幼馴染と秘密の放課後授業
舞夢宜人
第1話 いつもと違う放課後
傾き始めた太陽が、窓ガラスを通して蜂蜜色の光を投げかける。空気中を舞う細かな埃がきらきらと光っては消える、そんな穏やかな放課後。俺、桐生拓磨は、物心ついた頃から当たり前のように通い続けている幼馴染、七瀬結衣の部屋にいた。女の子らしい柔らかな色合いで統一された部屋。壁に飾られた写真には、今よりもずっと幼い俺と結衣が、まだ失うものなど何もなかったかのように屈託なく笑っている。
「それでね、鈴木のやつ、移動教室の時間を間違えて、全然違う学年のクラスに入っちゃったんだって。しかも一番前の席に堂々と座って、先生に指摘されるまで全然気づかなかったらしくてさ」
ローテーブルを挟んだ向かい側で、結衣がころころと鈴を転がすような声で笑う。俺も「マジかよ、あいつらしいな」と相槌を打ちながら、彼女が淹れてくれた紅茶の湯気が立ち上るマグカップに口をつけた。仄かに甘いアップルティーの香りが鼻腔をくすぐる。いつもと同じ、平和で、退屈で、そしてかけがえのない時間。そのはずだった。今日、この瞬間までは。
会話の途切れた一瞬、結衣が「あ、ちょっと待ってて」と立ち上がった。本棚に何かを探しに行ったのだろうか。その何気ない仕草に、俺の視線はまるで引力に引かれたかのように、彼女の後ろ姿に吸い寄せられた。ブレザーとスカートに包まれた身体は、俺の記憶の中にある少女のそれとは、明らかに異なっていた。
まず目に飛び込んできたのは、スカートの裾と紺色のハイソックスの間に広がる、絶対領域とも呼ばれる肌の白さだった。そして、そこから伸びるふくらはぎ。運動部というわけでもないのに、適度に引き締まったその曲線は、驚くほどにしなやかで、女性的な丸みを帯びていた。それは、俺が今まで一度も意識したことのなかった、生々しい「肉」の感触を想像させた。ゴクリ、と喉が鳴る。カップを持つ指先に、じわりと汗が滲んだ。
本棚から目当ての雑誌を見つけたらしい結衣が、再び俺の前に座り直す。彼女が雑誌のページをめくるたびに、さらり、と絹のような黒髪が揺れた。その動きに合わせて、シャンプーなのだろうか、甘く清潔な香りがふわりと漂い、俺の思考を鈍らせる。視線は、無意識のうちにさらに下へ、テーブルの上に置かれた彼女の手に彷徨い出ていた。華奢な体つきの中でも、特に彼女の手首は驚くほどに細い。少し力を込めれば、ぱきりと音を立てて折れてしまいそうな儚さ。その白い肌の下で、青い血管が微かに透けて見える様は、なぜかひどく扇情的に思えた。
いつからだ? 結衣のことを、こんな目で見るようになったのは。
今まで、彼女は俺にとって、性別のない家族のような、空気のような存在だったはずだ。それがどうだ。今は、彼女の唇の微かな潤みも、ブレザーの胸元の膨らみも、スカートの下に隠された柔らかな腿も、そのすべてが俺の知らない「女」としての結衣を雄弁に物語り、俺の心の奥底に、どす黒く、そして甘美な欲望の種を植え付けていく。この感情は、友情などという綺麗な言葉で覆い隠せるものではない。これは、紛れもない雄としての、汚れた情欲だ。
自分の視線が、獲物を探る獣のように粘着質でいやらしいものに変わっていることに気づいた瞬間、俺は凍りつくような自己嫌悪に襲われた。彼女の純粋な笑顔が、まるで自分の汚れた心を映し出す鏡のように感じられて、息が詰まる。この部屋の穏やかな空気の中で、俺だけが一人、澱んだ沼の底に沈んでいくような感覚。
「……でね、この俳優さんがすごく格好良くて。拓磨も、こういう髪型にしてみたら似合うんじゃないかな?」
結衣の話す言葉が、水中で聞こえる音のように、右の耳から左の耳へと意味をなさずに通り過ぎていく。相槌を打ちながらも、俺の意識は完全に上の空だった。頭の中では、罪悪感と興奮が渦を巻き、正常な思考を奪っていく。もし、この視線に込められた欲望の意味を彼女が知ったら、どんな顔をするだろう。軽蔑されるだろうか。気持ち悪いと、拒絶されるだろうか。それとも――。
「ねえ、拓磨、どうしたの?」
不意に、結衣が雑誌から顔を上げ、不思議そうな顔で俺を覗き込んできた。会話が途切れていたことに、その時ようやく気づく。まずい。考えに没頭するあまり、無反応になっていたらしい。彼女の大きな瞳が、純粋な心配の色を浮かべて、まっすぐに俺を射抜く。そのあまりにも無垢な眼差しに、俺は自分の内側に芽生えた醜い感情のすべてを見透かされたような気がして、心臓が冷たく縮こまるのを感じた。
「あ、いや……なんでもない。ちょっと考え事してただけだ」
慌てて、俺は引きつった笑顔を顔に貼り付けた。声が妙に上ずっていないだろうか。不自然な間はなかっただろうか。結衣は小首を傾げ、疑うような、探るような視線を一瞬だけ見せたが、やがて「そっか。疲れてるんじゃない?」と納得したように微笑んだ。その笑顔に心の底から安堵しながらも、俺は、もう二度と昨日までの自分には戻れないことを悟っていた。俺の心には、小さな、しかし決して抜けることのない、甘い毒が塗られた棘が、深く、深く突き刺さったのだから。
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