第13話 鬼頭御影④

雲ひとつない夜空に、星々がぽつぽつと瞬きはじめる頃だった。

客席には誰ひとりいないせいなのか、広大なアリーナはひどく静かで、コートに響く音だけがやけに鮮明だ。

一定のリズムでボールをつく乾いた音、バスケットシューズがフロアを擦る微かな摩擦音――そうしたものが『small iron of gold』の本拠スタジアム全体に反射して、やけに冷たく耳に届く。


そのコートでは、水川連たち既存メンバーと、プレミアム3連召喚で新たに姿を見せた英霊たちが、チーム内の序列を決めるための『3×3』を繰り広げていた。

鬼頭御影らの目的は、このチーム『small iron of gold』そのものを支配すること――というものの、状況はどうにも彼らの思惑通りには進んでいなかった。


その象徴のように、⑪番・丹埜十字がコートに崩れ落ちていた。

弍估が放った、電光石火のバックアンドブロー――裏拳が見事に顎を撃ち抜き、丹埜の三半規管を大きく揺らしたのだ。

世界がぐるりと回転しているような感覚に襲われた彼は、酔っ払いのように床へ這いつくばり、立ち上がるどころではない。


だというのに、プレイは止まらない。

3ポイントラインの外で淡々とドリブルを続ける弍估は、まるで何事もなかったかのように、いや、むしろ何倍も愉快そうに声を張った。


「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」


天使のように整った顔に不釣り合いなほどドヤった笑みを浮かべ、口角をきゅっと吊り上げている。

満足げ、というより“上機嫌を超えた何か”の表情だった。


――チーム構成は以下の通り。


①G:弍估(評価S+)186cm

②F:水川連(C-)191cm

③C:24(B-)206cm


  vs


⑪G:丹埜十字(B-)179cm → ノックダウン

⑫F:鬼頭御影(B+)181cm

⑬C:篠山口(B-)188cm


本来なら、力で『small iron of gold』を支配しようとしていた⑫番・鬼頭御影たち。

だが――いや、ようやく、というべきか。

御影はここへ来て、何かがおかしいのではないかと気づきはじめていた。


最初はただの“可愛いだけのお姉ちゃん”に見えていた弍估が、今は悪魔に見え始めている。

あの裏拳を目の当たりにした瞬間、恐怖するどころか、逆に心の奥がざわりと震えるほど楽しんでいるように見えたからだ。


狩る側ではなく、狩られる側――その認識が、鬼頭御影の中で確かに形を取り始めた瞬間だった。


≪何だ、この女。俺達にビビっていないのか。まるで眼中にない存在みたいじゃないか…。というか、完全に遊んでいやがる。②番のビブスを付けた英霊達の反応も何かおかしくないか。奴等からすると敵であるはずの丹埜十条が倒されたにもかかわらず、意気揚々とするどころか、逆に顔を強張らせているのは何故なんだ!≫


水川連たちにしてみれば、それは当然だった。

彼らにとって弍估は“我儘暴君”であり、無敵の象徴なのだ。

鬼頭御影ごとき、弍估の目には入っていない――というものの、それが逆に恐ろしくもあった。

敵である彼らの臓物が、次の瞬間にはコートに撒き散らされるのではないかと、本気で危惧していたのだから。


⑬番のビブスを付けたスキンヘッドの篠山口もまた、同じ違和感に囚われていたのだろう。

先ほどまでの余裕の笑みは消え、強張った表情で、淡々とドリブルを続ける①番の女――弍估へと鋭い視線を突き刺している。


その時だ。

弍估がまた、何か良からぬことを思いついたように、ドヤ顔のまま篠山口へ向き直り、口を開いた。


「見せてもらおうか。連邦のモビルスーツの性能とやらを!」


その言葉は『機動戦士ガンダム』でシャア・アズナブルが放った名台詞であり、ジオン軍の操縦士にとっては、何度も敗北を突きつけてきた“化け物じみた力”に対する畏怖がにじむものだったのだろう。

この場面に重ねるなら、連邦のモビルスーツというのは鬼頭御影たちを指している、と普通は考えるはずだ。


――というものの、水川連は心の中で盛大にツッコミを入れていた。


≪おいおいおい。何、勘違いしてくれちゃってるんだよ。誰がどう見ても、弍估の方が圧倒的性能の“悪魔的”新型モビルスーツだろ!≫


むしろ連邦の新兵器に怯えているのは自分たち側ではないか、と。

そして、既に我儘劇場を絶賛開催中のあの女――弍估は、ミジンコ並みに脅威度が低い相手がわざわざ歯向かってきてくれたこの状況を、全身で楽しもうとしているようにも見えた。


ゆっくりと、①番のビブスをつけた女がドリブルを再開する。

ボールのリズムに合わせるように、弍估の歩幅はじわりと前へ。

やがて、⑬番のスキンヘッド――篠山口へと標的を絞ったのか、視線がすっと落ち、そこへ向けて進み始めた。


水川連の瞳には、弍估の体から立ちのぼるドス黒いオーラがはっきりと映っていた。空気が重く、肌がひりつく。

「頼むから大惨事にだけはならないでくれ…」と、心の中で祈らずにはいられなかった。


『small iron of gold』内では暗黙の了解になっているのだろう。

鬼頭御影が味方へHELPに入れないよう、水川連たちは弍估へ向かう進路をしっかりと塞ぐ形になっていた。


そんな中、①番の女と⑬番のスキンヘッドの間合いが一気に縮まる。

距離にして1mを切ったあたりか。息をのむ間もないほどの接近戦だ。


ドリブルのまま仕掛けた弍估が、ギアを一段上げるように体を寄せ――

次の瞬間、『スピンムーブ』を鋭く繰り出した。

体を回転させながら顎先に裏拳を叩き込んだ、あの“⑪番・丹埜十字へのバック&ブロー”と同じ流れだ。


その光景が篠山口の脳裏に焼き付いていたのか。

彼は反射的に肩をすくめ、大柄な体を縮め、防御姿勢を取る。

「来る…!」と身構えた、その刹那。


しかし、弍估が放った打撃は予想外のものだった。


――カーフキック。


ふくらはぎ外側、腓腹筋のラインを正確にえぐるように、しなる蹴りが走る。

まるで蛇が足に巻き付くような軌道で、力というより“質”で足を刈る一撃だった。


その打撃は筋肉の奥にある神経を直撃し、痛みよりも先に“足がきかなくなる”タイプの神経障害を誘発する。

⑬番・篠山口は貧血を起こしたように体のバランスを失い、抵抗もできぬまま床へ崩れ落ちた。


絶対暴君の女――弍估の前では、スキンヘッドの男は為す術もなく刈り取られてしまったわけだ。

というものの、弍估はその未来を最初から見えていたのだろう。倒れゆく相手を見下ろしながら、用意していた“次の台詞”を誇らしげに放つ。


「このキュベレイ。見くびってもらっては困る!」


アニメ『機動戦士Ζガンダム』で、ハマーン・カーンが放った有名な台詞――永野護氏がデザインしたキュベレイを象徴する一言だ。

鬼頭御影の目には、その台詞を真似るように口角をつり上げた①番のビブスの女が、もはや悪魔にしか映っていなかった。仲間が次々と瞬殺されていく姿を見ていたのだから、そう錯覚してしまうのも無理はない。


スキンヘッドの男を仕留めた弍估は、というものの、まるで散歩の延長かと思うほど平然としている。

彼女からすれば“常日頃のルーティン”のようなものなのだろう。

当然のように、次の標的であるサラサラヘアーの長髪の男へ距離を詰めていく。


スクリーンにて進路を塞いでいた②番と③番の下僕たちは、目を合わせることすら避けるように後退し、その場を明け渡していた。

この光景を知らない者が見れば、可愛らしい女の子が半グレに追い詰められている――そんな誤解を抱いてしまうかもしれない。

だが、実際は真逆だった。女の方が完全なる“狩る側”。サラサラヘアーの男は、逃げ道を失った“獲物”。


⑫番の鬼頭御影は、その事実に気づきつつあり、目の前の女を“底知れぬ怪物”とさえ感じ始めていたのであった。


弍估は最後の獲物を見定めながら、ゆったりとした歩調でボールをドリブルし、いつもの“我儘劇場”となる独り言を始める。


「ザビ家の人間はやはり許せぬとわかった。そのケリはこの私がつけることにしよう!」


これもまた、『機動戦士ガンダム』でシャア・アズナブルがキシリアを仕留める前に呟いた台詞だ。

弍估と長髪の男の間合いは、刻一刻と縮まっていく。


こうして、①番の女による“⑫番・鬼頭御影との1on1”――いや、それすら名乗るのもおこがましい、一方的な殺戮劇場が幕を開けたのだった。


弍估は深く腰を落とし、小刻みにビートを変えながらドリブルを展開する。その姿は、完全に“戦闘モード”へと切り替わった戦士のようだ。

対する長髪の男も、やむなく腰を落として警戒し、じわじわと距離を取ろうとする。

この間合いなら、弍估のスキルをもってすれば超速シュートを撃つことも容易だろう。

というものの、彼女の狙いは“シュート”ではない。

対峙する男を、暴力で仕留めること――それのみが目的だった。


弍估が左右へフェイントを散らすクロスオーバーを仕掛けた瞬間、空気が鋭く震えたように感じられる。一気に間合いを詰め、そのまま体を寄せながらスピンムーブへ移行する。狙いは密着戦の押し込み。

鬼頭御影はその動きを読んでいたのか、回転して迫る彼女の背中を押し出し、体重をかけて弾き返そうとする。


――だが、押したはずの⑫番の男の方が、逆に体勢を崩していた。


≪この女の体幹強度は一体なんなんだ。体の中に錘でも仕込んでいるんじゃないのか。全然、動かねー!≫


まるで大木でも押しているのかと思うほど、微動だにしない。

男の恐怖指数は、そこから一気に振り切れた。

初めて触れた瞬間に悟ってしまったのだ――ここにいるのは人ではなく、“評価S+”と呼ばれるフィジカルモンスターなのだ、と。


というものの、その悟りに至るまでの時間はたったコンマ1秒ほどだったのかもしれない。

体勢を崩した彼のみぞおちに、弍估の“見えない一撃”が深く突き刺さっていた。


何が起きたか理解するより先に、サラサラ頭の男の体は、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちていく。

対する弍估は、規定動作を淡々とこなすだけ――そうとしか見えない落ち着きだった。


彼女の動きは止まらない。

流れるようなステップから、鬼頭御影の側頭部めがけて膝を跳ね上げる。

放たれたのは『コブラソード』。

ムエタイでは通常、膝蹴りは相手の胴を狙うものだが、この技だけは例外だ。脚を大きく振り上げ、まるで蛇が頭を狙うような軌道で、相手の頭部を撃ち抜く。


その凄惨な光景を見ていた水川連の目には、もはやバスケの試合などではなかった。

格闘家が、サンドバッグのように無防備な獲物を無慈悲に破壊する――そんな戦闘の一幕にしか見えなかったのだ。


次の瞬間、スタジアム全体が震えるほどの打撃音が響き渡った。

鬼頭御影の側頭部に炸裂した一撃は凄まじく、彼の体は漫画のワンシーンのように床から浮き上がる。


空中に放り上げられ、スローモーションのように回転していく鬼頭御影。

すでに意識は飛んでいたのだろう。というものの、受け身を取る素振りすら見せず、そのまま無防備に床へ叩きつけられた。


こうして――鬼頭御影たちが起こした反乱は、あまりにあっけなく幕を閉じることとなったのだった。

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