氷屋あかつき
今年の夏は、暑すぎた。
クーラーの効いた部屋にいても、窓の外の陽射しを見るだけで汗が出そうだった。
そんなある日、町の裏通りで、小さなかき氷屋を見つけた。
看板には手描きの文字で「氷屋あかつき」と書いてあった。
昭和のまま時が止まったような古びた木造の店だった。
夏なのに客の姿は見えず、静かで、まるで空気まで冷たく感じた。
でも何故かこの店に入らなければいけないような気がした。
不思議な使命感で店に入ると、ひとりの老人がいた。きっと店主なのだろう。
白いシャツに涼しげな目元をした人だった。
物静かなその店主は、無言で小さくうなずき、僕を席に通した。
メニューはたったひとつ。
『日替わりのかき氷 一杯300円』
味も種類も書いてない。けれど、なぜかすごく惹かれた。
「かき氷ください」
そう言うと、店主は再びうなずき店の奥へと消えていった。
しばらくすると手動のかき氷機をまわすキコキコという懐かしい音が聞こえてきた。
氷が削れるそのリズムが、なぜか心地よかった。
出てきたかき氷はうっすらと紫がかっていた。
涼しげで、どこか懐かしい香りがした。
一口すくって口に運んだ瞬間、なぜか小学生の頃の記憶が、鮮やかによみがえった。
夏の夕方、兄と走った田んぼのあぜ道。
家に帰ると母が冷たい麦茶を出してくれて、そのあと一緒に花火をしたこと。
忘れていたはずのその日の風の匂いや、汗ばんだ額の感触までも。
僕は一瞬、氷をすくう手を止めて呟いた。
「……この味、昔どこかで食べた気がします」
すると、店主はふっと笑って言った。
「そのかき氷は、今日のあなたが思い出したい味なんです」
「え?」
「味が決まっていないのは、食べる人の心が決めるからですよ」
「心が決める?」
僕が聞いても店主は静かに微笑むだけでそれ以上何も話してはくれなかった。
食べる人の心が味を決めるだなんて信じられるわけがないと思った。
けれど、次の日も、その次の日も、僕は「氷屋あかつき」に通った。
二日目は、幼なじみとケンカして泣いた帰り道。
三日目は、祖父と手をつないで祭りへ行った夜。
四日目は、なぜか初恋の人の笑顔を思い出した。
毎回、氷の色も香りも微妙に違っていて、でも決まって、心の奥の何かをふっと呼び覚ましてくれた。
通い続けて一週間ほどたったある日、店はふいに「臨時休業」になった。
それ以来、「氷屋あかつき」の扉は二度と開かなかった。
その年の夏が終わって、秋がきて、冬がすぎ、春になる頃、僕は思い出してあの店に行ってみた。
けれど、そこには何もなかった。
空き地になっていて店の痕跡すらない。
まるで最初から存在していなかったかのように。
それでも、僕はあのかき氷のことをはっきり覚えている。
味も、香りも、削られる氷の音も。
そして、誰よりも静かであたたかかった、あの店主の笑顔も。
たまに、誰かに話すと笑われる。
けれど、冷たいものを口にすると、ふっと思い出すことがある。
あのときの「氷屋あかつき」のかき氷のやさしい甘さを。
あの夏だけの、ひとときの魔法を。
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