第四章

 翌朝。

 教室の扉を、こわばった手で開ける。


 男子の二、三人がこちらを見る。女子は――木内さんも、今日は反応がない。

 誰もわたしに構わないのに、まるで教室中の子たちから見られているかのよう。


 うう、お腹が痛いよう。

 保健室に行こうかな……?


『たとえ捕まえてみても二、三人』

『お前はそんな、いじめる相手を探してるような奴らより幸せになるんだ。

 だったら、構う暇なんてないだろ?』

 リョウ君の言葉が頭の中にこだまする。


 そうだ。

 水色のランドセルの持ち手をぎゅっと握りこむ。

 わたしにはリョウ君がついてる!


 こんなことに、負けるもんか。


 気にしてないそぶりで彼女たちのそばを通り、席に着く。


 ホームルーム開始のチャイムが鳴った。教室の扉が開いて、江古田先生が入ってくる。


 ……?

 え?

 続いて入ってきた男の子に、わたしも、教室中のみんなも釘付けになる。


「えー、今日は転校生を紹介する」


 男の子は、妙に堂々としたたたずまいで頭を軽く下げた。


「羽柴リョウです。千葉県から来ました。よろしくお願いします」

 教室全体がざわめく。木内さんたちがはしゃいだ声を上げる。かっこいい、とか言って。


 わたしは驚きのあまり、動けない。

 えっ……!? リ、リョウ君!?


 てっきり隣の小学校の子だと思ってた。

 しかもこんな時期に転校?

 昨日どこの小学校か聞いた時、確かはぐらかされたような気はしたんだけど……。


 「席は、田中の後ろが開いてるな」


 リョウ君と視線がぶつかる。彼は大きく目を見開くと、かすかに笑った。

 どよめきが起きる。女子たちの視線が痛い

「なんだ、桜井と羽柴は知り合いか?」


 リョウ君ははっきりと、よく通る声で

「はい、友達です」


 友達。

 そうか、わたしたち『友達』なんだ。

 こうして言ってもらえると、どうしよう、すごく嬉しい。

 思いもよらない方向から、クラスに味方が出来た気がした。


 江古田先生は、大きなお腹でふんぞり返り、教卓に学級日誌を置く。


「桜井。いろいろ教えてやれよ。この学校のこととか、教室移動の時とか」

「……はい!」

 久々に、大きな声を出したかもしれない。



 一限目が終わると、リョウ君の席はひとだかり。

 まるで早くもクラスの人気者みたい。


「なんで転校してきたの?」

「引っ越したから。家の事情で、来るのが遅れたけど」

 姿は隠れてしまって見えないけれど、はきはきとした声が聞こえてくる。


 そうなんだ。知らなかったな。

 男子も女子もいて、わたしはというと、混ざれない。


 なんか、複雑。

 やっぱり、リョウ君はすごい。

 そうだよね。こんなわたしともにこにこ話が出来るんだもん。コミュ力おばけだよね。

 友達だなんて、いつまで思っててもらえるかなぁ。

 自信ないよ。


 さっきまでふくらんでいた気持ちがしぼんでいく。

 やっぱり、わたし……。


「ねーねー、桜井さんと友達だって本当? どこで知り合ったの?」

「それあたしも知りたーい。だって……ねぇ?」

 クスクス笑いが起きる。木内さんと、その友達二名。


 顔から血の気が引いていく。

 いけない。

 このままじゃ、リョウ君に迷惑がかかってしまうかも。

 こんなわたしが友達だなんて、訂正しなきゃ。


「ああ、コンビニで知り合ったんだよ。な?」

 人垣が分かれて、彼の姿が見える。

 あったかい言葉に涙がこぼれそうになる。

 でもその先は、どうか秘密にしておいて欲しい。


 どうしたら良いかわからなくて、イスから音をたてて立ち上がった。


「ごめん。わたし、保健室に行ってくる」

 みんなの注目が集まる。リョウ君の目がまっすぐに見れない。


 わたしは心の中で謝りながら、教室を出た。

 ごめんね、リョウ君。せっかく友達だって言ってくれたのに。


 わたし、やっぱり勇気が出ないよ。



「お前さ。いつもあんなふうに暗いわけ?」

 リョウ君はコンビニの入口の前で腕くみをして立っていた。

 この子、本当に言い方がきついな。


 「わ、悪かったわね。どうせ暗いよ」


 わたしはどんくさい。みんなと同じ行動をしようとしても、いつだってワンテンポずれてしまう。

 早くやれ、周囲とペースを合わせろって記憶にある頃からずっと言われてきた。

 この性質のせいか、うまくみんなとの会話にも混ざれなくて。


 ……でも、わざとやっているわけじゃないんだ。


 目の前の信号が変わり、車の赤いテールランプが、リョウ君の体を照らしていく。


「悪いとは言ってない。ただ、損だな、と思ってさ」

「損」

「ずーっとうつむいて暗い顔してるやつに、たいがいの人は話しかけたいなんて思わないだろ?」


 むか。

 さすがにこれは、言い過ぎじゃない?


「わ、わたしだって、ゆずがクラスにいた頃は笑ってたんだから!」

 はっとなる。ゆず。そうだ、ゆずがいた頃は。


 楽しかった。いろいろあったけれど、わたしたち友達だったのに。

 リョウ君の眼の色が深くなる。深い深い闇の色。


「その、ゆずって子が視覚障がいのある友達?」


 初夏の風がぬるくわたしたちを包み込んだ。二十代前半くらいの男女が、きゃっきゃ笑いながら通りすがる。

 鼓動が早くなる。落ち着こうと、結い上げた髪のおくれ毛を指でいじる。


 わたしはうつむいて、小さく言葉を絞り出す。


「わたしはゆずのお世話係だったの」

 そう、話し始めた。



「もともと、先生に指名されたのは木内さんって子なの。てきぱきしてるし、何でもできるし、クラスでも人気者」


 最初は、彼女だって張り切っていた。

 でも、誰にだって相性というものがある。


 役割のせいだけではないだろう。二人は合わないタイプだった。同じクラスじゃなきゃ、口も利かないような。

 みんな口に出さないだけでわかってたはず。


 最初は頑張っていたけれど、しだいにイライラし始めた木内さんは、先生に直接訴えた。

 仲のいい桜井さんがやればいいと思います、と。


 「構わなかった。小一からの友達だし、力になれるのならって思ったよ。思ったんだけれど」


 言葉に詰まる。

 わたし。

 わたし、本当は。

 吐き出すみたいに。声が。震えて。


「自分でも最低だとは思うんだけれど、だんだんと、面倒くさくなってきちゃった。先生には何かと怒られるし、休み時間はもっと本を読みたかったし、他の子とも話をしたかった。


 おかしいな。わたし、ゆずの友達だったはずなのに、『お世話係』になったとたんに。単なる友達じゃなくなっちゃった」


「うん」


 リョウ君は、とてもやさしく頷いた。


 しゃべってもいいのかな。

 障がいのある友達が重荷だなんて、最低なことを言っているわたしに、彼はどうしてこんなに優しくしてくれるんだろう。


 リョウ君は低い声で

「で。ゆずって子は『障がい者』なわけ?」

 ん?

 顔がこわばる。

「話、聞いてた?」


「もちろん。でもさ、さっきから美夜子の言う『ゆず』がよくわからない。まるで障がい者っていう名前の人間みたい。

 言い換えれば誰でもいいっていうか。お前のいう『友達』ってなに?」


「そんなこと……っ!」


 いや。

 いや、ある。

 わたしはぎゅっと拳を握り締める。

 さっきからわたし、ゆずがどんな子かだなんて一言も言っていない。

 ただ、障がい者に困らされたと訴えるだけ。


 そんなの、ひどいよ。


「教えてよ。ゆずってどんな子だったの」

 柔らかな声にうながされ、記憶をたどる。


 ゆず。

 ゆずは、えっと。

 思い出すのに時間がかかるのが、遠くはない記憶なのに、悲しくて悔しい。


「トマトが嫌いだった」

 絞り出せたのはバカみたいな言葉なのに、リョウ君は笑わなかった。

「でもトマトケチャップは大好きで、一番の好物はオムライス」

「気が合いそうだ」

 かすかに笑う。リョウ君はオムライスが好きなのかな。


「初めて出会ったのは小学一年生。隣の席だったの」

「ああ」

 背後のコンビニでは、カフェスペースの男性客が、ちらちらとこちらを見ている。


「ゆずは幼稚園でわたしは保育所だったから、遊ぶことはなかったんだけど近所だったし、すぐに打ち解けて。ゆず、絵本をいっぱい持ってた。きれいな。貸してあげるよって言ってくれてよく一緒に見てて。

 わたし、小学校上がって初めての友達だって、嬉しくて……っ」


 手が震える。涙が出そう。けどまた彼を困らせてしまうから。

 ぐっと顔を上げる。

 泣かない。


 緑に青。都会の人工の光が、わたしたちの視界を染め上げる。

「そうだよね。ゆずは、ゆずだ」

「そうだね」

「ひどいことをした」

「うん」


 相づちが耳に心地よく響く。

 リョウ君の言う通り。

 わたしは。


 ――ゆずを見失っていたんだ。大切な友達を。


 しっかりしなきゃ。

 ゆずに謝らなきゃ。

 謝って、言うんだ。『わたしは友達でいたい』って。

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