最終便「樋ノ口三丁目」——運行関係書類・記録・抜粋(編綴:営業所)
※締切に間に合わせるため、運行管理端末の出力、乗務員の手帳、車載カメラの音声書き起こし、ICログ、自治会からの要望書などを一冊にまとめた。正式な調査報告ではない。固有名詞は一部伏せる。(編:配車係)
1. 路線図(2024年度版/修正前)
A系統:駅前⇄樋ノ口⇄堀田山
B系統:駅前⇄東台⇄工業団地
C系統(朝のみ):駅前⇄高校前⇄堤外地
樋ノ口の停留所は「樋ノ口」「樋ノ口二丁目」「樋ノ口坂上」の三つ。
2. 住民要望書(自治会長連名)
件名:樋ノ口三丁目(仮称)停留所新設のお願い
高齢者の通院、買い物の利便性向上のため、樋ノ口三丁目交差点付近に仮設停留所をお願いしたい。
期間:5/1〜6/30の社会実験として。
バス停標柱は自治会で仮設、路側帯の白線内で停車可。
朝夕の通過交通少。児童の見守りは当番制を敷く。
印影は朱。住所の番地がかすれて読めない(提出者側の不備)。
3. 営業所内・回覧メモ(配車係)
ゴールデンウィーク明けより、A系統「樋ノ口三丁目(仮)」扱い。
車内放送は手動。運転席の停名リストに付箋貼付。
停車は申告制(降車ベル/口頭)。
IC端末の停留所コード、仮に**#H3**を割当(要清算注意)。
※コード登録は本来、本社システムが必要。今回は「試験運用」でローカルに登録(端末内に限る)。
※試験なので印刷の路線図には載せない。
4. 手動放送用カード(ラミネート/運転席脇)
「つぎは——樋ノ口三丁目、樋ノ口三丁目でございます」
注意:カード読み上げ時はマイクをONに。
お願い:夜間はボリューム小さめ(住宅地のため)。
裏面に丸い跡。カップの底? 油じみがうっすら。
5. 車載カメラ音声・抜粋(5/15・最終便A-17)
19:42:13
乗務員(独り言)「駅前出ます。…今日も雨か」
19:57:41
「つぎは——樋ノ口三丁目、樋ノ口三丁目でございます」
(合成音声ではない。男の声。小さめ)
19:58:07
(降車ブザー1回)
乗務員「はい、ありがとうございま——」
(雨音、ワイパー。ドア開閉音)
(子どもの声のようなもの?小さく。判別不能)
乗務員「足元、気ィつけて」
(ドア閉)
乗務員「…見えんな、標柱どこだ。三丁目の標柱、また倒れてる」
20:01:22
(前方からライト。対向車)
乗務員「(ため息)…右カーブ抜けて、堀田山手前」
※当日、雨。風。マイクのガサつきあり。
※「子どもの声」は雨の打音の可能性。音階に似た反復あり(後述)。
6. ICログ(A-17便/5/15)
駅前(乗):12
文庫通り(降):1
樋ノ口(降):2
樋ノ口二丁目(乗):1(高齢男性)
樋ノ口三丁目(降):1(端末ログ上の降車処理)
樋ノ口坂上(降):3
堀田山(降):6
備考:降車処理は、乗客のタッチまたは運転席側端末での手動処理で記録される。
樋ノ口三丁目については乗車記録なしのため、手動処理の可能性。
端末メモ:H3の降車単価は「樋ノ口二丁目と坂上の中間値」。手動設定(配車係)。
7. 乗務員手帳(濡れ跡あり)
5/12(晴):H3、バアちゃん(杖)がベル押した。手袋忘れ。
5/13(曇):H3、若い女、傘なし。停まっても来ず。
5/14(雨):H3、声する。放送小さめに。夜の拍子木?
5/15(雨):H3、降車1(処理)。標柱、倒れてる。
5/16(曇):H3、犬が道に座る。首輪なし。
5/17(晴):H3、電柱に花。誰?
5/18(晴):H3、誰もいないのにベル。
5/19(曇):H3、自治会、標柱撤去。
隅に丸で囲って「三丁目=無線死角」。
その横に小さく「音の癖:二打→間→一打」。
拍子木のリズムのメモか。
8. 無線交信ログ(要約/運行管理端末)
5/14 20:05
指令「A-17、三丁目付近、電波弱い。位置落ちてる」
A-17「了解。今、坂上へ向けてる。雨強い、標柱また倒れてる」
指令「自治会に連絡しておく」
5/15 19:59
A-17「三丁目、降車処理一件。誰も見えず。雨」
指令「了解。安全確認して続行」
5/18 19:56
A-17「三丁目、ベル入った。乗降なし」
指令「機械誤作動かもしれん。点検後回し」
9. 自治会チャット(抜粋/管理人に共有)
5/10
会長「三丁目の標柱、杭が浅かった。すまん、明日、打ち直す」
副会長「交差点の角、白い花と缶コーヒー供えられてた。去年の事故、命日かも」
5/14
会長「夜、拍子木みたいなカチ、カチ…カチって音しない?」
民生委員「聞こえる。火の用心の季節じゃないのに」
5/16
若い母「バスの声で三丁目って言うの、初めて聞いた。うちの子、三丁目なんて無いって言うけど、昔はあったの?」
会長「あった。正確には地名はある。住居表示で消えたようにみえるだけ。今は町内会的には…(続く)」
5/19
会長「標柱、撤去した。試験終了で」
10. 区役所道路管理課・回答(メール)
件名:樋ノ口三丁目交差点の停留所仮設について
交差点名は旧名であり、現在の住所表記には「三丁目」は存在しません。
当該地点への停車は道路交通法上、可。標柱の設置は仮設扱いで自治会責任。
標柱が倒れやすいとのこと、コンクリート基礎を推奨。
追記:当該交差点北東角、令和五年五月に交通死亡事故(小学生)が発生しています。花・供物の撤去はご遺族の意向確認が必要。
事故の詳細は添付(黒塗り)。
11. 車載機GPSログ(地図重ね合わせ)
5/12〜5/19のA-17最終便、毎回「H3」通過時に数秒の位置逸脱(道路から東側に2m)。
雨天時にズレが大きい傾向。
トンネル等はなし。
三丁目付近のみ、ズレの方向が一定。
地図上のズレ先は、道路の外側、白線のさらに外。電柱と側溝の間。
12. エンジニア点検票(IC端末/A-17)
降車ブザー:正常
端末:H3コード、ローカル登録確認。
操作履歴:運転席側での降車処理が5/12、5/15、5/18に各一件。
手動操作理由:記録なし(仕様)。
マイク:接触不良、雨天時、ノイズ混入。
備考欄に黄色ペン:「無線死角のとき、手動処理しがち」。
13. 忘れ物記録(5/12〜5/19)
折りたたみ傘(黒)
買い物袋(空)
白いリストバンド(反射材付き/小児用)
ハンカチ(青/刺繍:ひらがな一文字)
軍手(右のみ)
拍子木(片方)(木製/先端に白のテープ)
白いリストバンドは自治会の登校見守り用配布物と一致。
拍子木は誰の?——自治会では使っていないとのこと。
14. 乗客アンケート(車内紙/自由記述/深夜回収)
「三丁目で降りたいと言ったら、運転士さんが怖いくらい丁寧だった。声が小さくて、何度も**『足元気ィつけて』**って」
「雨の夜、三丁目で誰かの影が見えた気がする。白いものを巻いていた」
「去年の事故のことがあるから、**停まってくれるのはありがたい。**でも、停留所は…あったっけ?」
15. 家族からの便箋(コピー/営業所宛)
「昨年の事故のあと、うちの子は雨の日、バスの音に耳を澄ますようになりました。
『降ります、って言えたらね』と何度も言っていました。
三丁目で降車ベルが鳴ると、私は助けてくれているような気がします。
運転手さん、ありがとうございます」
便箋の下に水の輪。にじみ。「ありがとうございます」のところだけ二重線。
16. 営業所日報・配車係メモ(5/20)
三丁目、試験終了。端末のH3コード削除。
車内放送カード、廃棄。
標柱、自治会回収済。
最終便、乗降なしに戻る。
雨上がり。
机の端に拍子木(片方)。誰が持ってきたか不明。音を出さないようにビニールで包む。
17. 車載カメラ音声・抜粋(5/20・最終便A-17)
19:57:31
乗務員(独り言)「…つぎは——(無言)…坂上でございます」
(長いブレーキ音なし)
(窓に雨の跡、でも音はない)
(車内のどこかで軽い打音:二打→間→一打)
乗務員「(息を吸って)…すまん」
20:01:22
(通常運行)
打音は車内では記録されているが、外部マイクには入っていない(車内イベント音?)。
18. 配車係 私的メモ(下書き・未送信)
宛先:A-17 乗務員
件名:三丁目のこと
「樋ノ口三丁目は、地名としては存在します。
停留所としては存在させません。
昨年の事故の地点と、GPSのズレが同じ方向だと、昨日気づきました。
花と缶コーヒーは毎月二十日に新しくなっています。
あなたが手動で降車処理した日は、雨でした。
雨の日だけ、ベルが鳴る。
拍子木のリズムは、火の用心ではなく、交通誘導の合図に近いです(二打→間→一打、横断の合図)。
放送の声を小さくしていたのは、あなたでした。
あなたは、謝った。
誰に?
誰に、何に。
三丁目を、なくすのは簡単です。
コードを消すだけ。
放送カードを捨てるだけ。
標柱を撤去するだけ。
でも、雨は残る。
音は残る。
降りますは、言った人が降りるものです」
送信しなかった。送ってはならない気がした。
メモの端、紙コップの輪。
19. 端末のメニュー画面(写真/営業所パソコン)
A系統:駅前→堀田山
停留所コード一覧
H0 駅前
H1 樋ノ口
H2 樋ノ口二丁目
H4 樋ノ口坂上
——
(欠番:H3)
欠番は空白にならず、薄い灰色の帯。クリックすると反応が一瞬遅れる。
削除処理は完了のはず。遅延は回線負荷か。たぶん。
20. 苦情受付表(5/21)
「昨夜、三丁目で放送が聞こえました。停まらないのに言わないでください。子が夜泣きします」
「三丁目の花が荒らされていました。誰かが触った跡。缶が倒れて中身がこぼれてた」
「ベルが鳴るのに停まらないのは危険」
苦情の文言が似ている。同じ筆跡? ボールペンの強さが同じ。線の終わりに強い点。
21. バスジャック訓練マニュアル(抜粋)
不審な停留所での停車は避ける。
乗客の申告と路線図の整合を常に確認。
見えない乗客への反応(空タッチ)は厳禁。
車内放送は合成に戻す。手動は危険。
端に赤鉛筆で「見えないって何」と書き込み。線で消した跡。
22. 車内放送・合成音声切替依頼(本社宛)
件名:A系統 手動放送から合成への切替
事由:新設実験の終了、苦情、乗務員負担軽減
期日:5/25以降
備考:H3は存在しないため、文言の生成対象外で。
本社からの返信:
「了承。H3は端末ごとに残留している可能性。出荷時に無いコードは消えにくい」
「合成音声へ切替は即日可能」
23. 合成音声テスト(A-17/5/25)
19:57:31
「つぎは——樋ノ口坂上、樋ノ口坂上でございます」
(通常音量/女声)
(降車ブザー1回:記録)
(運転席端末:無入力)
(ドア、開かず)
(打音:二打→間→一打。録音なし)
「(合成音声)ドアが**開きます。**ご注意ください」
(ドア、開く)
合成音はドア制御と連動。
運転士はボタンを触っていない。
誰が開けた?
記録上は降車ベルから合成音まで自動。
雨は降っていない。
24. 路面マーキング(写真/H3付近)
白線の外、側溝の蓋に薄い擦れ跡。小石が磨かれて丸い。
電柱の根元、コーヒーの染み。
花束、新しい。透明のセロが鳴る(風)。
リストバンドの片割れ。濡れていない。
拍子木の音はしない。耳の中で鳴る。
25. 退職願(乗務員・手書き)
「五月の雨の日、樋ノ口三丁目で、子どもの声がしました。
私は声が小さい人間です。
謝るのが癖です。
三丁目に停まるとき、心の中で『すまん』と言いました。
降りる人がいると思ったからです。
降りますと言えなかった人のために、手動で処理しました。
拍子木は誘導の合図です。
横断のタイミングをあなたが決めるのはやめなさい。
三丁目がないと言われても、道はある。
道は残る。
音は残る」
願は受理されず、保留。健康診断、異常なし。
配車係の欄に空欄の印。
26. 配車係・机の引き出し(中身)
合成音声カード(旧)。
H3付箋。
拍子木(片方)。布に包む。
白いリストバンド(小児用)。
IC端末の予備電池。
缶コーヒーの空き缶(フタ開け済)。
便箋の切れ端(「ありがとうございます」の二重線の部分だけ)。
引き出しを閉めるとき、軽い音がする。
二打→間→一打にはならない。
一回だけ鳴る。
カチ。
27. 配車係・私的覚え書き(最後)
H3のコードは消した。
標柱は無い。
合成音は正しい。
地図は正しい。
三丁目は地名としてある。
事故はあった。
花は新しい。
缶は倒れる。
ベルは鳴る。
降りますは言えないことがある。
手動の処理は消える。
ログは残る。
声は残る。
雨の日だけ濃い。
明日、私は休む。
合図の音は出さない。
横断はしない。
缶を拾って、花を立て直す。
それだけをする。
それしか、できない。
28. 追補:営業所共有メモ(6/1)
最近、H3付近で、最終便のドアが一瞬開く事象あり。乗降なし。
合成音声は「ドアが開きます」まで出る。
ベルの記録もなし。
事故現場の花は、毎日新しい。
誰が置くのか不明。
缶はいつも同じ銘柄。微糖。
「微糖」という言葉の横で、誰かが「謝罪の味」と書いて消した。
29. 最後のログ(A-17/6/10・小雨)
19:56:58
合成音声「つぎは——樋ノ口坂上、樋ノ口坂上でございます」
(降車ブザー、なし)
(運転士、無言)
(道路、濡れ)
(前方、傘の影。白い)
(端末、反応なし)
(打音:二打→間→一打。車内)
(合成音声「ドアが開きます。ご注意ください」)
(ドア、開く)
(子どもの笑い声に似た波形——雨音の重なりと判断)
(ドア、閉)
19:57:31
合成音声「ありがとうございました」
録音に揺らぎ。小雨。
配車係はその刻、停留所コード一覧の画面を開いていた。
H3は、無い。
灰色の帯も、無い。
何も、無い。
それが、いちばん、安心だ。
そう、思えれば。
(読み解きのための断片)
H3(仮コード/ローカル登録/消しても癖が残る)
二打→間→一打(交通誘導/横断の合図)
手動の降車処理(運転席端末側)
GPSのズレ(道路の外、側溝と電柱の間)
白いリストバンド(見守り/小児)
花と缶コーヒー(命日/毎月二十日)
合成音声「ドアが開きます」(ドア制御と連動)
「すまん」(誰に言った?)
地名としてはある/停留所としてはない(現実の上書き)
終わりに(配車係)
この束は、運行のために集めた紙だ。
雨の日は紙が重い。にじむ。音だけが軽くなる。
降りますと言った人は、降りただろうか。
言えなかった人は、降りられただろうか。
三丁目はない。
地図にはない。
標柱はない。
コードもない。
でも、道はあった。
側溝と電柱の間に、小さな場所が。
そこに雨は落ちる。
そこに合図は残る。
そこに、誰かの**「降ります」が、落ちる。
手動で処理しなくても、合成が開ける**。
誰が命じた?
誰が聞いた?
誰が謝った?
——きっと、誰も。
——きっと、みんな。
※以上で編綴を終える。
私は配車係だ。
路線と時間を整える。
停留所は書けばできる。消せば無くなる。
紙の上では、いつも。
紙の上では、いつも、事故は起きない。
紙の上では。
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