好きでもないのに付き合ってる

宮吉 龍

付き合ってるふり

第1話 付き合ってるふり

 誰でもよかった、とっさに出てきた名前が矢野やのだっただけ。


 納得してくれそうな断り方は思い浮かばなかったし、出てきても「女同士とかよくわからない」「好きになるとかわからない」否定する言葉しか出てこないし。


 私に告白してきた瀬野せのさんとは、ずっと友達でいたいし、いろんな思い出も作っていきたい。


 だから、その場しのぎで付き合ってる人がいるって、嘘をついて。


 嘘って知られたら、きっとクラスでつまはじきにされて、学校を楽しむどころではなくなると思うから。


 もう仕方ないことだから、嘘をほんとに見せかけるしかないって。


 友達はたくさんいるから、一人が欠けたって平気なはず。

 だから恋人になろうとしつこい瀬野さんなんかに、もうこだわる必要なんてない。

 そう自分に言い聞かせないと、罪悪感で押しつぶされそうだったから。


 嘘をほんとにしなくちゃならない。


 びゅうと、カーテンが揺れて、ひんやりした風が肌を刺激する。

やの

矢野やの詩織しおりさんと、付き合ってるのが本当なら、諦めてくれるんでしょ」


 放課後のあの日から何度も聞いてくる「本当?」の言葉に飽き飽きして、だから時間を作った。

 瀬野さんをふる時間。


 夕日の匂いがする、音楽準備室の端っこで三人。

 今日は音楽部が休みの日で、人目につかない最適な場所。

 穴の開いた吸音の壁から触手が這い出してきそうな感じ、グランドピアノに反射した黄土色の光が少しまぶしかった。


「ほら」


 そう言って、矢野の背中に手を回して抱き寄せる。


「私たち、付き合ってるの」


 目くばせすると矢野はコクンと頷く。


「だから、ごめん、瀬野さん」


 きっぱりと否定の言葉を告げる、最初っからこう言っていれば良かったんだと、思うけど。


 一年生からの付き合いである瀬野さんとの交流が無くなると思えば、少し悲しいけど。たぶんどんな断り方をしても、きっと、こうやって決別すると思う。


 私はモテる方ではないけど何度か告白されて、断って、毎回、関係はそこで終わり。

 もうどうすればいいかわからないから、とっさに嘘をついたし。


 瀬野さんは「高倉たかくらさん、迷惑かけてごめんね」と音楽室から出て行った。

 胸に黒い靄がかかるみたいで、罪悪感。


「ごめん、無理させちゃって」


 矢野を抱き寄せる必要はなかったと思う。


 抱き寄せた体を少し突き飛ばして、腕一個分くらい、空間を空ける。

 その間には矢野の体温が残っている感じがして、気恥ずかしい。

 こんな風に人と触れ合ったことなんてまずないし、なんか申し訳ないし。


「べつに、平気」

「そっか」


 制服をぱたぱたと払って、矢野に視線を向ける。


「でも、言っちゃったものは仕方ないから、どうしよっか」


 矢野はピアノ椅子に座って、ピアノカバーの隙間に手を突っ込んで、レの音を鳴らす。それはドかもしれないし、ラかもしれないけど、レな感じがした。


「恋人のふり、続けないとじゃないの?」


 矢野は手を引っ込めながら、つぶやく。


「そうだよね、どうしよっか」

「高倉さん、恋人がどんなことしてるか、わかる?」

「あんまり、矢野は?」

「漫画とかでならわかるけど」


 恋人、素人。


 付き合うふりをお願いした時は、断ることだけを話し合って、それ以外は何も話していなかった。


 落とし所を見つけるためにも矢野とは話し合わないといけないと思う。


 でも、今は、たぶん無理。


 修学旅行を一緒に回ろうだとか、文化祭一緒に楽しもうだとか色々約束していたわけで、たぶん今日のこれでそんな事できなくなったと思うから。


 行動に移す前までどうでもいいって思ってたのに、いざやってみたら、後悔のもやもやがあるから。


「とりあえず、一緒に帰るとかした方が良いと思う」


 矢野が口を開きながら、窓を閉めるように指を差す。


 何も考えないまま。


 それに従って窓を閉めると風で揺れていたカーテンは動きを止め、夕焼けの光も減っていった。


 並んで廊下を歩きながら階段を降りて、そのまま靴箱へ向かっていく。

 途中で会った友達に話しかけられたり適当な返事をしたり、挨拶だけして会話を終わらせたり。

 静まり返った廊下、体育系の部活から聞こえてくるランニングの掛け声が、やけにうるさく感じる。


「手、つなぐ?」


 隣を歩く矢野が唐突に言うから一瞬、数秒。


「いや、やめとく」

「そ」


 手をつないだりするのは、好きな人同士でやることだし、付き合っているふりをしているとはいえ、やる意味は無いと思った。


「高倉さんって手汗がすごかったりするの?」

「べつにかな、そんな、気にするほどでも無いくらいだと思う」

「そっか」

「うん」


 これ以上何かを話すつもりはないのか、それだけ聞いて矢野は黙り込む。

 何か言いたいことがあれば言えばいいのに。


 校門を抜けて横断歩道に立ち信号を待つ。ちょうど青になったので普通に歩いていく。


「矢野の家ってこっち方面なんだ」


 一年間同じクラスだったけど、今更知った事実。


「高倉さん、もしかして意外と家近い?」

「たぶんそうかも」


 そのまま歩いて、Y字路のところで私たちは立ち止まった。

 ここを右に行って少ししたところが私の住んでるアパートで、左が矢野の家らしい。


「あのさ」

「なに」


 矢野が私の目の前に、顔を覗き込みながら不思議そうに。


「なんで断ったの? 付き合えばよかったじゃん、瀬野さんのこと嫌いなの?」

「べつに嫌いなわけじゃないよ」

「ならどうして」

「知らないよそんなの」


 私自身、よくわかっていないから、そう答えるしかなかった。

 理由なんて聞かれても分からないものは分からないし、嫌いじゃないから付き合うとかもよく分からないし、答えを探そうとも思わないし。


「じゃあ、また明日」


 何がじゃあなのかよく分からないけど、矢野の声に返事しながら、右の道へ進む。

 すっかり暗くなった道で転ばないように、ゆっくりと歩いて行った。

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