第27話
雨がまだ髪を伝って流れる中、王子は静かに息を吸い込んだ。
マリーがその手を握ると、彼は低い声で言った。
「……マリー。今こそ、すべてを話す時が来た。」
その言葉の重さに、マリーは思わず彼の瞳を見つめた。
だが、王子はすぐに視線を外し、静かに続けた。
「けれど……まだ時間はある。焦る必要はない。
君には、落ち着いて聞く権利があるから。」
灰色の空を見上げ、彼は疲れたように微笑んだ。
「それに……俺たちはずぶ濡れだ。まずは体を温めて、少し休もう。
俺も少し考える時間が欲しい。」
「ですが、殿下……」とマリーが口を開きかけたが、
王子は穏やかに手を上げて遮った。
「明日、朝日が昇ったら話そう。必ず、すべてを話すと約束する。」
その瞳には深い疲労が滲んでいたが、言葉には確かな決意があった。
マリーはただ頷くしかなかった。
王子は背を向け、泥に濡れた靴跡を残しながら廊下を去っていった。
その姿が城の奥へと消えるまで、マリーはただ黙って見送った。
――それから、幾時間も過ぎた。
葬儀の後の城は、まるで時間が止まったように静まり返っていた。
マリーは眠れず、夜通し部屋の中を歩き回っていた。
すでに十三時間が過ぎていたが、心のざわめきは一向に収まらない。
「お嬢様……」
エステファニーが心配そうに声をかけた。
「そんなに歩き続けては倒れてしまいます。少しお休みを。」
マリーは髪をかきあげ、疲れたようにため息をついた。
「落ち着けるわけないでしょ、エステファニー。
殿下は“すべてを話す”って言ったのに……今、私は何も知らないまま。
あの時、無理にでも聞くべきだった……!」
エステファニーは静かに彼女を椅子に座らせた。
「すべてのことには、時があるのです。
心が準備できていなければ、真実は刃になるだけですわ。」
マリーは目を伏せ、小さく呟いた。
「……あなたは? リーナが亡くなってから、平気なの?」
エステファニーはかすかに微笑んだ。
それは悲しみを含みながらも、穏やかな表情だった。
「リーナは、いつだって一番勇敢な人でした。
信じるもののために命を懸けた彼女は、きっと今は安らぎの中にいるでしょう。
……私たちを見守って。」
マリーはその手を握りしめた。
「ええ……そうね。きっと。」
その瞬間、ドアを叩く音が三度響いた。
エステファニーが立ち上がって扉を開けると、衛兵が恭しく頭を下げた。
「マリー様。王子殿下がお呼びです。私室にてお待ちとのこと。」
マリーの心臓が大きく跳ねた。
深く息を整え、ドレスの裾を直すと、彼女は王子の執務室へと向かった。
長い石造りの廊下には、松明の光がゆらめいている。
足を進めるたびに、心の鼓動が高鳴り、空気が重くなっていく。
扉の前に立ち、彼女は三度ノックした。
「入れ。」
落ち着いた声が中から聞こえた。
マリーが入ると、王子は窓際に立ち、雨に濡れた中庭を見下ろしていた。
「座ってくれ。」と指で椅子を示し、続けて言った。
「エステファニー……今夜は二人きりで話したい。」
エステファニーは静かに一礼し、部屋を出て扉を閉めた。
音が消え、沈黙が落ちた。
「体調はどうだ?」
王子がゆっくりと振り返り、マリーを見た。
「怪我はありません。ただ……少し疲れが。」
マリーの声にはわずかな震えがあった。
王子は頷き、彼女の前に腰を下ろした。
「そうか。それを聞いて安心した。」
しばしの沈黙の後、彼は真っ直ぐに彼女の瞳を見据えた。
「マリー……これから話すことは、君の信じてきたすべてを変えるかもしれない。
俺についても……そして、俺たちの運命についても。」
マリーは喉が詰まりそうになりながら答えた。
「……聞く覚悟はできています。」
王子は深く息を吸い、両手を組んだ。
そして、静かに告げた。
「俺がこれまで話してきたことは——すべて、真実だ。
……俺は、“未来”から来た。」
その言葉が放たれた瞬間、部屋の時計が止まったように感じた。
マリーは動けなかった。目を見開いたまま、心臓が激しく打ち鳴る。
世界が一瞬、音を失った。
彼の言葉が、現実か夢かさえ分からなかった——。
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