第6章 すき、だったんだよ。ずっと、ずっと前から。

 ミナトは、配信後の翌日から、目に見えて変わった。


 必要最低限の言葉しか話さず、目を合わせることもなくなった。

 配信台本の打ち合わせはチャットで済まされ、朝食の支度は黙ってキッチンに立っているだけ。

 ユイが何か話しかけても、「うん」「わかった」と短く返されるだけだった。


 それが辛いと気づくのに、時間はかからなかった。


(あの夜、わたし……)


 ミナトのまっすぐな言葉に、なにも返せなかった。

 ただ怯えていた。「営業じゃない感情」を突きつけられたことで、自分がどう振る舞っていいか分からなくなった。


 でも──本当は、もう分かっていた。


(わたしは……ミナトちゃんのこと、)


 夕方。

 リビングでひとり、ぼんやりと冷めた紅茶を眺めていたユイは、ふと立ち上がった。

 ミナトの部屋の前に歩き、ノックをする。返事はない。

 もう一度、少しだけ強めに。


 ──それでも応答はなかった。


 夜になり、配信が始まる時間になっても、ミナトはスタジオに現れなかった。

 代わりにマネージャーから届いたのは、「今日は一人でやってくれ」という連絡だけ。


「……わかった」


 ユイは一人、配信部屋に座る。

 リスナーに向けて、「今日はソロ回です」と穏やかに笑って見せる。

 でも声の奥に滲む不安は、カメラ越しにも隠せなかった。


 コメント欄が、ざわつく。


《ミナトちゃんどうしたの?》

《喧嘩?》

《ゆいちゃん、大丈夫……?》

《なんか、今日のユイちゃん……》

《声、ちょっとだけ、寂しそう》


 配信を終えたユイは、そのままスタジオを飛び出した。

 靴も忘れかける勢いで廊下を駆け、ミナトの部屋のドアを開ける。


「ミナトちゃん!!」


 ミナトは、ベッドの上でイヤホンをしたまま、うずくまっていた。

 その顔は驚きと、少しだけ泣きはらしたあとの赤みが混じっていた。


「……なんで、来たの」


 そう言ったミナトの声は、かすれていた。


「……ごめん、昨日、あんなこと言って」


「……ううん。私が悪かったの」


「悪くなんかない」


 ふたりの言葉が、交差して、止まる。


 静寂。けれど、昨日までとは違う。

 今は、ちゃんと目が合っていた。

 呼吸の音すら聞こえる距離で、視線が絡んでいた。


「ミナトちゃん……」


 ユイは、震える指でベッドの端に腰を下ろす。

 言わなきゃ。ちゃんと伝えなきゃ。今、逃げたら、きっともう二度と──


「わたし、こわかった。

 営業じゃなくなるのが怖くて、

 でも……営業より、ずっと、本当のことの方が怖くて……」


「……でも、言いたい」


「──すき、だったんだよ。ずっと、ずっと前から。」


 ミナトの目が見開かれる。


「あなたがわたしの手を握ってくれた夜も、

 怖がりながらもわたしの料理を美味しいって言ってくれたことも、

 ちゃんと、全部覚えてる。

 嬉しかったの、全部、わたしの中にある」


 涙がこぼれる音がしたのは、どちらからだったか分からない。

 ミナトは、ゆっくりと手を伸ばし、ユイの指先に触れた。


「……嘘じゃない?」


「ちがう。本気で、好き。あなたがミナトちゃんだから。

 配信のキャラじゃなくて、強がって、でも震えてた、あの夜のあなたが──好き」


 ミナトが、ゆっくりと顔を近づける。

 ユイも、目を閉じた。


 唇が重なった。


 それは、カメラも台本も何もない、

 ふたりだけの、本物のキスだった。


 震えはもうなかった。

 代わりに、手のひらのあたたかさと、心の音が重なっていた。


 「……これ、配信じゃないよね?」


 「うん、ぜったいに、配信じゃない」


 「そっか。……じゃあ、やっとだね」


 言葉の余韻が、長く続く夜だった。

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