第十四話 黒衣の姫は現場へ向かう
「全く……一度に色々起こり過ぎだ」
バンに乗り込み後部座席に腰掛けると、
彼の膝の上に乗っていたシャドが、ひょいと私の膝の上に飛び移る。
すかさずバンが発進して、その場から走り去っていった。
私は、思わず大きく息を吐いて、座席に深々と身をうずめた。
「……寿命が縮まるかと思ったぁ……」
ひとまず翼から逃れられたと悟って、私はシャドを抱いて彼女の頭をなでた。
「それはこっちの台詞だ」
「クロエさん、何があったか聞かせてもらっていい?」
隣の座席で苦りきる凪と、気遣わしげに尋ねるマヤの声。
二人の声を聞いても、まだ胸の内側をどくどくと鼓動が高鳴っている。
ざらついた嫌な手触りが腹の底辺りにしつこくこびりついていた。
それでも──大事なことだ。気を落ち着けて、順序良く話すことにした。
「……私のバイト先の喫茶店に、〈フェザー〉が来た」
「本当に?間違いないのか?」
凪が驚愕の声を上げるのに、私も胸に手を当てながら息を吐く。
「間違いない。……相手は自分から名乗ったし、それに……」
私は膝の上で自分の手を握り締める。
「素顔を見たのは初めてだったけど……間違いなく〈フェザー〉だって分かった」
「そうか……でも、一体、何が目的で接触してきた?一体、どこからお前の素性が漏れた?」
私は「分からない……」と答えかけて、はっとしてある出来事を思い起こす。
「あれだ、先週に……八重樫って名乗る〈AZテック〉の社員だという人から警告された。〈フェザー〉が私を探してるって……」
「……それが本当だったってのか?その八重樫の口から、〈フェザー〉に漏れた?」
凪が隣の座席から身を乗り出すが、すぐに「いや」とかぶりを振る。
「……今は、下手な予断をもたない方がいいな。とにかく、〈フェザー〉はお前の正体を知っている」
「そうだ……よね」
〈フェザー〉の、別れ際の言葉が脳裏に蘇る。
あいつは諦めていない。目的が分からない以上、また私の身近に確実に姿を現す。
また、胸が嫌な脈打ち方を始めた。
私がうつむいていると、バックミラー越しにエイジが落ち着いた眼を向けた。
「その八重樫という男の言葉が真実かどうか分かりません。こちらも上層部はともかく、膨大な数の〈AZテック〉社員の全てを把握しているわけではありませんから……。我々も今回の〈フェザー〉の動きを掴めなかった。よくそれを切り抜けましたね、クロエお嬢」
ハンドルを握りながらそう、極力穏やかに言い含めるエイジ。
その声に、私もようやくシャドをなでながら落ち着いてきた。
それで一つ、思い出した事があった。
「〈フェザー〉は〈AZテック〉の指示で動いているわけじゃ、なさそうだった」
「どういうことです?」
それにはさすがに意表を突かれた様子で、エイジが私に訊き返した。
〈フェザー〉──翼も、はっきりとそう口にしたわけではないけれど、あくまで私は自分自身の獲物で──私という存在に対する執着を、感じた。
一瞬、再びぞくりと背筋に悪寒が走ったけど、私はかぶりを振る。
「すみません……そう感じただけで、確かとは……」
「……いいえ。〈AZテック〉の本社が、クロエお嬢の情報を得ているなら、やはり〈フェザー〉が単身で乗り込んでくるのは、やはり理屈に合わないです」
深く思案する素振りでエイジが、片手で無精ひげの生えた顎を擦る。
「となれば、あくまで〈フェザー〉個人がお嬢を狙っていることになるが……」
「一体何が目的なんだろうな」
(〈フェザー〉の……目的……)
車内に沈黙が落ちるのに、私も考え込んでしまう。
確かに〈フェザー〉個人の目的は〈AZテック〉のそれとは異なる気がする。
あくまで、今回接触した印象ではあるけれど──
〈フェザー〉は、何かもっと、大きな目的の為に──
「……今は、〈フェザー〉が〈AZテック〉の思惑とは別にクロエさんに接触してきたらしい事だけしか、分からないわ。……そしてこちらにとっても、それは不幸中の幸いだということも」
その時、場を取り成すように、マヤが助手席のシートに身を沈めてつぶやく。
彼女の声に、エイジも息を吐きうなずいた。
「確かに……〈フェザー〉自身も〈AZテック〉にお嬢の存在を知られたくないなら、そこに付け入る隙はある。なにより、彼女自身が(AZテック)の目を盗む必要がある以上、その動きは大幅に制限される」
「もちろん、注意する必要はあるが……向こうもそう簡単に接触できるわけではない、という事だな」
凪が大きく息を吐いて、それから改めてスマホを取り出し目を落とした。
「今は、それより先に解決する問題がある」
「そうだ……
私は凪のスマホに映し出される、もう一人の私──〈黒衣姫〉の偽者の姿に、ぐっと拳を握り締める。
ここに来るまでに情報収集を進めていたらしい凪がうなずく。
「……数日前に、司三と現場の下見をしたと言ってたよな、確か」
「うん、そう……。その時は、何も異常はなかったはず……」
一体何が起きたのか、と私が拳を握り締めると、凪がスマホを操作する。
「未確認だが……現場の廃墟だったスタジオに、魔獣の目撃情報まである。それが火事の原因だって情報も……」
「魔獣……」
私が思わずうめくと、凪がうなずき、険しい表情で私を見た。
「……〈
〇
現場に向かっているバンだったが、山道でエイジが車を止めた。
「……まずいですね。非常線が張られている」
その言葉に前方をのぞき込むと、確かに警官の姿が見えて交通整理を行っている。
現場のスタジオはもうすぐそこだ。
でも、野次馬まで集まっていて、とても簡単には近づけそうにない。
目を向けると、
「どうする……?」
凪が車内を見渡した時、私はぐっと覚悟を決めて、マヤを見た。
「『裏側』に原因があるなら……」
「クロエさん?」
「そこから、現場に近づくことは、できませんか?」
〇
現場から少し離れた人気のない山中の道にエイジはバンを停めた。
そして、全員で車を降りて、森の中を少し進んだ。
辺りの気配を窺ったマヤが大きく息を吐く。
「……確かに、この近辺は『裏側』との距離が近づいて、空間の境界が薄くなっているみたい」
人目に付かない木々の間にポイント定めたマヤが、蒼い瞳を細める。
「かなり急激に、短時間で双方の距離が縮まったらしいわ。その為に色々と
「……つまり、どういう事だ?」
凪が問うと、マヤが片側だけ見える瞳に真剣な光を宿した。
「つまり、かなりの短時間で『空間の破れ目』が出来てしまって問題が起きた」
「それで……私が見た時は、なんの異常もなかった……?」
私が尋ねると、マヤも「そういうこと」とうなずく。
「……今から此処に『空間の破れ目』を作るけど……」
と、マヤは虚空を睨んでから、私を振り返った。
「向こうはかなり危険な状況であることも考えられるわ」
「……分かってます。でも、だからこそ、このまま放置はできないです」
エイジと凪から、ヘッドセットとカメラの通信器具を受け取り、私はうなずく。
「やってください」
「分かったわ。クロエさん。……結局は私たちもあなたに任せるより他にないのだけど……」
「十分、気を付けて」と、私の手を握るマヤに、私はもう一度、深くうなずいた。
そうして、マヤは作業着の袖から青い薔薇の蔓を伸ばして空間を押し広げる。
虹色の薄いガラスの膜が張ったような『空間の破れ目』が現れ──
その向こうから、赤黒い『裏側』の景色が見えた。
私は大きく息を吸って、吐いて──
(司三さん……無事でいて……!)
自分の心が揺らぎなく定まるのを感じて、きっと目を見開いた。
地面を蹴って跳び上がり、勢いよく突き出した足の先から『裏側』に飛び込む。
空間を隔てる虹色のガラスのような薄膜を蹴り破る感触が伝わってくる。
それと同時に、私は足の先から魔力の黒装束を顕現させ、それを身に纏いつつ、異空間へと突入する。
勢いよく飛び込んで、反転した視界がぐりんっ、と裏返る。
とっさに目の前にあった木の枝を掴んで、くるりと身を翻して飛び乗った。
「……ふう、この瞬間だけは何回やっても慣れないな」
息を吐きつつ、それでもすぐに気を取り直して周囲の様子を窺う。
『表側』の位置関係を思い出して、スタジオのある方角を振り返った。
「……っ!やっば……!」
そこにあった光景は、想像以上に緊迫していた。
「〈竜〉たちの……群れが……」
〈
ここから見るだけでも、種も様々な〈竜〉の群れが殺到している。
現実の、あのスタジオである建物に──。
──そこにある、『表側』へと続く『空間の破れ目』をめがけて。
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