魔術学のすゝメ

樋ノ厄見

講義1 目覚めのない日々

1.プロローグ〜はじまりの高台

 ほの暗く静謐せいひつな空間に震える吐息のがかすかに響き渡った。

 

 壁を背にして、血の気の引いた顔で座り込む少女が一人。


「どうして……うぅ」


 その薄墨色の瞳には困惑や絶望、後悔、恐怖といった感情がない交ぜとなって見え隠れしている。


「ひぐっ……そんなの……」


 嗚咽おえつが漏れた。


 誰かに責め立てられるのを必死で抗うかのように、少女はしきりに首を横に振っている。


「……さよなら」


 そんな様子はお構い無しに、見つめる先から冷酷な一言が返ってきた。


 頬を濡らす少女に向けて無慈悲で不可避な魔術の閃光が放たれた。


「ッ!!?」


 終わりを覚悟した瞬間、眼前に黒い影が割って入った。


 直撃はあった。


 ……はずなのに。


 それは物理的な破壊を生まず、代わりに力が消失するように四方に光の粒を霧散させていった。


「――ラ君、無事かい!?」


「あ……先せ……」


 涙でにじんだ視界に漆黒の外套を身にまとった魔術師の横顔が飛び込んできた。




◇ ◆ ◇ ◆




 伯楽はくらく郡は東と南を海に、残り二方向を深い山に囲まれた起伏の多い土地である。


 古くはこの地を中心に国家が栄えていた時代もあった。

 これには天然の城壁のようにそびえ立つ山々が外部からの侵攻を妨げるのに適していたことが理由の一つとして挙げられる。


 しかしながら、隆盛あれば衰退は付きもの。


 栄華を極めたその国もいつしか滅び去り、人々は利便性を求めて他の地へと散り散りになっていく。

 そうなれば、あとはただただ人の往来を拒絶する土地だけが寒々しく残る。近年まで誰の記憶からも忘れ去られたかのように古の建造物が立ち並び、ゆっくりと朽ちゆくのを待つのみであった。


 ところが長年に渡って外界から見放されてきたことが功を奏したのか、これら建造物に対する歴史的価値が徐々に見直されていくこととなる。

 ついには今の行政が保存と観光重視に舵を切り、歴史保全地区として指定された区画には一定数の観光客の姿が目立つようになった。

 ここ30年くらいの話だ。


 そこから東に隣り合って位置する陽浴あび市。

 この街は歴史保全地区内で仕事に従事する人が多く移住しており、伯楽郡の中でも比較的新しい住宅が建ち並ぶベッドタウンとしての役割を担っている。

 陽浴市もまた周辺の土地同様に平坦な場所が少なく、それ故に住宅は山の斜面に沿って建ち並んだり、高台の上に乱立する傾向があった。


 陽浴市内のとある高台、海を望む見晴らしの良い一角に少女の姿があった。

 両耳の上辺りで一部だけをリボンで軽くまとめ上げられた長い髪は純白そのものであり、後ろから見るとまるでヴェールをまとっているかのように風になびいている。


 刻限は昼時を過ぎ、やわらかな陽光が降り注いでいる。光の反射を受けた髪が時折あかあおにもきらめいて見えるから不思議なものである。

 海の向こうを仰ぎ見る彼女の瞳は、丸く縁どった眼鏡越しでもどこか悲しげな色合いを覗かせていた。


 遠く上空で翼を広げた鳥達が「ピィー」と鳴き声を響かせながら、海上に向けて飛び去っていった。

 その様子を目で追いかけながら少女は何度か瞬きし、長いまつ毛を揺らした。

 それまで両の手で握りしめていた日除け用傘をゆっくりと広げながら、


「――行こう」


 そう一言だけつぶやいて、海を背に歩み始めた。






 高台は麓から頂上まで一本の坂道で繋がっており、その道に沿うように木造の住居が建ち並んでいる。

 さっきまで少女がいた場所は坂の途中から道を少し逸れたところにあった。


 少女は坂道まで戻ると、一呼吸おいて頂上に向けて登り始めた。

 初春のまだ寒さが残る時節であるが、よく晴れた日中に坂を登るのはなかなか骨が折れる。日傘を持つ手が少しずつ汗ばんでいくのが感じられる。


 ようやく道の終わりまで辿り着くと、他の住居と比べて随分と立派な造りの屋敷が現れた。屋敷の外周には広い庭があり、その庭を生け垣がぐるりと囲っている。


 少女は生け垣に挟まれた鉄門をくぐり、庭を横断して屋敷の入口に立った。


 日傘をたたみ、ここまで登ってきて少し乱れた呼吸と丈の長いスカートの裾を整えてから、門扉に備え付けられた呼び鈴に手をかけた。


 軽快な音が屋内に反響していくのをしばし聴き入っていると、やがて中からパタパタ音がして扉が開かれた。


 姿を現したのは恰幅かっぷくのいい壮年の女性であった。


「あ、こんにちは。マチダさん」


 マチダと呼ばれた女性は扉の前に立つ少女を認めるとニッコリと笑みを浮かべた。


「まあ、久しぶり! サラちゃん、少し見ない間に随分と大人びたんじゃない?」


「そ、そうですか?」


「ええ、そうよ。ふた回りくらいは背が伸びたんじゃないかしら」


 純白の髪の少女、サラは照れた表情を見せながらマチダの姿を眺めた。

 マチダはこの屋敷の使用人でサラが幼い時分からの顔馴染みだ。ここを訪れるのは何年かぶりで最近は会う機会がなかったが、以前と変わらない様子に少しホッとした。


「マチダさんも変わらず元気そうで良かったです」


「力仕事も多いからね。体力はまだまだ衰えていないよ」


 マチダとの少しばかりのやり取りでサラは元気を分けてもらえた気分になった。


 だが、すぐに今日の訪問理由を思い出して表情が曇ってしまう。


「それで……カナちゃんなんですけど」


 言いづらそうにするサラ。

 マチダもその様子を見て、真剣な表情に切り替えた。


「ええ、そうよね……。ごめんなさいね、家の前で立ち話をさせてしまって。さあさあ、中に入ってちょうだい」


 サラはマチダに勧められて屋内に足を踏み入れた。


 エントランスは広く奥行きのある間取りとなっており、左右と中央に一つずつ扉が見える。

 左の壁に沿って伸びる階段が2階に突き出たバルコニー部分に繋がっている。


 階段の途中には家族が揃った大きな絵画が飾られているし、玄関上方を仰ぎ見れば天井近くまである見事なステンドグラスまではめ込まれていて、ひと目見ただけで建物の豪勢さが伝わってくる。


 マチダが階段の方に向かって歩き出したので、サラはその後ろに付き従った。


 2階に上ると、バルコニーから奥へと廊下が続いているのが見える。

 廊下を進んだ真ん中付近、左手にある扉の前でマチダは立ち止まった。


「サラちゃんが来てくれましたよ!」


 扉をノックして、彼女は部屋の中にも届くように声を張り上げた。そして、サラの方を振り向いて、


「お茶を入れてきますので、先に入っててちょうだいな」


 そう言って入室を促した。


 サラはゆっくりと扉を開け、中を覗き込んだ。

 部屋は長方形で扉から見て右側に長い構造となっている。日中なのに薄暗いと感じるのは、前方の窓と奥のベランダに出られる扉がカーテンで締め切られているせいだろう。


 恐る恐る中へと進むと部屋の奥側に寝台があり、その近くの椅子に座る人影が目に入った。


「ユウホ兄さん……」


 項垂うなだれるように腰掛かけている青年がサラの声に反応して、少し億劫おっくうそうに上半身を起こした。


「……やあ、サラちゃん。久しぶりだね。来てくれたんだ」


 この屋敷の住人のユウホはマチダ同様にサラとは昔馴染みである。

 マチダの変わらない姿に安心したサラであったが、同じ感情はユウホを見ても湧いてこなかった。見るからにやつれていたのだ。元々華奢な体型であったのが、より一層といった感じだ。


「ユウホ兄さん、大丈夫? ひどいクマ……」


「ん? ああ。ちょっと最近寝付きが悪いだけだよ。俺は大丈夫……それに比べればカナエの方がね」


 ユウホは少し伸びた前髪をかき上げながら、寝台の方に目を向けた。サラもそれにつられて視線を移すとそこにはユウホと同じ赤い髪色をショートカットにした少女が横たわっていた。きちんと整えられた寝具に包まれて目をつむる少女はただただ眠っているように見える。


「寝ているだけに見えるよね。でも、ずっとこのままなんだ」


「……起きないの?」


「うん、ちっとも」


「一体どうして?」


「わからない。治療師にも診てもらったけど、さっぱりだった」


 淡々と語るユウホの顔は常に微笑を帯びていたが、眼は悲壮感を隠せていない。


 きっと笑っていないと気持ちを保てないのだろう。

 

 サラはその様子を見ただけで胸が苦しくなった。



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