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人間はなぜ走るのかへの応援コメント
走りたいとは全く思いませんし、速さを追及すれば必ず、地べたに落ち臥せっている小さな命を踏みつけても気がつかないものです。私はそんな生き方は真っ平ごめんです。
「いつも最も低い場を選び我等は流れる」という韓国の民衆歌謡の一節が好きです。
拝復
不躾なコメントに丁寧にご回答頂きありがとうございます。「人間は」と主語があまりにも大きすぎるので、つい感じたままの違和感をぶっちゃけてしまいました。すみません🙇
今日も明日も、私はゆっくり、ゆっくり歩いていきます。
スタートの号砲 速いはえらいから
順々につく いのちの値札
お粗末様ですm(_ _)m
作者からの返信
野栗さん。コメントありがとうございます。
異なる意見の存在も視野に入れさせていただきます。もし感情を傷つけてしまったのであれば、意図的ではありませんのでご諒恕ください。韓国歌謡の一節を聞いて、仰ることの意味を理解しました。
人間はなぜ走るのかへの応援コメント
確かに、不健康を顧みない生活をこなすレベルでは、必要なくなってきているのかもしれませんね。
大地を自由帳に例えると、足跡は点字です。
走ると鼓動がはやくなるので、楽譜にすれば音符になります。
情報量が増えます。
なぜ走るのか、私にとっては、この世により多くの色光の字を残したい、そして音の符を残したい、そんなところです。
作者からの返信
加賀倉 創作さん。コメントありがとうございます。
つねづね「歩くこと」を推奨されている創作さんのご高説に賛同いたします。
私は体力の衰えを感じた頃からジョギングを始めましたが、どんなに鍛えても若い頃には及ばないのに、なぜ走るんだろう、と自問したところからこの詩が生まれました。
人間はなぜ走るのかへの応援コメント
それぞれがある種の相対的存在だからこそ走るのでしょうね。絶対的自分にするための手段の一つとして、走る。そこには良いとか悪いとかなくて、ただ淡々と、走る。自分にとっての走るは、こうかなぁ。。
作者からの返信
μεράκι(めらき)さん。コメントありがとうございます。
なるほどたしかに、全能の神は走る必要がなさそうですね。走っている姿が想像つかない(笑)韋駄天などは分業なので、思い切り走っていますが(^^)