第4話 意志と決意


 俺の中に、「蒼真」と「ジル」の人格が両方とも存在している。


 ただ、ひどく混乱していて、今喋っているのが果たしてどっちの人格なのかすら曖昧だ。

 割れそうなほどの頭痛は治まる気配を見せないし、双方の考え方や感情は雑多に入り混じっている。まさに混沌カオスとしか言いようがない状態。


 俺の大好きな幼馴染の瑠夏が、実は昔から俺がずっと愛してきた妻・メルだった?

 めちゃくちゃだ。自分でも何を言ってるのか分からなくなってくる。


 だけど、こうやって瑠夏と──いや、メルと話しているだけで、幸せだった前世の感覚が勝手にどんどん想起されていった。

 顔だけじゃなく、微笑み方も、喋り方も、考え事をする時はこめかみに中指の先を当てるところまで、瑠夏は昔のメルそっくりそのままなんだ。


 メルが生きている。

 生きて、俺と喋ってる。

 記憶を取り戻した時には身を引き千切られそうなほどの苦しみだった。

 なのに、こうしてメルが生存していることが分かっただけで……。


「メル……お前が転生して瑠夏になってたってのが、まだ俺は信じられないよ」

「うん。間違いなくあたしはメルだよ。ジル──いや、そうちゃんが記憶を取り戻すよりもずっと前。そうちゃんがあの神に力を願った頃には、あたしは記憶を取り戻してた」

「でも、どうして俺だと分かったんだよ? お前は俺に、ジルだと確認するための質問なんてしなかったと思うんだけど」

「あなたがあたしの立場だったら、きっとすぐにピンときたと思うよ。顔は瓜二つだし、声も、喋り方も、うなじを弄る癖もあの頃のジルと同じだもん。それに加えて神様から力を貰ってる人なんて、他にいないだろうからね」

「……そっか」


 いつの間にか涙が頬を伝っていた。

 自らが不覚をとったせいで失った、最愛の人。

 あのクソッタレな神に一つだけ感謝することがあるとすれば、失ったはずの愛する家族にまた会わせてくれたこと。

 だけど、俺の家族は、まだ欠けたままだ。


「カイと、ルナは?」

「……わからない。あの子達がどうなったのか。きっと、あたしたちだけが転生させられたんだと思う。あたしとあなたは、特別だったから」


 そうだ。

 俺たちは、元居た異世界──前世で特別だった。



◾️



 俺の住んでいた村は、俺が七歳の頃、魔物の襲撃に遭って滅びた。

 家族もろとも皆殺しにされたが、運よく生き延びた俺はひたすら街を目指して歩いた。

 喉もカラカラになり、食べ物もない中で倒れ、もうダメだと思った時──


「よお。水、飲むか?」


 無精髭のおっさんが手を差し出す。

 そこで出会ったのが、師匠だった。


 師匠は俺に、生きるための力を教えてくれた。

 魔法。それが俺の支えになった。


 師匠は天涯孤独の少女──メルを養っていた。

 俺はすぐに彼女のことが好きになったし、メルも俺のことを好いてくれた。

 幼い頃に抱いた恋愛感情は、透き通るように濁りのないまま枯れることなく元気に育まれていく。俺の生き甲斐は、自然と彼女を護ることになった。


 だけど、どうすれば護れるのだろうか。

 メルは聖女だったから特別な力を持っていて、小さい頃から不思議なことがたくさんできた。

 でも、俺には何もない。このままでは、またあの時のように皆殺しの憂き目に遭うかもしれない。

 俺は必死で考えた。

 

 思えば、俺の村は小さな村だった。

 貴族のように金や権力があれば強固な城を築いて兵士を雇うことができるし、そもそも魔物に襲撃されることもなかっただろう。

 そして自分自身に武力があれば、最終的には魔物など自力で打ち払うことができたはずだ。


 必要なのは武力、権力、金。

 そういった類のものだと思った。

 そのために、俺は魔法で成り上がることを決意した。


 二度と大切な人を殺されないために、一心不乱に修行した。

 才能なんてなかったけど、何度も諦めそうになったけど、それでも俺は愚直に魔法を磨き続けた。


 トップ・ウィザード──それは世界最強である大魔導士の称号。

 

 師匠すらも届かなかったいただき

 人間・魔物を含めても世界で四人しかいない、魔法の粋を極めし者。

 平凡だったはずの俺は、ついにその「特別」に手が届いた。


 魔力で武の頂点を極め、俺は多くの人間を護るつもりで魔王や天使を相手に戦った。その結果として、権力と金と名声は全て手に入った。

 だけど、それは若き日に抱いた想像とは違うものだった。


 俺の名声を利用するためだけに近寄ってくる王国の貴族。

 俺の権力や金にあやかろうと企む大商人。

 祭り上げられた俺を狙ってくる魔物や天使ども。


 気づけば、自ら危険地帯に飛び込み、俺の家族が危険な目に遭っている。

 俺が必死に追い求めてきたのは、こんなものだったのだろうか?


「ねえジル。無理しなくていいんだよ。あなたのことを大切に想ってる家族は、ここにいるから」


 メルの言葉で、俺は目が覚めた。

 この道を目指したときに俺が誓ったのは、メルを──自分の大切な人たちを護ることだったはずだ。

 だから俺は、金も権力も名声も捨てて、自らの魔力だけで家族を護りながら辺境の村で暮らすことにしたんだ。



◾️



 時間が経つにつれ、前世の記憶は徐々に鮮やかさを取り戻していった。

 

「あの子たちは、きっとあのまま死んだんだ」

「……お前は、そう思うのか」

「なんとなくだけどね。あたしの中のメルの感覚が、そう言ってる」


 瑠夏は、ギリギリと音が鳴るほどに歯を噛み締めた。


「だから。蒼真。あたしね。決めたんだ」

「何をだ?」

「殺したい。あたしたちの家族を壊したあの天使を。だから、あなたも力を貸して」


 瑠夏が怒っている。

 ……いや、怒っているのは「メル」だ。


 そして、それは俺の中の「ジル」も同じだった。ジルの気持ちは、メルと同じ。一心同体なんだ。ずっとそうだった。


 だから俺は、「当たり前だろ」と、断言してやるつもりだった。

 だけど────


「……でも、あの頃の俺たちですら、あの天使には傷ひとつ付けられなかった。一体どうやって」

「それをね、これから二人で訓練していくの」


 言うはずだった言葉を飲み込んで、気が付けば、俺はまるで違う言葉を口にしていた。

 意思と体が別々みたいな感覚だ。一瞬なぜだろうと思ったが、すぐにその理由に思い至った。

 俺は「蒼真」としての記憶を探る。

 

 度々ニュースで報道される、紫眼の魔女による規格外の所業。

 それは天変地異にも引けを取らない、災害級としか言えないものだ。


 等間隔で細切れにされて全壊した東京タワー。

 超高層ビルごと圧迫されて潰された三桁にものぼる人間たち。

 数区画を完全消滅させた地面の大穴。


 仮に紫眼の魔女があの天使だったとして、今の俺たちの力で殺せるとはとても思えなかった。

 いくら俺が転生者だとしても、この世界では、魔法はもう使えない。持っているものといえば、遠くから賽銭箱に十円玉を投げ入れられる程度の力だ。


 そう思った時、次に言葉を発したのはジルではなかった気がする。

 

「瑠夏。でも、俺たちの力じゃ──」

「蒼真がやらなくても!!」


 不意に怒鳴られて、ビクッと体が跳ねる。

 この時、ようやく俺は異常・・に気付いた。

 瑠夏は、ゆったりした静かな口調からは想像もつかない目つきで話を続ける。


「蒼真がやらなくても、あたしはやる。命に代えても。差し違えてでも。絶対に、やり遂げる。殺したいの。あの女を殺したい。寝ても覚めても夢に見るの。血まみれで横たわるカイとルナの姿が毎日のように見えて。あの天使をぐちゃぐちゃにして踏み潰している自分をあの日からずっと夢見てる」


 燃え盛る業火が何もかもを焼き尽くすかのような、情け容赦のない憎悪。背筋に虫が這ったかと思うほどにゾッとさせられ、湧き立った鳥肌が収まらない。


 今まで瑠夏がこんなに恐ろしい顔をしたことは一度としてなかった。

 ずっと隣にいた女の子が、いつも可愛く微笑んでくれていた大好きな瑠夏が、これほどの殺意を秘めて日々を暮らしていたことに俺はショックを隠せなかった。


 ただ……もちろん、この状況を全く理解できないという訳でもない。

 それが何故なのか、答えは既に俺の中にある。


 これほどまでに怒り狂うメルの感情を「ジル」は完璧に理解している。だけど、瑠夏の変貌に驚いているのは「蒼真」だ。

 さっきも、一度はメルの言葉に頷きかけたジルを、蒼真が呼び止めた。

 俺の中にいる「蒼真」と「ジル」は、まるで正反対の意志を持ってぶつかり合っている。


 しかし、うまく融合できなければ直ぐにでも破綻し、壊れ、もう二度と普通に生きていくことはできない気がした。さっきから止まらないこの割れるような頭痛は、きっとそういうことなのだ。


 融合するには、合意しなければならないんだろうと思う。反発の原因となっている障壁を、取り除かなければならない。

 その障壁とは、互いに持っている剥き出しの感情、過去の記憶と望む未来だ。


 異世界で暮らしていた大人の俺と、この世界で育った小学生の俺。

 ごく僅かな時間の中で、蒼真とジルは、それらを真正面からぶつけ合った。


──あの天使が憎い。愛する家族を皆殺しにした奴をこのまま放っておくなんて、絶対にできない。

──嫌だ。怖いよ。死ぬのが怖い。俺たちの力は、紫眼の魔女を倒せる状態じゃない。それに、何より俺は、ずっと大好きだった瑠夏ちゃんが死んじゃうなんて絶対に嫌なんだ。何があっても彼女のことは護りたい。

──メルが死ぬのは俺も嫌だ。俺は二度も家族を皆殺しにされた。お前に言われなくても、今度こそ必ず護り抜くさ。

──そんなことを言っても、どう考えても力が足りないよ。このままじゃ同じ末路を辿るに決まってる。

──これはどうしようもないことなんだ。あの天使をゆるすことなどあり得ない。絶対に殺してやると、俺はあの神の前で誓ったんだからな。

──……そうだったね。だけど、ジルは今、一人じゃないだろ。ジルが前世で強く望んだことは、なんだった?

──それは……俺が前世で長いあいだ人生の目標にしてきたのは……大切な人を護ることだった。力を手にし、一度は忘れかけたその想いに気づかせてくれたのは他ならぬメルだったよ。

──そのメルが、生まれ変わって目の前にいる。たった一人だけでもこの手に残った、大切な家族だ。今まさに生きているメルを、今度こそ護り抜く。それは、ジルにとって復讐よりも遥かに大切なことじゃないのか?

──……その通りだ。お前の言う通りだ。俺だって、何があってもメルの命だけは最優先したいと思ってる。このままじゃメルは自ら死に向かってしまう。それだけはどうしても食い止めたいと思ってる。

 でも、復讐を諦めることもできない。

 あんなに幼かったカイとルナが。これから沢山のことを経験して、精一杯人生を謳歌するはずだった子どもたちの未来が消えた。

 魂の報いを──命の償いをさせる鉄槌は必ず下す。

──ジルがどうしてそんなに怒っているのかは、知っているよ……。

──お前には悪いと思っている。お前もまだ年端としはもいかぬ子どもだ。戦うのは怖いだろう。

──怖いよ。まだまだこれからなんだ。大好きな瑠夏ちゃんと結ばれて。幸せいっぱいの人生が待ってるはずだった。

──しかしその瑠夏は、メルの願望を叶えようとしている。紫眼の魔女を討つためなら命すら捨てようとするメルの気持ちを受け入れている。このままでは、お前の願いは叶わない。

──だって。そんなことを言っても、俺は瑠夏ちゃんどころか自分の身を護ることすらできないんだ。俺には力が無い。俺と瑠夏ちゃんの命を護る力を持っていないんだ。

──それなら任せろ。俺は、前世では世界最強の大魔導士だった。力をつけるやり方は知っている。

──でも。前世では負けちゃったじゃないか。敵は物凄く強いよ。

──そうだな。だが、いかに強かろうと絶対無敵の存在などあり得ない。仮にそれが天界最強の天使であろうともだ。蒼真の力と、瑠夏の力。あのクソッタレの神から授かった二つの力を合わせれば、必ず道はあるさ。それにはお前の協力が必要になる。

──俺の協力? 俺は、あの神様にもらった力以外には何も持ってないよ。

──道を切り開くコツは「意志と決意」だよ、蒼真。

──そんなもので? 誰でも持っているものだ。一般人でも持ってる。

──そんなことはないさ。ほとんどの者は持っていない。成し遂げた者だけが気づく宝物だ。

──…………本当に? 願いは、叶う?

──叶える・・・んだ。俺たちで

──護りたい。瑠夏ちゃんのことを、絶対に。

──ああ。神に誓って。……いや、俺たちの女神・・に誓って。



 ……なら、どうすればいい?



 蒼真とジルが手を取り合った瞬間、俺の中で何かが崩れる。

 崩れ、山積みになった瓦礫は勝手に動き出し、急速に再構築され、一つの新たな「意志」を形作っていく。その結果、どうなったか。


 祈るような蒼真の願いと、燃えるようなジルの復讐心が互いに譲歩した。

 二つの自我は決裂を招くことなく融合し、絶対不変の一つの結論を導き出す。

 そうして口にした言葉は──……


「わかった。絶対に、二人で殺そう」

「……うん。ありがとう。ありがとう」


 俺の決意表明を確認した瑠夏は、安堵するように微笑んだ。今度は瑠夏が涙を落とす。

 

 きっと、瑠夏の──いや、メルの決意を変えさせることは誰にもできないだろう。

 差し違えてでも殺すと口にした時の目は、もはや狂っているとしか言いようがないほど深い殺意の底に堕ちていたから。

 あの優しかったメルが。

 メルの中には、もう憎悪しか詰まっていないんじゃないかと思えるくらいに。だから、今はメルの強烈な願望に同調するフリをしておく必要がある。

 

 これから、俺たち──「ジル」と「蒼真」が辿らなければならない道は、瑠夏とメルが考えているのとは違う方法だ。


 仇の打倒を目指しながらも、最優先するのは瑠夏の命。

 紫眼の魔女を倒すために自分自身を鍛えながら、万が一の時には何もかもをかなぐり捨てて瑠夏のことを絶対に護り抜く。

 俺は、そのためにまた一から強くなるんだ。


 同居人・・・はいなくなり、分裂していた感覚が消える。

 迷いが無くなった頃には、自然と頭痛は消えていた。




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