四話 新しき名のもとに

 ――天誅組の変は、指を折る間に終わった。大和に灯った火は広がらず、浪士は山へ散り、京に残ったのは不安の影だけ。

 八月十八日。御所の外で薩摩・会津が走り、長州は京の都を逐われる。町衆にとっては勝ち負けより、「また騒がしくなる」の一言で足りた。


 弥生も、その一人。祭りの奉公を終え、松葉屋から瓦版屋へ戻るところだった。


「弥生ちゃん、働き者やし助かったわ。もっと続けてほしかったわ」

 女将の笑顔に、弥生は一拍おいて頭を下げる。

「ありがたいんやけど……親父を見てやらな。長いこと家を放りっぱなしにはできまへん」

 嘘ではない。年寄りは、放っておけばすぐに症状が進む。

「残念やわ。元気でやりぃよ」

 女将と別れ、弥生は暖簾をくぐる。


「また気軽に寄りや」

 支度部屋から琴音が顔をのぞかせ、唇を尖らせてすぐ笑う。

「面白い話、山ほど溜めとくし」

 その調子に、弥生の口元も思わずゆるんだ。


 それからも琴音との縁は続いた。買い物のついでに支度部屋で世間話を交わす。瓦版に載せづらい座敷の裏話は、たいてい小声で落ちてき た。


 ――ある日。

「おい聞いたか、“壬生浪士組”が『新選組』いう名をもろたそうや」

「しかも会津さま預かりやて。御所の守りも仰せつかったらしいぞ。八月十八日の政変で長州が御所から追われたやろ。そのあと都の警護を固めるために、“新選組”の名を賜ったんやと」


 辻の立ち話が耳に刺さる。血の匂いを纏った呼び名に、今度は御所守りのお墨付きが重なる。

(……これは、ただの噂やあらへん。浪士崩れやのうて、“京の秩序”を背負う役目をもろたんや。……藤堂さんも、きっと鼻が高いやろな)


 筆を執る身として、どうにも興味をそそられる。気がつけば足は壬生へと向いていた。

 四条を西へ歩むうちに、人影はまばらとなり、土と藁の匂いが鼻をかすめる。賑やかな都の顔は薄れ、景色はしだいに田舎めいた色を帯びていく。

(……壬生は治安が悪うて、よう足を運ばんかったけど。なるほど、こんな土地柄なんやな)


 やがて一軒の大きな武家屋敷が目に入った。高い土塀がぐるりと囲み、表には黒ずんだ長屋門。出入り口には見張りらしい男が二人、槍を立てかけて立っている。中に見える者、出入りする者も羽織や袴の色もまちまちで、武家らしい者もあれば、町人風の着流しに刀だけ差した者もいた。門を覗くと石畳の土間、その先に母屋が構え、奥には白壁の土蔵が見えた。屋根は分厚い瓦葺きで、軒先には古い槇の木が影を落とす。


 柵の影から中をのぞき込む。

 広い中庭では、掛け声と木刀の乾いた音が響きわたり、十数名の浪士が汗を飛ばして稽古に励んでいた。薩摩、土佐、近江――耳慣れぬ訛りが入り交じり、夕陽に舞う砂塵が踏み込みのたびに胸の内側まで響いてくる。

(……これが“壬生浪士組”か)


 噂に聞いていた荒姿よりも先に、目に入ったのは懸命な背中だった。ふざけている者など、一人もいない。

(御所を守る、ね……ほんまに信じてええんやろか)

 腰に下げた布袋から走り書き用の小板と炭を取り出し、柵影に身を潜めて筆を執る構えをとる。


 そのとき、不意に背後から声が落ちてきた。

「……お前、こんなところで何してるんだ」


 振り返れば、藤堂平助。腕を組み、半ば呆れ顔で立っている。

(……見つかってしもうたか)


「“新選組”襲名、おめでとうございま〜す。お祝いも兼ねて――ちょっと見させてもらおうかと」


「見させてもらう、て……なにをだ」


「正直、世間じゃ“壬生狼”やと怖がられてます。けど、ほんまはどういう人らか、自分の目で見て書きたいんです」


 藤堂は瞬きをひとつして、肩で笑う。


「……やっぱお前、変わってんな。茶屋に潜ったときもそうや。危ないとこに首突っ込んで。怖くはないんか、俺らのこと」


「怖くないわけやないです。ただ……本当はどういう人達なのか、知りたいんです」


「瓦版に俺らのことを書くつもりか?」


「ええ。できるだけ、ほんまのことを」


 短い沈黙ののち、「はぁ」と兄めいた溜息がこぼれる。


 「……少しだけだぞ。見るだけだ。あんまり他の連中にちょっかい出すな。それと、瓦版に書くとか口走るなよ。堅物に聞かれたら、ただじゃ済まんからな」


 「ありがとうございます」

 弥生は深々と一礼した。

 (へへへ……これで潜入成功や)


 門をくぐると、石畳の上に夕影が伸びていた。中庭には訓練の声が響き、打ち合う木刀の音が乾いた空気を震わせる。藤堂の背に隠れるようにして進むと、ふっと鼻を刺す酒と煙草の匂いが流れてきた。


 どっかりとした体格の男が現れる。頬は赤く、目はぎらぎらと血走っている。弥生に鋭い視線を投げるや、頭の先から足の先まで舐め回すように見た。


 「おいおい、ここは女の来る場所やないぞ」


 「……芹沢さん」


 名を呼ぶと、獣のような目が細く光った。


 「藤堂、お前、屯所に女連れ込んでんのか」

 「彼女が新選組の見学したいと言うたので、少しだけならと。前回、奉行所の仕事を手伝ってもろたお礼も兼ねて」

 「仕事の手伝い?この、地味な町娘が?」


 「風間弥生と申します。瓦版屋の娘です。もしよろしければ、お話を少し伺っても――」

 「瓦版のことは言うなって」

 「瓦版の小娘?女は家で針でも持っとれ。男の世界に口出し無用。何も話すことはない」


 木刀の響きより鋭い言葉が胸に突き刺さる。喉が固まり、声が出ない。


 「芹沢さん、勘弁してください。この娘に害はありません」

 「……藤堂、お前、やけに庇うな。惚れてるんじゃねぇのか?」

 「そ、そんなこと――」

 言い終えるより早く、乾いた音が響いた。藤堂の頬に、芹沢の拳が叩き込まれる。

 「それとな。いつから俺に口答えできるようになった?」


 弥生は思わず藤堂の前に飛び出す。

 「やめてください。暴力を振るうなんて、仲間じゃないんですか」


 芹沢の唇が歪む。

 「ふん。女に守ってもらうなど、武士失格だ。好きにせえ。だが覚えとけ。ここは遊び場やない。血の匂いが染みついとる。首を突っ込めば、泣く羽目になるぞ」


 吐き捨てるように言い残し、背を向けた。残された空気は張り詰めたまま動かない。


 「いててて……気にすんな」

 藤堂は殴られた頬を押さえつつ、無理に笑みを作って立ち上がった。

 「あの方、どなたですか?」

 「芹沢鴨。新選組の局長の一人や。荒っぽいし敵も多い。でも腕と胆っ気は本物や。あの人がおるから京で名が立ったんも事実や」


 そのとき、背後から別の声がした。

「平助、どうした」


 二人が並び立つ。ひとり見覚えのある顔――高瀬川で助けてくれた人だ。

「土方さん、近藤さん、ご苦労様です」


「このお二人はどなたです?」

 弥生が小さな声でたずねる。

「右が土方歳三ひじかた としぞう、副長。剣も頭も切れる。左が近藤勇こんどう いさみ、局長。穏やかに見えて、腹が据わっとる」

 藤堂が誇らしげにささやく。


 「局長って……二人おるんですか?」


 「あぁ、以前は三人やったが、意見が合わずにな。今はこの二人や」

 藤堂が抑えた声で答える。


 土方の視線は氷のように冷たい。


 「……藤堂。女に稽古場の敷居をまたがせることは許さん。見物は外からだけにしとけ」

 「はい、入れてません。遠くから見させています。変なことはさせないよう見張ってます」


 弥生に視線が移る。

「ここは女の好奇心で踏み込む場所じゃねえ。肝に銘じとけ」

(ずいぶんぶっきらぼうな物言いやな……)


 近藤が一歩進み出る。

「まあまあ土方。怯えさせるな。――嬢ちゃん、怖がらせたな」

 穏やかな目で語りかける。

「俺たちは京を乱すためにおるんやない。町の者が安んじて暮らせるよう、力を尽くしてる。荒っぽいところはあるが……それだけは嘘偽りない。伝えてくれんか」


 血の噂とは違う言葉に、胸が温まる。

「……はい」


「近藤さんがそう言うならしゃあない。見ていけ。ただし稽古場や道場には足を踏み入れるな」

 土方が釘を刺す。

(土方さんは近藤さんを慕ってるんやな……)


「そうや。あの……土方さん。高瀬川では助けていただき、ありがとうございました」


 土方の眼差しが一瞬やわらぎ、口元にかすかな笑みが浮かぶ。


「……あぁ、あの時の嬢ちゃんか。あんな所を一人で歩くもんじゃねえ。いつか俺たちが危ねえ場所をなくしてやる。だから、それまでは大人しくしとけ」


 その後、弥生は礼儀を守り、真剣に見学した。

 木刀の音は絶えず響き、薩摩なまりも土佐なまりも、笑いなく真剣そのもの。ここは“剣を振りたい”群れではない。故郷を離れ、命を賭す覚悟を背負った連中だ。


「“浪士の群れ”と笑われるが、皆、守りたいものがある」――近藤。

「命を賭けねえ剣は意味がねえ」――土方。

「本気じゃなきゃ、生き残れん」――藤堂。


 三者三様。荒っぽいが、どれも偽りのない言葉だった。

(噂の“壬生浪”の根底にあるんは、命を削る若者たちの覚悟……)

 弥生は、瓦版に残すために走り書きを忘れなかった。


 ……とはいえ、顔は一つではない。

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