第8話

 その日も17時きっかりに退社した。追い出し部屋の住人たちはいつも会社から散っている。

 方向は違えど一様にさびしい背中が夕陽を浴びるのを見ながら、まさか毎日まっすぐ帰るわけでもないだろう、と思った。早すぎる。  

 家族に打ち明け済みの人はそれでもいいかもしれないが、私のような身の者はたまには飲んで帰らないと怪しまれてしまう。  

 汗もかいたし、少しやるかな。さびしい財布の中身を確認してから歩き出した。   





 千円でベロベロに酔えることから通称千ベロと呼ばれる安い立ち飲み屋を三軒ほどハシゴしたらほどよく酔いが回った。  

 冷たい風にあたりながら呑み屋小路を出てさらに歩いた。ブルッとなって薄手のトレンチコートの襟を立てた。  

 過ぎゆく若い人たちがものすごく若い人に見えた。同年代の人もとても若く見える。私以外みんな若く見えた。フラフラした。もう冬は近い。まだ早すぎるクリスマスイルミネーション。みんなスマホで今を切り抜くようにあちこち撮りまくっている。星のない夜空──だから、星がないのかな。  

 少し静かめな人の流れのある公園通りへ。ここはあまり会社の人には会わない。強めに剪定されたプラタナス並木が湯の風物詩的に並んでいる。

 ヨーロッパタイプのおしゃれな街路灯が集まるあたりにさしかかったとき、路上ミュージシャンの歌声が聴こえてきた。  

 聴衆はちらほら。スポットライトのように照らされ、小さな折り畳みイスに座って脚を組み、抱えたギターをかき鳴らしながら歌っている。ジーパン、革ジャン。そんなに若い人ではない。ストレートな歌詞に誘われて私も近づいた。


 ♪ひとりでは生きていけない  

 Ah でも今はひとりでいたい   

 愛なしでは生きていけない   

 Uh でも今は孤独でいたい   

 明日なしでは生きていけない   

 Woh でも今は   

 Yeah でも今は夢の中にいたい  


まるで私の思いを代弁しているかのような歌詞に聞きほれてしまった。朝が来なければと何度思ったことか……。

 でもなんだか聞き覚えのある声だと思い、さらに近づいてよく顔を見て、

「あ」と声を出してしまった。

  歌が終わったところで拍手してから、 「C本さん!? ですよね?」と声をかけた。

「どうも」とギターをしまいながら照れくさそうにこくりと首を動かすC本さん。会社のときとはぜんぜん雰囲気が違う。  

 私は驚きやら感動やらのチャンポンで酔いがぶり返した。  

 そのまま近くのベンチで並んで座って話した。

「すごくいい歌でしたよ」

「ありがとうございます。でも会社の人に見られちゃってまいったなー。しかもよりによって追い出し部屋の人に……」  

 口の両端をいっぱいに広げた苦笑い。

 どうぞと缶コーヒーを私は差し出す。  

 カチッと蓋の開く音が立て続けにふたつ。あとは夜の静寂。  

 ベンチの背もたれが深すぎて二人とも前かがみ気味で前を向いて話した。さながら試合展開をベンチで見つめる控え選手のようだ。  

 彼はまだ少しハイだった。またギターを抱えだして、ポロンとかき鳴らしながら話す。

「オリジナリティあるものを自由に作れていた頃が懐かしいですよ。また戻りたいな」

「そうですね」  

 元エンジニアの彼は実際、マニア垂涎の名機を作ったこともあった。

「自分、独立考えてるんですよ」

「C本さんなら、きっとうまくいくと思いますよ」

 心からそう思った。  

 技術のあるC本さんがうらやましかった。

『特技・事業部長ができます』なんて言ったってどこも雇ってはくれない。夜空に月もないことにそのとき気づいた。  

 ジャガジャガジャン。

 ドライに響く。

「いつしかまったくチャレンジさせてくれない職場になっちまってた……」

「まったくです」

 コーヒーを飲みほした。究極の利益追求型である株資本主義の末路……。  

 バブルの頃までは長持ちする製品が目標だったのに、製品が適度に壊れないと新しいものが買ってもらえないという流れにいつのまにか変わってしまい、10年ほどで壊れるものを作るようにした、と言われている……。  ──人材も、10年で壊れるものがいいってことなのか……。

 ピンピンピンと少し神経質に弦をはじく音がしてC本さんがつぶやいた。

「これ、言ってもいいのかな……」  

 足もゆすっていてとても気になる。

「なんのことですか? 言ってください」  

 今思えばこのときもうちょっと覚悟を持って聞くべきだったかもしれない。

「自分から聞いたって言わないで下さいね」

「もちろん」

「……演技かと思ってましたよ」

「え!?」

「最初にあなたがあの部屋に来た頃はあなたは演技してるのかと思ったんです。生還するためのね」

「そんな……」

 缶を落とした。すぐ拾った。

「本当にあまり記憶がないんですか、あのことも」 「あのこと!?……まあ精神科には毎月通ってるんですよ、本当に……」

「なら教えますよ。実はあの部屋のなかにあなたをリストラ対象に追いやった人がいるんですよ……」  

 酔いは一気にさめた。肌寒さ以上に寒くなった。 「誰?……いや、待って……」  

 理解が追いつかないと同時に聞くのが恐い。私はひざをC本さんの方に向けていた。

 まさか一人ではない…… ?

「すべては指名制なんですよ。あの部屋にいる人間が次の候補を指名して引っ張り込むというまあ、悪しき習わしというか……それでポイントを稼いでうまくいけば元の部署に生還できるシステムです。うまくいけばですけど。あなたも本当は知ってたはずですよ、全て……」

「……」  

 同じ被害者のあつまりだと思っていたのに……。策謀渦巻く闇世界だったってわけなのか。鵜呑みにしていいのか、この話。のどが渇く。

「私も頭がどうかなりそうでしたよ。何も信じられなくなった。もうずっとそうでしょうね……。さあ、でももうこれ以上はしゃべれません、勘弁して下さいね」  

 ジャガジャガジャン。  

 その音はやけにあたりに響き渡った。

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