第30話


部屋の中には静寂が漂っていた。

夕暮れの光が窓から差し込み、メアリ(メアリ)の頬をやわらかな黄金色に染めていた。

ヘイタン(ヘイタン)は彼女の正面に座ったまま、その穏やかな仕草を見つめていた。

ほんの一瞬、世界の重みが遠のいたように感じられた。


「それで……」メアリが静かに口を開いた。

「これまでの話を聞かせてくれたけど、これからの次の一手は?」


ヘイタンは深く息をつき、肘を重厚なオークの机に乗せた。

「君が真実を知った今、早く動く必要がある。

第一王子とあの妹が仕組んでいる陰謀の証拠を持っているんだ。

私の部下が文書と証言を集めてくれたが、まだこちらへ向かっている最中だ。」


「あとどのくらいで届くの?」とメアリが身を少し乗り出した。


「三日、天候が良ければ四日だろう。」

彼は眉をひそめた。

「だが、クーデターが起こるのはおそらく一か月以内。

止めたいなら、それまでに作戦を立てなければならない。」


メアリは考え込むように視線を落とした。

「もし、その三日の間に何か起きたら?」


ヘイタンは目を上げ、口元にかすかな笑みを浮かべた。

「そのときは……運が悪かったということだ。」

軽く冗談めいた口調だった。


メアリは思わず小さく笑った。

どんなに緊迫した場面でも、ヘイタンは空気を少しだけ和らげる術を知っている。

「本当にあなたって人は……困った殿下ね。」


「“ヘイタン”でいい。」

まっすぐに見つめられ、メアリは思わず視線を逸らした。


その瞬間、二人の間の空気が少しだけ変わった。

遠くから雨が窓を叩く音が聞こえ、二人の鼓動が静かに重なっていく。

メアリはゆっくりと立ち上がり、スカートの裾を整えた。


「今日は話せてよかった。」

彼女は穏やかな笑みを浮かべた。

「なんだか……この話を聞けて、少し肩の力が抜けた気がする。」


「こちらこそ。」ヘイタンも立ち上がり、軽く頭を下げた。

「君が否定せずに聞いてくれた。それだけで十分だ。」


メアリは扉へと向かい、取っ手に手をかけた。

だが、出る直前に振り返って言った。


「ねえ……この新しい人生、思っていたよりもずっと悪くないの。

——あなたのおかげで、そう思えるのよ。ヘイタン。」


その言葉に、ヘイタンの胸が激しく高鳴った。

幾多の戦場を駆け抜けた彼が、今だけはまるで恋に戸惑う青年のようだった。

メアリはふわりと微笑み——どんな鎧よりも強固な心をも溶かすその笑顔を残して、扉を閉めた。


静寂が戻る。

風の音が部屋を満たし、ヘイタンは窓際へ歩み寄った。

城の塔に反射する月光を見つめながら、呟いた。


「どうして……こんなに胸が高鳴るんだ?

ただの、ひとつの笑顔なのに……。」


その夜、アルドリア王国の第二王子ヘイタンは初めて気づいた。

どんな戦略にも、どんな称号にも勝る力——

それは、“守りたい”と思わせる、たったひとつの微笑みだった。

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