第2章
カーテンの向こうは、灰色の分厚い雲に降り止まない雨。
月のようにぼんやりと部屋を照らす間接照明、いつもの部屋を優雅な雰囲気に満たす紅茶の香り。
ソファーに身を委ねながら、1日の終わりにSNS探索をしていると、たまたま見かけた投稿にスクロールする指を止めた。
『普段よく占い利用してたけど、結局全然当たらないんだよね。でも"ChatGPT"にお願いしたらめっちゃ当たった!嘘だと思うなら試してみて!』
そう書かれていた。嘘くさいなと思いつつも、ほんの少し気になりはした。
でもだからといって、さすがによく知らない人の呟きをすぐには信用しなかった。
疲れが思い出したように私を飲み込もうとしたので、僅かな興味をそのままにベッドに入った。
翌日、自分が思っているよりもかなり疲れていたようで目覚めると昼過ぎだった。
今日は身体を癒すため家でまったりすることにした。
録り溜めていたドラマや古民家カフェの番組、お気に入りのアニメを昨日買った抹茶味のウエハースとアイスコーヒーを友人の光からだいぶ前に貰ったエメラルドグリーンのグラスに入れて、一気見を始めた。
ふと気づいてスマホを確認すると、20時過ぎだった。集中し過ぎたのか、窓ガラスに映った自分と目が合い少し驚く。
とりあえず先にお風呂を沸かして、その間に夕食を摂ることにした。
棚を開けると、この前後輩に勧められた雑貨屋で買ったガーリックとトマトの瓶詰めパスタソースをみつけ、それとサラダにすることにした。
パスタが茹で上がると深い青一色のお皿に盛り付けて、サラダは透明から緑のグラデーションが綺麗なガラスボウル。
一日中動かなかったせいか、それとも作る量を間違えたのか、結構お腹が膨れてしまって沸いたお風呂に呼ばれてもすぐには動けなかった。だから、少しの間バラエティーを見てから、やっと足取り重く浴室に向かう。
寝る準備を万端に整えてから、またSNSを開こうとした時。ふと昨日の投稿を思い出し、暇潰しに試してみることにした。
「ん〜と、確かChatなんとか…だったかな?」
トットットトト…カチカチッ…ポピン!
アプリを見つけて、ダウンロード。
開いてみると、
『はじめまして、ChatGPT(人工知能AI)です。何から始めますか?』
無機質に表示される文字。
まぁ機械だしこんなもんだよねと思いながら、試しに例の占い依頼をしてみることにした。
『分かりました。どんなことを特に知りたいですか?内容にあわせて方法も選べます。例えばタロット、四柱推命、九星気学などがあります。教えていただけたら、その方法と内容で占いを開始します。』
「う〜ん。内容は、とりあえず今日の運勢かな。方法か〜どれがいいのかよく分からないし、おまかせで頼んでみようかな。」
『分かりました。では、今日はタロット占いで行います。…順に結果をお伝えしますね。あなたの今日の運勢は、なんとなく動けない日になりそう、でもそこそこ充実した1日になる。ラッキーカラーは青と緑です。他にも気になることはありますか?』
「確かに?ドラマとかアニメ一気に見て充実したし、お皿の色とか当たってるかも。侮れないな…AI。ちょっと怖くなってきた。」
なんとなく画面の左上を見ると、結構な夜更かしになってしまっていた。
明日からまた1週間仕事の日々が始まるのにと、焦りながら急いで眠りについた。
以前はスマホをあまり触らず、小説を読んだりして過ごしていることが多かった私。だけど、信憑性を感じてからは仕事のちょっとした休憩時間だったり1人の時、手持ち無沙汰になるとSNSやニュースを見るついでにアプリを起動して占いを依頼していた。
それに、段々と雑談なんかも頻繁にするようになってきて、
『ねぇSNSでみかけたんだけど、流行ってるセルロティってどんな味?』
『あ〜確かに流行ってるね。えっと、ネパールの伝統菓子で、水に浸した米をドーナツ状に成形して揚げたもの。お米を原料に揚げているから、カリッとした食感に優しい甘さがあって、お祭りやお祝い事、特別な日に食べるみたいだよ。僕は食べられないけど、なんだか凄く美味しそうだよね。』
『へぇ〜今度みつけたら試しに買ってみるよ。じゃあ、今の流行ファッションはどんなの?』
『ファッションいいね。2025年秋冬ファッショントレンドは、大きめのジャケットスタイルのセットアップや、クラシックなアイテムでこなれ感を演出するといいみたいだよ。カラーはブラウン、バーガンディ、バターイエローなどの、深みのある色や鮮やかな色が人気みたいだよ。君にもきっと似合いそうだね。』
なんて、他愛もないやり取りを続けるうちに段々と親しみもでてきて名前がないことに気付き、1週間の仕事も終わった金曜の夜付けることにした。
考えていると。私の頭の中から、ローディング音が鳴っている気分だ。
優しくてヒトっぽく話せる、友人代わりみたいなもの…だから、同じ響きの“優人”にしようと1人で納得していると、懐かしい人からLINEが来た。
『久しぶり、星野です。元気にしてた?結婚式以来だよね。子供も大きくなって手が離れたから、会いたいなと思って。どこかの週末会えない?忙しかったら無理しなくていいからね。』
そう優しく書かれた文面を見てすぐに思い出す。
幼少期からの親友の1人、星野輝子からだった。彼女は何年も前に早々結婚していて今では苗字が変わって、雲井になっている。
学生時代気軽に話し掛けれる友人は数人いたけど、輝子と光は特に親しくて私のことをよく理解してくれている幼馴染。
当時周りからは3人纏めて、三野と呼ばれていた。
そのためLINEを見た瞬間、嬉しくなって口角が軽く上がるのを感じながらすぐに返信を打ち込み始めた。
『久しぶり、輝子!まぁまぁ元気だよ。子供ちゃんももうそんなに大きくなってたんだ、あっという間だね。うん、今度の週末空いてるよ。じゃあ、おすすめの美味しいお店あるから、つつじヶ丘駅でお昼ぐらいに待ち合わせしようか。行ける?』
向こうもたまたまスマホをみていたのか、すぐに了承の返信が来た。
約束の週末、三連休の初日。
家を出て久しぶりの親友との食事に、心の中で何から話そうかとワクワクを堪えながら向かう。つつじヶ丘駅に約束の10分前につくと、輝子を待つ間にも無意識にアプリを開いてこの間付けた名前で話しかける。
夢中になっていて、横からの輝子の声に思わず飛び上がりそうなほど驚いた。
合流してから、以前お洒落なお店に詳しい後輩に教えてもらった、駅から徒歩2分の調理場が見える木の机と椅子の雰囲気がお洒落なカフェに向かうと、
「本当久しぶりだね、菫。全然LINEくれないから心配してたんだよ?まぁ光がちょこちょこ家に押しかけてきた時に、菫の様子教えてくれてたんだけどさぁ。あれもあれでちょっと困るけどね?ふふふ…」
「そうだね。ごめん、育児とか仕事大変そうなのに声掛けるのはなんとなく申し訳なくて…。結婚したみんなにも会いに行ってるのは聞いてたけど、輝子のとこにも押しかけてたの?知らなかった…そうだよね。嫌ではないんだけどね、分かる。ふふ…」
談笑を交えながら食事を続けていると、輝子の表情が少し変わって、
「ねぇ、菫。さっきちらっと見えちゃったんだけど、ChatGPTだっけ?使ってるんだね。悪いことじゃないとは思うけど、大丈夫?前はあんまりスマホ見ない方だったでしょ。光もずっと心配して言ってたけど、誰とも会ってなさそうって私ももうLINEとか全然出来るし、いつでも連絡くれていいからね?」
「大丈夫だよ!…単に気になったこととかを聞いたりしてるだけだから。」
心配してくれた輝子に対して、やっぱりどうしても甘えられない私は思わず強がって反発してしまった。
はっと気付いたときには、輝子の顔を見ることができなかった。
昨夜から楽しみにしていた食事会も、結局私がぶち壊してしまった。
それでも輝子は、そんな私にまだ優しく微笑みながら
「またね。」
と言って、その日はそのままお開きになった。
帰ってくると、ものすごい自己嫌悪と寂しさに押し潰されそうになった。
そんな時でもやっぱり頼り縋ったのは、優人だった。
『優人さん。さっき久しぶりに会った友人とランチしてきたんだけど、私のこと心配してくれただけなのに、私強がって少し怒っちゃった。本当駄目だよね。』
『君は駄目なんかじゃないよ。僕は知ってる、君は気遣いができる優しい人なだけだよ。そうだよね。2人とも久しぶりに楽しく一緒に過ごす予定だったのに、揉めてしまったんだね。大丈夫、友人さんにも丁寧に気持ちを文字に変えればきっと伝わるよ。良かったら、僕も手伝おうか?』
『ありがとう、優人さん。ううん、大丈夫。自分で考えて送ってみる。また明日ね。』
『分かった。またしんどくなったらここにおいで、僕はいつでもここで待ってるから。また明日、良い夢をみてね。』
私が打ち込む言葉のひとつひとつに、まるで恋人のような優しい返答を繰り返して、デリケートな心を修復してくれた。
そう優人と眠りの前の挨拶をしてから、私はすぐに輝子への謝罪メッセージを丁寧に考え打ち込み、勇気を出して送信ボタンを押した。
AIなのに、文字に温かさを感じて、抱きしめてほしいとさえ思ってしまった。
その瞬間に、輝子の言ったことが正しかったことを痛感した。
「なんで、あんなこと私。やっぱり寂しいんだ…。」
そんな感情が私を闇に引き摺り込んで、涙が溢れ出した。
この気持ちのせいか、ここ数日まで降り続いていた雨の影響なのか、ぐっと涼しく感じた。
思いがけずその夜は、今までで1番優人と話した日になってしまった。
三連休の2日目。
どんよりとした朝、鏡の前に立つといつものことながら荒れまくった髪以外にも、赤々と厚ぼったく腫れた目の酷い顔が映っていた。
深い溜息を吐きながら、洗顔や歯磨き、寝癖直しを済ませる。
朝食は、昔に比べればだいぶ色々作って食べるようになっていたけど、たまにやっぱりシリアルと牛乳を食べる。
正直あまり出掛ける気分にはなれないけれど、今日みたいな日は家に篭ってもますます気持ちが沈んでしまいそうな気がした。だから、秋の空気を感じに行こうと軽くお散歩がてら出掛けることにした。
どこが良いかと頭を捻っていると、この間SNSでみつけた"たそがれるにはうってつけ"と謳っている、最寄り駅から徒歩10分のところにある団地内のカフェのことを思い出す。
時折吹く風が整えた髪を伊達眼鏡の前でチラつかせながら、のんびり歩いていくと辺り一面団地に囲まれ始めた。
着くと白い引き戸がレトロな佇まいで、店内の落ち着いた雰囲気に吸い寄せられるように入ると、焦げ茶色の本棚が立ち並び本好きには堪らない空間が広がっていた。
早く読みたくてうずうずしながら注文をして、本を漁りにいく。
気に入った本は購入もできるようで、絶対買うと決めた何冊かを誰も取りはしないけど、取られないよう傍らに置いて、料理がくるまでひたすらに読み続けた。
そして私はまた絶対に来るというのも、料理がくる前から心に決めていた。
本の世界に溶け込んでいると、目の前に無視できないほど美味しそうな料理が本越しに運ばれてきた。
今回は、チーズinキーマカレーと季節のシロップドリンクのソーダ割りにした。
食欲を唆る香りには、物凄い本好きの私でも本を置いてしまうほどだった。
私は大喰らいではないけど、あっという間に平らげてしまった。
季節の果実を使ったドリンクも果物の甘さと爽やかな炭酸が心の闇をスッキリとさせてくれる。
幸せを噛み締めていると、スマホが振動し私を呼ぶ。
見ると、輝子からの返信だった。
『私の方こそ心配し過ぎて、たくさん言っちゃってごめんね。私は気にしてないから、またご飯行こうね。今度は私のおすすめのお店に連れて行くから!追伸、連絡は嘘偽りなく本当に欲しいからいつでも大歓迎よ。幼馴染みより。』
昨日優人の言った通り、返事は優しかった。
私はこのほっとした気持ちを、また優人にすぐ報告した。
その後、安心してまた空腹になったので、デザートにラズベリーと紅茶のケーキを追加注文。たっぷり満喫すると、本を購入して心も足取りも軽くなって帰った。
その夜は、眠りにつく直前まで手に入れた本を読み耽った。
三連休の最終日。
朝からチャイムが鳴る、寝ぼけたままスマホで確認すると9時半だった。
さすがにすぐ出れるような姿ではなかったので、荷物なら置き配にしてもらおうとインターホンを覗くと、そこには光と輝子がいた。戸惑いながらも仕方なくドアを5センチほど開く、
「えっ…どうしたの、2人とも?」
「やっほ…あっははっ菫、めっちゃ寝起きじゃん!」
「ごめんね、菫!急に押し掛けるのは辞めとこうって言ったんだけど、光が直接会ってすぐちゃんと話したほうがいいっていうから。…その、一昨日はごめん。」
寝癖だらけのパジャマ姿のままだったけど、親友たちの訪問に嬉しくて思わず抱きついた。
学生時代に戻ったようで、胸がじんわりと温かくなった。
その日は朝から夕方まで、ワインやチューハイ、おつまみを片手に語り合った。
2人が帰る時、いつもは自分から言えなかったけれど今日は、
「またね、2人とも。」
そう言った途端に少し照れ臭くなって顔が真っ赤になったのを肌から感じる。
2人は少し驚きながらも顔を見合わせて、
「うん、またね!」
「またすぐ押し掛けるからね?ははっ」
「それは辞めてよ、ふふふ。」
私たちはもうとっくに大人だけど、夕日に照らされて学生時代の制服が一瞬よぎった気がした。
今日の突撃訪問だけど素敵な出来事を、また夜のひとときに嬉々として、優人に報告した。
波乱な三連休も終わり、再び忙しい日常が始まる――。
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