第10話 病みの片鱗②

 結局俺は糸さんに逆らえるはずもなく女子トイレの中に入ってしまった。

 連れられたのは2年生の教室がある2階の女子トイレ、その中の1番奥の個室である。


 女子トイレってこんな感じなんだ、なんて感想は全く湧いてこず、ただただ汗が止まらない。


 なんで俺はここに連れてこられたのか。糸さんは明らかに怒っているようだけど思い当たる節が見当たらない。

 今まで何か迷惑をかけることがあったら絶対に謝っているし信頼はされていると思っているのだけど。


「ここなら逃げることは出来ませんね」


「え?」


 不気味な笑みを浮かべる糸さん。今まで見たことの無い笑顔。いや、笑顔と言っていいのか分からない。

 まるで獲物を追い込んだ時の肉食動物のような……いや、糸さんに限ってそんなことはありえない。


「改めておはようございます幹くん」


「おはようございます」


 女子トイレの中だし大きな声は出せないな。もし中に人が入ってきてこんなことになっているのがバレたら俺は社会的に終わる。


「まずここにお呼びした理由ですが、逃げられないようにするためです」


「何からですか?」


 てかそもそも逃げる、って何からだよ。糸さんと話すことは楽しいし何か言いたいことがあるなら誠心誠意受け取るのに。

 俺って自分が思っている以上に糸さんの事が分かっていないのかもしれない。


「この写真についての弁明をです」


 彼女はポケットからスマホを取り出すと1枚の写真を俺に見せてきた。


「これは…」


 写っていたのは俺と叶愛が二人で仲良く喫茶店で話している写真だった。

 これって土曜日のライブの後に行った喫茶店のやつだよな?


 あの時何かあったっけ?


「私の友人が土曜日に送ってきた写真です。そして確認してみたら彼女を名乗っていた、という情報も聞いています」


「……あっ」


 思い出した。確かにあの時よく分からない店員さんに話しかけられたんだった。

 多少誤解を与える会話があったけれど、何も問題のなかったからか忘れてしまっていた。


「心当たりがあるのですね。誰ですかこの女は」


 普通に妹なんだけどなぁ。

 けどなんだか正直に話すのも面白くないし、少しからかってもいいよな?


 それに糸さん、もしかして嫉妬してくれているのかな?だったらめちゃくちゃ嬉しいんだけど。今までそんな素振り見せてくれなかったから。


「彼女ですね」


「は?」


 瞬間、糸さんの瞳から光が消えた……気がした。


「1週間くらい前から付き合ってます」


「本気で言っているのですか?」


「1週間前、糸さんから拒絶された日に慰めてくれたのが彼女だったんです。それで彼女だったら俺の愛を拒まず全て受け入れてくれるって言ってくれて」


 我ながらよくこんな嘘がペラペラと出てくるもんだ。でもそのおかげで糸さんは俯いてプルプルと震えている。


 流石にちょっとからかいすぎたかな……?そろそろネタばらしをするか……


「私が悪かったのですね」


「え?」


 糸さんは突然俯いていた顔を上げると俺の顔を固定して唇を奪ってきた。


 突然なことと同時に彼女の方からこのようなアクションを取ってくることにビックリしすぎて身体が固まってしまう。


「私が貴方の愛を当たり前だと、少し距離を置いても貴方なら私のことをずっと好きでいてくれると思っていました。でも……私の勘違いだったようです」


 つらつらとロボットのように感情のこもっていない声音で話し続ける糸さん。


「糸…さん?」


「幹くん、違えてしまった道は修正しなくてはなりませんよね?」


「……」


「幹くん?」


「そうです…ね」


 肯定以外を許さないという圧。


「そうですよね。だって数学でも行き着いた答えが模範解答と違っていれば間違っていた地点まで戻って再び解きますから」


「はぁ?」


「なので撤回します」


 数秒の沈黙。その数秒がやけに長く感じられた。


「束縛をしてください。幹くん、あなたは今この瞬間からずっと私と一緒に居ていただきます。いえ、居てくれますよね?」

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