第14話 レイリアル 猫に拾われる

 馬車が急停車し、母の腕に抱かれていた弟が泣き出した。少女も床に投げ出され頭をぶつけたが、何とか泣かずに済んだ。


「頭を下げろ!」


 父は剣を取り、馬車から出ようとする。だが、そこに射かけられたのは火矢である。燃えだした馬車から出ないわけにはいかない。父は家族を守りながら外に出るが、襲撃者はまず身動きの遅い母を狙った。母は弟を抱いているだけではなく、身重であった。父の剣が何本かの矢を撃ち落とすのが。だが、一本が抜け、母の胸を貫く。父の慟哭が耳を劈く。その瞬間、何本もの矢が父の背中を貫いた。

 まだ、何人かの護衛の兵が戦っていたが、多勢に無勢である。ひとりひとりと倒されていき、最後に残ったのは幼い少女であった。まだ、若干三歳のレイリアルは、血の泡を噴き出し、息絶えようとしている母に縋りついていた。

 足音が聞こえ、レイリアルの前で止まった。


「悪く思うな」


 そう言った男が剣を振り上げた。そのとき、レイリアルの口から声にならない叫び声が漏れた。唸り声のようなそれを、自分が出していることにすら気が付けなかった。

 振り下ろされた剣を躱し、絶命している父の腰からナイフを奪い取ると、男の首にそれを突き立てる。とても三歳の子どもとは思えない動きである。吹き出した血を全身に浴び、地面に降り立った少女を見て、襲撃者たちは動揺した。まさか、こんな反撃があるとは思ってもみなかったのだ。

 襲撃者たちは少女を殺そうと襲いかかるが、少女は体の小ささを活かし、素早く横に回り込む。まるで獣のように四足で、地面を這うように駆ける。一瞬の隙にまた飛び掛かり、眼球から脳を貫かれた襲撃者は絶命した。


「囲め! 相手は子どもだぞ! 落ち着いて対処すれば……」


 そう言った襲撃者の首魁らしき男の首が落ちた。それだけではない。十名以上いたはずの襲撃者は既に半分になっていた。


「なんだ!」


 子ども以外にも敵がいると気が付いたときには、遅きに失した。少女に気を取られていた襲撃者たちは、もうひとりの敵の姿すら捉えることはできなかった。レイリアルも唸るのを止め、戦いが終わるのを見ていた。

 逃げることもできず、襲撃者たちは血飛沫を噴き上げて倒れ伏す。最後のひとりが鳩尾を貫かれ、ようやく敵の姿を捉えることができた。


「ウィルヘルム……、貴様……」


「ガゼウスの飼い犬だな。主人もすぐに地獄に送ってやる」


 若き戦士ウィルヘルムは、最後のひとりから剣を引き抜く。これだけの戦いだったのに、血の一滴も浴びていない。靴の裏まで綺麗なままだ。幼きレイリアルはその戦いに見惚れていた。ナイフを握った手に力が入る。

 また声にならない声が上がり、レイリアルはウィルヘルムに襲いかかった。別に恐ろしかったとか、挑みたかったとかではない。何も考えていなかったのだ。次のときにはレイリアルはウィルヘルムの拳に胸を打たれ、気絶していた。

 気絶するとき、最後見たウィルヘルムの表情を思い出した。悲しいような、驚いたような、嬉しいような、怒っているような顔だった。


「良く生き延びたな……」


 ウィルヘルムはこの幼い少女が正気を失ったと思ったのだ。だから、大人しくするために気絶させた。だが、あのとき、抱きしめていたなら、何かが変わっていたかもしれない。この惨劇の記憶を封じた『獣の相』は、十年後、剣を握るときまで秘匿されたままとなった。


「お嬢は俺が守りますから、強くならなくたっていいんですよ」


 護衛であるフィリームズにそう言われ、ミゲルソン家として最初は不満だったが、母だって剣を使えないのだから、別に良いかと思い直した。今思えば、母リアーシャはだったわけだが、それでも自分を本当の娘のように思ってくれていたように感じる。


「起きてください! お嬢!」


 声を聞いた気がして、レイリアルは目を覚ました。

 フィリームズの剣の感触を確かめる。手に重いそれを気絶しても離さなかったようである。竜巻の強烈な遠心力が、レイリアルの血の気を退かせ、意識を失わせていたのだった。まだ、空中にあるうちに意識を取り戻せたのは、僥倖だったのか、苦しみを生み出したのかわからない。


(フィル……、ごめん。私のために命を捧げてくれたのに、悲しんであげられなくて……、ごめん)


 フィリームズとの別れはあっさりしたものであった。ただ、皆と同じように、火葬して終わりである。それでも、この剣を使い続けたのは、獣の相の自分も、彼のことを想っていてくれたからなのかもしれない。

 固い地面がすぐそこまで迫っている。このままではレイリアルは挽肉となってしまうだろう。


(ごめんなさい……、お父さま、お母さま。仇も討てずに、弱いまま死んで……)


 道場の皆や、街の皆、友人知人のほとんどが死んでしまった。それらの思いを振り払い、ただ生きるだけという選択もできたはずだ。だが、レイリアルはそうしなかった。そうできなかった。そうするには自分が強すぎた。

 自分を救うために現れた獣の相。だが、家族を救うことはできず、全てを救うことはできない。全てが手遅れで、無力だ。

 諦めの気持ちに沈む。それが復讐の思いに触れたとき、また声が聞こえた気がした。今度は父の声だ。


「大丈夫だ、お前ならできる」


 父はいつも厳しい顔をしていた。それは血の繋がらない娘と、どう接すれば良いかわからなかったからなのかもしれない。だけれど、最後の別れのとき、ウィルヘルムによって父の温もりを感じることができた。

 ウィルヘルム。

 彼が空中で跳んだ力を思い出す。レイリアルには加護の力はない。だから、ウィルヘルムのようにはいかないかもしれない。それでも試してみようと思ったのは、今までと同じようにできるかもしれないと思ったからだ。

 レイリアルはことで、ありとあらゆる技を吸収してきた。大抵の技は一度見ただけで使うことができる。もちろん、完全に動きを再現するには、筋力も魔力も足りないが。

 魔力は生命力である。生命力を体の外に出し、操ることで魔力となる。だから、加護はなくとも、生命には魔力が宿っている。完全に同じことはできなくとも、似たようなことはできるかもしれない。

 レイリアルは気が付いていなかったが、それこそが魔術の発想である。

 加護なき者が、魔法を使うために編み出した技術である。本来、呪文による形式化により、魔術は行使されるのだが、レイリアルはそれを圧倒的な才能によって、無形式で行った。

 ウィルヘルムの大地を生み出す加護。自分の足の裏に力を集中し、レイリアルはそれを蹴った。垂直に落下していた体が、斜めの落下に変わる。左足の骨が折れた気がしたが、気にしないことにした。地面に落ちる瞬間、剣でその力を受け流す。レイリアルの剣閃が車輪のように力を受け流し、落下の衝撃を横の動きに変えた。レイリアルの体が転がり、全身を擦り剥いていく。丈夫な革製のドレスのおかげで被害は最小限だ。

 転がる勢いが弱まり始めたとき、また落下する感覚に、お尻の筋肉が引き締まった。勢いがつきすぎて、崖まで転がったのだ。

 レイリアルは持ち前の反射神経で、剣を崖に突き刺す。それで落下の勢いは止まり、何とか生きることができた。崖の下には急流が流れており、泳ぐことはできるが折れた足では助からないように思える。

 なんとか体勢を整え、両手でぶら下がったとき、その変化に気が付いた。フィリームズの剣の刃の根元に、大きな亀裂が入っている。レイリアルの体重により、その亀裂が少しずつ広がっていく。度重なる戦いと落下の衝撃により、多大な損傷を受けていたフィリームズの剣は、ついに寿命を迎える。

 レイリアルの体は再び宙に投げ出され、あっという間もなく、流れの中へと落ちていった。


 ◆


 鼻の辺りに違和感を覚え、レイリアルは自分の鼻を触った。紐のようなものが上から垂れて鼻先をくすぐっており、それを掴んで振り払おうとする。が、すぐに掴んだ感触はなくなり、紐は消えてしまった。小さなくしゃみで目が覚める。

 瞼を上げると、目の前に顰め面の仔猫がいた。くしゃみを顔にまともに浴びたらしい。


「あ、起きた」


 レイリアルはベッドに寝ていたらしい。上半身を起こすと、小さな猫……に見えた魔人デーモンの子どもが顔を手の甲で洗っている。もうひとりの子どもの魔人(こちらは少しだけ年上のようだ)が、走って部屋から出ていく。

 少し寝惚けた頭で、小さな猫の顔を見つめる。大きな目に、大きな耳。黒い体に、白いマダラ模様が特徴的である。


(猫のデーモン……)


 仔猫の可愛さは今のレイリアルには目に入らなかった。ガーネルトムとは違って、力強さはあまり感じない。

 少しずつ状況を確かめると、左足に激痛が走った。足には添え木がされており、丁寧に骨折の治療がされている。完全に折れたわけではないが、脛の骨にヒビが入って腫れているようだ。

 部屋の中は薄暗く、地下のような冷たい空気がある。窓はないが、天上付近に小さな穴があり、通気を確保してあるらしい。家具は木を簡単に加工した物が多く、素朴な雰囲気があった。石造りと言うよりは、洞窟か岩を繰り抜いて造った家のようだ。


「……ここはどこ?」


 仔猫の魔人に訊ねてみるが、指をしゃぶりながら首を傾げるだけだった。言葉が通じないのか、言葉をまだ覚えていないのかと思ったが、喉が渇いてほとんど声になっていないち気が付いた。

 とにかく、今の状況がわからない。武器になる物を探すが、見当たらなかった。だが、ベッドテーブルにはフィリームズの剣が置いてあった。刃は根元から折れ、ほとんど柄だけになっている。少しだけ残った刃の部分には布が固く巻き付けられており、怪我をしないように配慮されている。それを手に取り、胸に抱くと、不安な気持ちが僅かに和らいだ。


「あらあら。やっぱり、大切な物だったみたいね。随分、固く握り絞めてたから、引き離すのに指を折っちゃいそうだったよ」


 そう言って仔猫に連れられて現れたのは、仔猫の魔人をそのまま大きくしたような女の猫の魔人だった。こういう種族なのかもしれないが、全体的に丸い。これではしなやかには動けそうにない。魔人は戦士ばかりだと思っていたから、レイリアルは意外に感じる。

 とりあえず、言葉は通じるようである。統一言語は偉大だ。こればかりは三千年も前に滅んだ初代魔王に感謝しなければならない。

 レイリアルは姿勢を正すためにベッドから降りようとするが、体がふらつき、足も痛んだ。猫の肉球に押されて、ベッドに優しく押し付けられたレイリアルは、起き上がるのを諦めた。


「駄目よ、まだ。起き上がれる状態じゃないからね。あなた、二日も寝たままだったのよ。ほら、喉が渇いたでしょう」


 丸い猫の魔人に水差しの口を押し当てられる。警戒して匂いを嗅ぐが、誘惑に勝てずに一気に飲もうとする。しかし、それも阻止される。水は少しずつ口の中に流し込まれ、寝ながらだがムセずに飲めた。


「ありがとう……ございます」


「あら、よかった。ちゃんとお礼を言えるいい子で。あんた、恒人メネル族だよね。村の人たちにあんまりいい顔されないと思うけど、ちゃんと守ってあげるからね」


 なんだかとんでもないことを言われた気がするが、とりあえず頷いてレイリアルは名を告げた。


「私の名前はレイと言います。恒人族の、女です」


「そうかい。あたしはフリア。この小さいのはローレン。こっちの少し大きいのがピガルサ。二人がずっとあんたを心配して看病してたからね」


 レイリアルは子どもたち二人に微笑む。


「ありがとう、ローレン、ピガルサ。ところで、さっきの糸はなんだったのだろう? 掴んだら消えてしまったのだけれど」


「糸? ピガルサ、あんた……」


 ピガルサは後ろに退がるが、その前にフリアの指が伸びて、彼の大きな耳を掴む。


「あんた! また加護でイタズラしたね! 何回言ったらわかるの!」


「ちがっ! 息してるかどうか確かめただけで……」


「加護を使う必要はないでしょう!」


 いきなり騒がしくなり、レイリアルは耳を痛かったが、なぜだか少し元気が出た。


「フリアさん、ピガルサのおかげで目が覚めました。どうか叱らないであげてください。ピガルサ、もし良かったら、あなたの加護を見せて」


 フリアはそう言われ、仕方なく耳を離した。ピガルサは嬉しそうにベッドの横に来ると、指を翳した。


「見てて!」


 彼の小さな指先から、一本の細い糸が勢い良く飛び出した。だが、ピガルサは不満そうだ。


「調子のいいときは、もっといっぱい出るんだけど……」


「すごいよ、ピガルサ。なんて言う名前の加護なの?」


 レイリアルはなんとか元気を振り絞って、ピガルサの加護の力を褒めた。彼は気を良くして、もう一度、糸を出して見せる。レイリアルは手を叩いて喜んだ。


漁綱イサツナの加護だよ! お父さんはもっとすごいんだよ! 一度に何十本も出せるんだから!」


「へぇ、それはすごいねぇ」


「プリオナイル族は、大抵、みんな使えるけどね。この子は父さんの力を強く受け継いだんだよ。成人したころにみんな使えるようになるだけど、ちょっと早いからって、調子に乗ってるのよ」


 フリアが言う。彼らの猫の魔人をプリオナイル族というらしい。彼らは川や海で漁をして暮らしているとのことだった。この漁の加護は、漁をするのにかなり便利で、熟練すれば網を一瞬で作り出したり、篭を作ったり、遠くのものを引き寄せたりと応用が利く。戦いに応用することも可能な便利な加護だった。

 夕食近くになったとき、レイリアルがローレンの遊び相手をしていると、ひとりの男が帰ってきた。大人のプリオナイル族だ。彼は自分で作り出した篭に、大量の魚を入れて持ち帰ってきた。フリアよりも細いが、がっしりとした体格の魔人だった。


「お、あんた、気が付いたのか。しかも、案外元気そうで良かった」


 レイリアルは立ち上がり、男に礼を言った。彼の名をオルガルという。フリアの夫であり、この家の長である。レイリアルを川から引き揚げたのも彼であった。


「いや、川に流される間に、全身の毛が抜けてしまったんじゃないかと心配したんだが、やっぱり、恒人メネル族だったか! すまんすまん、恒人族を見るのは初めてで、まさか本当に体に毛がないとは思ってなかった!」


 フリアが夫の胸を叩いて止めた。オルガルは思ったことを口にしてしまう性分らしい。フリアは気を使ってくれたようだが、毛皮が生えてないことは恒人にとっては当たり前のことだから気になることではない。


「ん。目が覚めたなら、オサには伝えたのかい」


 オルガルがフリアに訊ねるが、彼女は首を横に振る。


「そだな。明日の朝にしておくか。目覚めていきなりつまらん質問をされても敵わんし……」


 随分と甘いことである。


「その……、気を使っていただけるのありがたいのですが、私なら構いません。こんなことを訊ねるのは不躾かもしれませんが……、どうしてこんなにも良くしてくださるのでしょうか。私は単なる厄介者でしかないのに……」


「不躾……、くださる……」


 オルガルとフリアはそう呟いて顔を見合わせると、少し考えてから腹を抱えて笑い出した。ローレンは全く何が面白いのかわからないが、真似して笑い出す。ピガルサとレイリアルだけが、ポカンとその様子を眺めていた。


「何かおかしなこと言いましたでしょうか……」


「いや、いやあ、ごめんよ。ただ、あんまりにも言葉使いが丁寧だから、可笑しくて……。いや、ほんと、ごめん。なんとなくね……」


 フリアがまだ笑いながら言うと、オルガルはなんとか落ち着いて頷いている。


「うん。まぁ、気持ちはわからんでもないが、そんなに気を張りなさんな。今日は飯食って、寝ろ。怪我してんだから、無理しんでもいいって」


 そう言われて、レイリアルは甘えることにする。実際のところ、体はとてもダルく、腹が減っている。急いでウィルヘルムたちに合流したいが、足がこれでは旅も難しい。心は焦燥とどす黒い復讐の炎が燻っている。

 今すぐにでもこの家族を殺すべきだろうか。もし、魔王軍にモントベルグ王国のレイリアル・ミゲルソンの存在をしられたら、彼らは躊躇なくレイリアルを殺そうとしてくるかもしれない。

 武器としては頼りなさすぎるフィリームズの剣の柄に、レイリアルはやさしく触れた。懐に仕舞込んだそれだけが、孤独なレイリアルを唯一慰めた。

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