妖・洋・記~妖術師の俺がヨーロッパで頑張る話~

シルヴィア

第1話ビバ・ヨーロッパ☆

 俺の名は葛城秀次郎。山と田んぼに囲まれた片田舎で、妖術使いとして人々に頼られて生きてきた。祭りのときには一反木綿を呼び出して子供たちを楽しませ、田畑が荒れれば泥田坊を鎮めて穏やかにする。依り代に封じられた妖怪たちは俺の相棒であり、村人にとっては畏れながらも頼りにする存在だ。


 俺自身は決して偉そうに振る舞わない。「妖術があれば十分」そう信じてきた。西洋から流れてくる文明の話も耳にはしたが、別段羨む気持ちもなかった。妖怪と共に生き、村を守る。それこそが俺の務めであり、誇りだったからだ。


 だが、時代は変わりつつあった。遠い西の国――ヨーロッパから、魔導具と呼ばれる道具が運ばれてきているという。火を自在に操り、鉄をも動かすという魔導の技。帝都の学者や役人はそれを「未来の力」だと口を揃える。俺にはそれがどうにも信じがたかった。妖術を差し置いて、そんな異国の品々がこの国を変えるなど――。


 ある日、村にやってきた使者は俺に告げた。「葛城秀次郎殿、帝都に上り、西洋へ渡って妖術と魔導の違いを見極めていただきたい」と。


 俺は胸を張り、「承知しました」と答えた。妖術があれば十分だと証明するために。依り代を携え、相棒の妖怪たちとともに、俺は旅立つ決意を固めたのだった。


 帝都に入った瞬間、俺は目を疑った。

 石畳の大通りに沿って立ち並ぶ建物は、瓦屋根の家々ではなく、まるで巨大な石の塊を積み上げたかのような堂々たる洋風建築。その窓からは、灯火を使わずに光を放つ器具が煌々と輝いていた。


 さらに驚かされたのは、街を走る鉄の馬車だ。馬に曳かせているようでいて、実際には魔導機関が動力を担っているらしい。見物人から聞き出した話によれば、火と風の術式を刻んだ結晶を組み合わせているのだとか。

 「……馬も使わずに、これだけの速度を……」

 俺は思わず立ち止まった。


 肩にかけていた風呂敷の中で、依り代の札が小さく震えた気がした。妖怪たちは、この異様な環境にざわめいているのだろう。

 だが俺は、胸を締めつけられるような感覚を覚えていた。

 ――たかが器具ごときに、人はここまで頼りきるのか。


 田舎で俺が施した妖術は、誰かの怪我を癒したり、迷子を導いたりするためのものだった。人の暮らしを補う術であって、決して主役ではなかった。

 だがここではどうだ。

 光も、乗り物も、商いまでも魔導具に支配されている。


 「くだらん……」

 口を突いて出た言葉は、思った以上に刺々しい響きを持っていた。通りすがりの子供がこちらを振り向き、不思議そうに首を傾げる。俺は慌てて咳払いをして歩を進めた。


 それでも、心の中のざわめきは収まらない。

 妖術で人を助けることが当たり前だった俺にとって、この光景は自尊心を突き崩す刃だった。もしも帝都の連中に言われたらどうだろう――「妖怪より魔導具の方が便利だ」と。

 その一言で、俺のすべては無力に帰してしまうのではないか。


 夕暮れ、宿に戻った俺は畳でも布団でもない硬い寝台に腰を下ろし、深いため息をついた。

 「……ここで俺は、何を証明できるのだろうな」


 帝都で心を揺さぶられた俺は、己を鼓舞するようにして船へと乗り込んだ。

 それは木造の和船とは比べものにならぬ巨体――魔導機関船と呼ばれるものだった。鋼の船体に複雑な魔術式が刻まれ、巨大な羽車が海水をかき分けて進む。人々はそれを当たり前のように受け入れ、歓声を上げていた。


 俺は甲板に立ちながら、ため息を押し殺す。

 「……ここでもまた、妖術は要らぬというのか」


 海の風は冷たく、胸の奥の焦りをさらに鋭くする。妖怪を使役できることに誇りを持っていた俺だが、船が進むたびにその誇りは削り取られていくようだった。

 ――もしかすると、俺の力など、誰の役にも立たないのではないか。


 そんな折、突如として船体が激しく揺れた。甲板のあちこちで悲鳴が上がる。水平線の向こうに、黒い影が立ち上がった。

 「海坊主……!」

 依り代に込めた妖怪の気配がざわめき、背筋に冷気が走る。


 乗員たちは慌てふためき、魔導機関を増力させて逃れようとする。しかし、影は船を嘲るかのように迫り、その巨腕で波を巻き上げた。魔導具では抑えきれぬ恐怖が人々の顔を支配する。


 俺は歯を食いしばり、風呂敷から依り代を取り出した。

 「……来い、一反木綿!」


 白布の妖怪が宙を舞い、海坊主の腕に絡みつく。その隙を逃さず、俺は印を結び、妖術で波を裂いた。轟音とともに海が割れ、船は一瞬だけ進路を取り戻す。

 「いまだ、舵を切れ!」

 怒鳴った声に、船員たちが我に返ったように操舵輪を回す。


 混乱の中、俺はふと視線を感じた。

 甲板の隅に立つ少女――黄金の髪が風に舞い、晴れ渡る海のように澄んだ瞳が俺を射抜いていた。

 彼女は恐怖よりも驚嘆を浮かべ、息を呑んでいた。


 「……見事ですわ」

 小さな声が、荒れ狂う波音の中でもはっきりと届いた。


 その瞬間、俺の胸を覆っていた黒雲が少しだけ晴れた気がした。

 妖術は、まだ誰かの役に立つ。

 その誰かが、今目の前で輝くように見つめている少女であるならば――なおさら。


 数週間にわたる航海を経て、ついにヨーロッパの港町が見えてきた。

 その瞬間、俺は思わず息を呑んだ。


 眼前に広がる街並みは、帝都とはまるで別世界だった。

 石畳の大通りには、蒸気と魔力の混じった煙が立ちのぼり、空を走るような魔導車が次々と行き交う。塔の頂には巨大な歯車仕掛けの時計が据えられ、その動きが街全体を律しているように見えた。


 「……これが、ヨーロッパか」


 胸の奥で小さな誇りが音を立てて崩れ落ちていくのを感じた。

 船の上で妖術を使って人々を助けたあの瞬間、自分は少しだけ誇らしくなっていた。

 だが――この光景を前にすれば、その誇りなど取るに足らぬものだ。


 そんな俺の耳に、澄んだ声が届いた。


 「またお会いしましたね、あの時の方」


 振り返ると、そこにはあの少女がいた。

 黄金の髪は陽光を受けて絹のように輝き、サファイアの瞳がこちらを真っ直ぐに見つめている。


 「あなたのおかげで、私たちは助かりました。妖術……とおっしゃいましたか? 本当に素晴らしい力です」


 彼女の微笑みは、豪奢な街並みにも劣らぬ輝きを放っていた。

 俺は言葉を失い、ただうなずくことしかできなかった。


 ――文明の圧倒的な力の前で、自分の力を過信していたことを恥じた。

 だが同時に、この少女の称賛だけは偽りではないと、心のどこかで確信していた。


 ヨーロッパの大地に足を下ろした俺の物語は、ここから始まる。

 そしてその隣には、エリーゼ・ローゼンベルクという名の少女が立っていた。

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