ学べないし。ここで想定されている信念とは、純粋な自己満足のファッションとしてのピアスに風紀の乱れというラベリングをして人格的部分への観察を蔑ろにしてくる大人たちへの抵抗、みたいなことなどです。……そんなこと言っておいて、高校生当時の私は、校則は守っていたんですけれどもね。破る理由がなかったから。

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     一つ、テクスト的に気になったのは、冒頭で小さいころ異国にてピアスを開ける流れとなった理由付けの一つに、みんなが開けていたからというのがありましたが、日本に帰ってきて、おそらく同級生にピアスを開けている人はほとんどいなかったはずで、逆にみんなと違うということに不安は覚えなかったのでしょうか?

    作者からの返信

    戯鳥さん、拙作を読んでくださり、♡、☆、そして丁寧な応援コメントをくださりありがとうございます!
    冒頭で説明してくださった理由については後から理解したつもりでいたのですが、その後の文章を読んでその全てや先生たちの考えていたことまで考えが至っていなかったことに気づかされました。説明をもらえないことに不満ばかり覚えていましたが、先生側の立場に立って考えることに未熟だったようです。
    もう私はピアスをつけてようといまいと特に指摘されることのない年齢になりましたが、未だに世間の目が痛い時もあり社会とは難しいなと感じています。

    最後の、日本に帰ってきて逆に周りと違うことに不安を覚えなかったのか、と言う質問ですが、私もたった今聞かれて気がつきました。確かにその通りです。ちょうど海外に滞在していた年齢によるものかはわかりませんが、当時私の常識が向こうの国にやっていたためむしろ日本のルールに疑問を覚えたものの、不安は感じていなかったようです。あるいは、ピアスを開けることは自分の中の信念を曲げる必要はなかったけれど、ピアスを外すことには納得できなかったのかもしれません。
    当時の心境は、社会の一般的な価値観ではなく私個人を見てほしい、と言うわがままだったのかもしれないとふと思いました。

    ずっと疑問だった問いの答えを丁寧に教えてくださりありがとうございました……!