第30話 死にゲー廃人、初の大罪戦

 黒霧の森に足を踏み入れた瞬間、世界が切り替わった。

 湿った空気が肌にまとわりつき、視界がみるみる暗転する。

 灯りを灯そうにも、黒霧が光を呑み込んでしまう。


「本当に何も見えないんだな」


 足元の土を軽く蹴り、音の響きを確かめる。

 わずかに返ってくる反響が、木々の密度と距離を教えてくれる。


 その時、森の奥から“音”がした。

 風でも動物でもない。

 重い靴音。一定の間隔で地を踏みしめ、こちらへと近づいてくる。


「……来たか」


 足音はぴたりと止まり、沈黙が落ちた。

 そして耳の奥に響く高めの声。


「あっはっは、またバカが来たようだねぇ~」


 本来、モンスターの頭上には名前とレベルが表記されるはずなのだが、表記されていない。

 場所を把握させないようにするためだろうか。


「ボクの名は傲慢の大罪『ヒュブリス』。まぁ覚えなくてもいいよ。すぐに死ぬだろうから」


 暗闇のどこからかそんな声が聞こえてくる。

 俺は黒の双剣を抜き、静かに構える。

 しかし、その直後――空気が歪んだ。


「――ッ!」


 反射的に身体を横に跳ねた瞬間、耳元を何かが通過した。

 風圧で頬が裂け、血が霧に溶ける。


「はやっ……!?」


 少しでも反応が遅れていれば首が飛んでいた。

 それこそ焔竜との実戦経験がなければ間違いなく死んでいただろう。

 他のプレイヤーが即死するのも納得がいく。


 視界ゼロ。頼れるのは音と振動だけ。

 音の遅れを計算し、振動の伝達方向で軌道を読む。


「……っぶね!」


 空気が震えると同時に、前へ転がって回避。

 足裏から伝わる地の震動が、敵の踏み込みを告げる。

 刃が頭上をかすめ、髪が舞う。


「次は左か……!」


 その一撃一撃が、命を刈り取るように放たれる。

 目が使えない状況で、俺の脳は異常なまでの速度で情報を処理していた。

 音、温度、空気の流れ、地面の硬さ、呼吸の間隔――

 全てを拾い、再構築して予測し、反射で動く。


 まるで思考を飛び越えて本能だけが操作しているような感覚。

 意識が白熱し、世界がスローモーションのように感じられる。


「……気分悪いねぇ。見えてないのにどうしてそこまで避けられるの?」


 ヒュブリスの少し苛立ちが混じった言葉が暗闇に響く。

 その言葉に返す暇もなく、再び音が走る。

 それを予測して躱す。また予測して躱す。

 避けて、避けて、避け続ける。


 それから三分が経過した。

 心臓が爆音を立て、鼓動が鼓膜を叩く。

 自分の鼓動ですら邪魔なノイズになるほどに音が脳内で情報が入り乱れていた。


 ヒュブリスは笑いながら囁いた。


「こんなに耐えられたのは久しぶりだよ。でも面倒だからそろそろ終わらせるね」


 すると次の瞬間、ありえないことが起きた。


(音が二つになった……!?)


 真右と真左。

 先ほどまで一つだったのに、同時に地を蹴る足音が聞こえた。

 どちらにも反応することはもう間に合わない。

 反射で俺は右を選ぶ。


「うぐっ!」


 しかし左方向からの強烈な衝撃が俺を吹き飛ばした。

 俺の身体は宙を舞い、木に衝突する。

 肺が押しつぶされ、HPゲージが一撃で全て刈り取られる。


 朦朧とする意識の中、最後に見えたのはヒュブリスの嘲笑うような笑みだった。


「あっはっは! また出直してきてねぇ~」


 そんなヒュブリスの言葉と共に、俺の意識は途切れた。



「っ、く……」


 目を開けると、そこは黒霧の森の近くに設置していた簡易キャンプ。

 頭の中がまだぐらぐらする。

 画面の隅に冷たいメッセージが表示された。


『死亡しました。デスペナルティが発生します』


 俺は深く息を吐き、丸木に腰を下ろした。

 身体は疲労していないはずなのに、脳だけが異様に重い。

 それほどまでに集中していたのだろう。


「……面白いな」


 思わず笑いが漏れる。

 これまで感じたことのないような面白さが、あの戦闘にはあった。

 まだ分からないが、ヒュブリスが焔竜より強いのかと問われたら否と答えるだろう。

 俺の想定では100レベルほど。

 音を聞いてからでも避けられる時点で焔竜より攻撃は速くない。。

 それに攻撃事態も最後の音が二つになったところ以外は理不尽なものはなかった。

 初見だったため、情報が混乱したが、音で攻撃モーションを理解できるようになればさらに楽になるはずだ。


 要するに七つの大罪だからと言ってエンドコンテンツであるわけではない。

 一つ目の大陸にいる以上、何かしらの攻略チャンスはある。

 だからこそ他のプレイヤーも彼に挑もうとしているのだろう。


「意外と避けれるもんだったな」


 ちなみに俺はあの戦いを勝つ気ではいなかった。

 ステータスポイントすらまだ振っていないのだ。

 ただ俺は傲慢の攻撃パターンと初見殺しがないか、そしてヒュブリスの情報を得てステータスの振り方や作戦を考えたかった。

 俺が反撃をしなかったのもそう言った理由だった。


「まぁ今のままじゃ勝てそうにないな」


 俺はあっけらかんとした口調で言った。

 視界無しで戦うには、もっと脳を鍛えなければならない。

 脳内の情報処理の速度そのものを上げる必要がある。

 これまでよっぽど視界と反射速度に頼っていたのかが分かる。


「あの時、脳の処理が追いついてなかった。鍛錬不足だな……」


 左右から二つの音が鳴った時、もし脳の処理が速ければ双剣の一本を左に投げて右を処理するなどの判断も出来た。

 その可能性をあの瞬間で出せない時点で自分の脳の処理不足。


 立ち上がり、俺は夜空を見上げた。

 死にゲーと違ってエクリプスは死ぬ度にデスペナルティが蓄積される。

 攻撃パターンを覚えたいからと言って無暗に戦うよりは一日ごとなど時間を空けて戦った方が良さそうだ。

 それに俺には他にもやりたいことがあった。


「次こそは必ず仕留める」


 そう呟いて俺はログアウトメニューを開く。

 この敗北を次への糧にするために、一度エクリプスからログアウトした。



 俺はゆっくりとベッドから体を起こす。

 時計を見るとまだ午後九時。まだ寝るには勿体ない時間だ。

 だからこそ俺は傲慢の大罪であるヒュブリスを倒すために訓練をすることにした。


「よし、アレをやるか」

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