第8話
分厚い綴り物をマチルダが差し出してきた。
「これは⋯⋯」
綴り物を受け取れば、思った以上に重みを感じた。表紙をめくれば見慣れた、見慣れた過ぎた文字が目に入った。
「マチルダ、貴女、あの
マチルダが手渡した綴り物は、ウォレスがこの三年間にビアトリスへ送り続けた断り文、「急用で行けませんお断り文集」であった。
マチルダは、ビアトリスから受け取った文の束を、厨房の竈に放り込むことをしなかった。彼女はその不誠実で不義理な文の一枚一枚を台紙に貼り付け、一冊のスクラップブックとして纏めていた。
不義理が後光を放つような禍々しい綴り物、「ウォレスの不義理文集」は、軽率な行動の集大成の割にずしりと重かった。
「貴女これを一日で仕上げたの?」
「貼り付けただけですわ、お嬢様」
「マチルダ⋯⋯」
「お嬢様⋯⋯」
二人は互いの瞳を見つめて、胸の奥に湧き起こる主従を超えた熱い感情を確かめあった。
「凄いね。それ、三年分?」
ルーファスの言葉に我に返る。
そうだった。この不義理文集をこの場で回覧せねばならない。
ビアトリスは、先ずは隣の席にいるルーファスへ「どうぞ」と不義理文集を手渡した。
ルーファスはそれを受け取って、表紙をめくって「ふうん」と言った。更にページをめくり、二枚三枚と続けてめくって、
「見事だね」そう言った。
「凄いね、これを毎回直前に届けてるってことだよね。それって前もって文を書いて用意しているのかな。毎回『急を要する急務の為に、本日は欠席させて頂く』の一文だね。ウォレスの机の引き出しには、この文面のカードがあと十数枚はあるんだろうね」
ルーファスの言う通りである。学園を卒業したなら婚姻式を迎える二人には、婚約者の茶会もあと十数回で終わりとなる。
「もしかしたら、全部欠席に持ち込みたいのかしら」
「ああビアトリス、そうかもね。彼ならそんな馬鹿を考えそうだな。まあ、流石に没交渉は認められないよね。父上もそう思われませんか」
ルーファスはそう言って、向かいの席に座る父に不義理文集を手渡した。
ルーファスと同じように表紙をめくって、二枚三枚四枚五枚とページをめくり続けた父であったが、いくらめくったところで文言に変化はない。
無駄に流麗な文字で『急を要する急務の為に、本日は欠席させて頂く』と書かれた文が並ぶだけである。
「これほどとは⋯⋯。なぜ黙っていたんだ?ビアトリス」
毎回毎回、姉たちもルーファスも言いましたよね、とは言えなかった。なにせビアトリスは他力本願であったのだから。
「父上、ご指摘なさるのはそこではありませんよ。ビアトリスは父上と母上に遠慮をしたのです。お二人がブラウン伯爵夫妻と親しい友人同士であったから。それに、僕も姉上たちも散々言いましたよね」
父がうむむと小さく呻って、その間に母が父の手にあった不義理文集を取った。
父は、十年前に叔母が婚約者から蔑ろにされていた時には、妹を案じて、お前はそれでよいのかと幾度も確かめていた。
『仕方ありませんわ。アーノルド様のお心を掴んでいられなかった私が悪いのです』
その度に、叔母は毎回そう答えたのをビアトリスは憶えている。きっとルーファスもそうだろう。
だからビアトリスは、叔母を真似てみた。
ビアトリスは当時の叔母を思い起こした。容姿も背格好もぼんやりした雰囲気まで、二人はよく似ていると思う。
ちょっと顎を引いて若干上目遣いになって、ビアトリスは記憶に残るセリフをなぞった。
「仕方ありませんわ。ウォレス様のお心を掴んでいられなかった私が悪いのです」
父はその言葉にはっとした。
父ばかりか母もまた、当時の叔母を思い出したようだった。
母の手から、開かれたままの不義理文集がバサリと音を立てて床に落ちた。
「そんなことって⋯⋯」
母は十年前の騒動を忘れたわけではなかったが、それと娘の婚約者が結びつかなかったのだろう。
「ウォレス様は、本気で他所のご令嬢に懸想をしているの?」
「懸想なんて軽いものではありません。熱望です。可憐なるアメリア様にお心を捧げておられます」
「い、いつから」
「え?そんなの最初からですわ」
母は本気で気づいていなかったようだ。
だが間違いないのだから仕方がない。婚約の誓約書にサインをして二人きりになったところで、ウォレスはアメリアへの愛を宣言したのだから。
「ああ、そうだわ。マチルダ、貴女も一緒に聞いていたわね」
「はい、お嬢様。私は気丈なお嬢様に代わって心の中で泣きましたから」
「なんですって!マチルダ、それは本当なの?」
母は初耳のように尋ねたが、マチルダはあの後両親にウォレスの行為を報告している。それを聞いたはずなのに、父も母も記憶に残らない程度にしか受け止めなかったのだろう。
「はい、奥様。お嬢様はお心のしっかりしたお方です。礼を欠いたご令息の
実際は、呆れてものが言えなかっただけだった。初めての婚約に失望したあと、ほんのちょっぴり切ない気持ちになったのは秘密である。
「そんな⋯⋯」
母は、今更になってウォレスのダメダメ具合に呆然となった。何よりその姿が、十年前に義妹を巻き込んだ騒動と重なることに気がついたようだった。
「父上。ティムズのことはご存知で?」
呆然となった母をよそに、ルーファスは、もう一人の側近候補である男子学生について父に確かめた。
「⋯⋯先日、紳士クラブで耳にした」
「あれがウォレスの先の姿ですよ」
父は日和見気質で、良くも悪くも貴族らしい。だから、ビアトリスが我慢できる程度のことならと、これまではウォレスのことでブラウン伯爵家とは揉めたくないと思うようだった。
だが父は兄としては愛情があり、叔母を可愛がっていた。十年前の騒動でも、叔母を大層案じていた。
ふと目をやったビアトリスに、父はかつての叔母の姿を見たのだろう。はっとしたように目を開き、「ビアトリス」と低く呟いた。
「ルーファス」
「はい。父上」
「アメリア嬢とお前たちは、どういった関係なんだ。ウォレス殿にお前から何も言わずにいたのか」
「僕には婚約者がおります。アメリア嬢とは無関係、友人でもありません」
「え?そうなの?」
ビアトリスは、あの高貴な集団に属するルーファスが、アメリアともそれなりに親しいものだと思っていた。
「ビアトリス。僕が侍るのはエリック殿下だ。それと妃になられるロゼリア嬢かな。あとの付属に関心はないよ」
ルーファスは、アメリアを付属品呼ばわりした。
「それに。ウォレスのようなタイプを確実に制するなら、刺すのは一度だ」
刺すってどんなことだろう。物理で刺すの?
あまり深く考えたくはないが、ルーファスの言わんとすることは通じた。
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