P.36 MISSION 36:冬の牙

December 15th, 2022

13:00 Local Time

Donetsk, Ukraine

ハシフ・ヤール近郊のウクライナ軍トレーニングキャンプ



 ウクライナの冬は、容赦がなかった。


 感謝祭も過ぎ、十二月に入ると、東部ドンバス地方は、分厚い雪と、骨の髄まで凍らせるような風に支配される、白と灰色の世界へと変貌した。俺たちエコー分隊とアルファ部隊の任務もまた、新たな段階へと移行していた。最前線からわずかに後退した、チャシウ・ヤール近郊の廃工場。そこが、俺たちの新たな拠点であり、「教室」となった。


 「違う!」


 ジェスターの、凍てついた空気を切り裂くような鋭い声が、雪が積もった訓練場に響き渡った。


 「お前たちの動きは、ただの乱射だ! 敵は的じゃない! 遮蔽物の裏で、お前たちの頭を吹き飛ばす機会を、冷静に待っている! 動き、撃ち、そして、また動け! 思考を止めるな!」


 雪と泥にまみれながら、ウクライナ兵たちが、ジェスターの指導の下、二人一組(バディ)での射撃と移動の訓練を繰り返している。彼らは皆、勇敢な戦士だった。だが、彼らがこれまで経験してきたのは、塹壕と砲撃が支配する、第一次世界大戦を彷彿とさせるような消耗戦だ。DEVGRUが専門とする、少数精鋭による、外科手術のような精密な戦闘は、彼らにとって全く未知の世界だった。


 俺たちの新たな任務――ウクライナ軍部隊への非対称戦の教義と、共同作戦の実行。それは、根気と、相互理解を必要とする、地道な作業の連続だった。


 俺は、廃工場の二階、窓ガラスが吹き飛んだ司令室で、その様子を監視していた。俺の仕事は、彼らの練度を分析し、現実の戦況に即した、効果的な共同作戦を立案すること。机上のシミュレーションと、現場で流れる生身の人間の血。その二つを繋ぐのが、俺の役割だった。


 「……彼らは、飢えている」


 いつの間にか、クリスが隣に立っていた。彼は、スコープのレンズを磨きながら、静かに訓練場を見下ろしている。


 「知識に、そして、勝利にな。だが、その飢えが、時に彼らの判断を曇らせる」


 クリスの言う通りだった。特に、アルファ部隊の中でも若い兵士の一人、アンドリーは、その典型だった。彼は、ずば抜けた身体能力と、ロシア兵への燃えるような憎しみを併せ持っていたが、その若さ故の激情が、ジェスターの教える冷静な戦術とは、しばしば衝突していた。


 その日の午後、俺は次の作戦計画を、ストーンとオレクサンドル、そして、アンドリーを含むアルファ部隊の主要メンバーの前で説明していた。


 「目標は、クレミンナ方面へ向かう、ロシア軍の主要な鉄道補給路。この鉄橋を破壊する」


 俺は、司令室の壁に投影した、詳細な衛星写真を指し示した。


 「鉄橋は、二十四時間体制で厳重に警備されている。正面からの攻撃は、自殺行為だ。だが、鉄橋から約八百メートル上流に、凍結した川がある。我々は、夜陰に乗じて、この凍った川を渡り、敵の警戒網の死角から接近。クリスたちの狙撃支援の下、橋脚に爆薬を設置し、離脱する」


 それは、DEVGRUの教科書通りの、ステルスと精密さを要求される作戦だった。


 「……なぜ、戦わんのだ!」


 最初に声を上げたのは、アンドリーだった。


 「我々には、あんたたちがもたらしてくれた、最新の兵器がある! こそこそと爆弾を仕掛けるのではなく、奴らの警備部隊を正面から叩き潰すべきだ! 奴らに、我々の土地で何をしているのか、思い知らせてやるべきだ!」


 彼の言葉には、アルファ部隊の若い兵士たちの、偽らざる本音が込められていた。


 「アンドリー」オレクサンドルが、静かに彼を制した。「神谷君の作戦には、理由がある」


 「しかし、隊長!」


 「お前の気持ちは、分かる」今度は、ストーンが静かに口を開いた。「復讐心は、時に、強大な力になる。だがな、若いの。戦争は、感情でやるもんじゃない。数学だ。いかに少ないリスクで、最大の戦果を上げるか。俺たちの仕事は、敵兵を一人でも多く殺すことじゃない。この戦争を、一日でも早く終わらせることだ。そのためには、感情を殺し、冷徹な計算機にならなければならない時がある」


 アンドリーは、唇を噛み締め、悔しそうに俯いた。


 作戦は、二日後の夜に決行された。


 気温は、氷点下二十度。月明かりすらない、完全な闇。俺たちは、白い冬季迷彩服に身を包み、亡霊となって雪原を進んだ。俺は、後方の臨時司令部から、ドローンとクリスのスコープを通じて、作戦全体を俯瞰していた。


 「……クリス、鉄橋の監視塔に、狙撃手を確認。排除できるか」


 「……可能だ。だが、発砲すれば、こちらの存在を知らせることになる」


 「いや、撃つな」俺は、即座に判断を下した。「ストーン、聞こえるか。監視塔の狙撃手は、生かしておけ。爆破班が橋脚に到達する、その瞬間まで」


 敵の「目」を潰さないことで、敵に「見られている」という意識を与えない。これもまた、心理戦だった。


 ストーンとオレクサンドルが率いる爆破班は、凍てついた川を、音もなく渡っていく。その中には、アンドリーの姿もあった。彼の動きは、訓練の時とは見違えるように、冷静で、抑制されていた。


 全てが、俺の描いたシナリオ通りに進んでいるように見えた。


 その時だった。


 「……待て」クリスの、緊張を帯びた声が響いた。「川岸に、不審な熱源。雪の下だ。……地雷原の可能性がある」


 俺の背筋を、冷たい汗が伝った。衛星写真にも、事前の偵察でも、確認できなかった脅威。


 ストーンたちの動きが、ぴたりと止まる。鉄橋まで、あと百メートル。だが、その先には、死の罠が広がっている。


 「……どうする、ハヤト」


 ストーンの、静かな問い。進むも地獄、退くも地獄。


 俺の頭脳が、再び沸騰する。迂回路は、ない。時間もない。


 「……クリス」俺は、声を絞り出した。「地雷の位置を、特定できるか」


 「……無理だ。だが、熱源のパターンから、おそらく対人地雷だ。起爆方法は、圧索式だろう」


 その言葉に、俺は、一つの、あまりにも危険な賭けに出ることを決意した。


 「ストーン、聞こえますか。……地雷原を、強行突破します」


 「正気か」


 「正気です。ただし、やり方があります。クリス、狙撃手をやれ。今すぐだ」


 ヘッドセットの向こうで、誰もが息を飲んだのが分かった。


 「狙撃と同時に、爆破班は、全員、伏せろ。そして……」


 俺は、続けた。


 「……アンドリーに、駆けさせろ」

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