第八章

 あれから。

 わたしとリョウ君は、話さなくなった。

 朝の挨拶は返してくれるけれど、すぐにふいっと友達のところへ行ってしまう。


 ……またやらかしちゃったんだ。

 ちゃんとあの朝すぐに、ママが心配するから、もうコンビニには行けないって伝えるべきだったんだ。

 たとえスマートフォンという連絡手段がなくても、呼び出してでもいいから。


 深く息を吐く。

 彼を傷つけてしまった。

 ゆずの時みたいに。

 あんなに優しくしてくれたのに。

 夜のコンビニの前まで行きたいけれど、ママは最近シフトを変えたのか、昼勤で家にいる。



 新しい学校に行っても、頑張ってね!

 私たちのことを忘れないで――

 回ってきた桃色の色紙には優しい文面が並んでいて、さらにつらい気持ちになる。

 手前の席の子から回ってきたものだ。お別れ会で渡すらしい。


 覚えている。わたしとゆずとの会話に聞き耳を立てて、いちいち告げ口して笑っていた子。

 右端に彼女の四角い字で「お元気で」と書かれていた。


 なぜみんな、今書くくらいなら、この思いやりをゆず本人に向けてやれなかったんだろう。

 「ずっと友達だよ」と書く手が止まる。

 いや、わたしが言えた義理ではないのか。

 わたしだって、ちょっとめんどうくさいと思っていたのは事実なのだから。

 最初は木内さんだって「みんなで助け合おう」って笑っていたのに。


 ゆずの門出は祝いたい。でも。

 どうしてこんな結末になってしまったんだろう。

 移動教室のたびに補佐が必要だったから?

 たまに、人にぶつかっていたから?

 先生が手をかけるのに嫉妬した?

 でもそれって、ゆずが『悪い』の?

 たとえば、わたしみたいに、言い返せなくて。それが罪だとして。

 じゃあ、誰かを集団でいじめるのは『罪』じゃないの……?


「ちょっと、早く回しなさいよ」

 木内さんが席の前に来る。怯えたくなんてないのに、痩せたきゃしゃな子なのに、強く大きく見えた。

 鼓動の音が耳にはっきりと聞こえる。

 とてもじゃないけれど、敵わない。


 わたしの手から色紙をぶん取ると、小さな声で

「……悪かったわね」

「へ?」

 すぐさま向こうを向いたのに、わたしの声にかっとしたように振り返った。

「じゃあ、謝ったから!」

 ぱたぱたと、スカートをひるがえし、取り巻きの子たちの方へと駆けていく。


 わたしはぽかんとした。

 ……いったい、なにが起きたんだろう。



「はあ~~~!? なにそれ、ぜんっぜん謝ってないじゃん!」

 ベッドに腰掛けていたわたしは、顔をしかめてスマートフォンから耳を離した。声が大きい。


「だよね、でも土下座とかしてまで謝って欲しいかと言うとそれも違うんだよ」

「わかる~~!」


 自宅に戻ってから、ゆずに電話をかけて今日あったことを話した。

 木内さんに突然謝られたこと。

 理由はわからないし、謝り方が雑でもやもやが消えないこと。

 本当に嫌がらせをやめてくれるかどうかはわからないことなどを。

 不安がピークに達して、ぎゅっとくまのぬいぐるみを抱きかかえる。


「とにかく! 許す必要なんてないよ。適当に話合わせて、クラス替えがあるまで無視無視」

「……出来るかな」


 ああ。

 もう。この胸の苦しみを。理不尽だと思う気持ちを、リョウ君には聞いてもらえないんだ。


「大丈夫。美夜子なら出来る」

 あったかい声。包み込むような。

 じんわりと心が温かくなる。


 でも、頭の中で別の声がする。ゆずはいいよね。もうあの学校に行かなくてすむんだから。


 わたしはぶんぶんと頭を横に振って、性格の悪い考えを振り切った。

 ううん。ゆずだって苦しいんだ。

 わたしはぎこちなく微笑んで、笑えた自分にほっとする。


「ありがとう。頑張るよ」

 今日は金曜日。

 ――いよいよ、月曜日がゆずのお別れ会だ。



 あ、雨だ。

 自転車のペダルをこぎながら、頬に冷たさを感じる。仰ぎ見ると空がうす暗い。

 ピンクのチュニックと白いホットパンツに雨粒が落ちて、すぐに消えるシミを作った。


 お別れ会のプレゼントを買いたくて、駅前まで来たけれど、早めに切り上げた方がいいかもしれない。


 キイ。

 駅前通りは古い商店とコンビニやファーストフードでにぎわっている。


 レンガ造りのおしゃれな店の前で自転車を止める。病気になる前のゆずと来たことがある。ずいぶんと気に入っていたので、ここで何か買おう。


 名前はブルーベル。

 窓辺には赤さび色のアンティークなカーテン。不思議の国のアリスのゼンマイ人形や、チェシャ猫のフェルト人形が飾られている。わくわくした気持ちで中を覗き込む。

「え」

 こわばったわたしの顔が、店のガラス窓に映り込んだ。


 店の中にいるのは木内さんと――リョウ君。

 ラベンダー色のワンピースを着た彼女は嬉しそうに、キリンのぬいぐるみをリョウ君に渡している。彼の表情はこちらからは見えない。

 頭の中が真っ白になる。

 どうして。

 どうしてふたりが一緒にいるの?

 エプロン姿の店員がこちらに気づき、表から覗くわたしに不審そうな目を向けた。


 わたしは後ずさる。

 そんな。

 絶対、絶対何かの見間違いだよ――


 わたしはブルーベルの前から逃げ出した。一度も、振り返らずに。

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