第6話 ウィルヘルム 弟子を連れて、山を登る

「先生、も、もう少し、ゆっくり歩いてくださいませんか……。剣が腰にあると歩きにくくて……きゃあ!」


 街を出発してから、ずっとこの調子だ。ウィルヘルムは良い加減うんざりしていた。


「今度は何じゃ?」


「蜘蛛の巣が……」


 レイリアルの豊かな髪に、蜘蛛の巣が輝いて見えた。


「俺が取りますよ、お嬢」


 ほとんど無理矢理について来ていたフィリームズが、レイリアルの髪についた蜘蛛の巣を取り除いた。ウィルヘルムはいつも袖の中に仕込んである止血用の紐をひとつほどいて、レイリアルに渡した。


「そんなもの、自分で取らんか。フィル、甘やかすな。レイ、これで髪を後ろで結べ」


 フィリームズはリディナーの弟子であるが、そうなったのは私兵としてミゲルソン男爵家の屋敷に務めていたからだ。我流であるが、見様見真似で新地流を会得していた彼は、これを機会に正式に弟子となったわけだ。つまり、レイリアルは主人の娘であるため、彼にとっては姫であり、守るべき対象ということになる。

 レイリアルは紐を受け取り、モタモタと不慣れな様子で髪を結んだ。いつもは家で家政が結んでいるが、今朝の稽古で汗をかいたので、水を頭からかぶったときにほどいてしまった。


「これからは、髪は自分で結ぶようにしなさい。なるべく、自分でできることは自分でやることじゃ」


「はい、先生」


 素直に頷くレイリアルに、ウィルヘルムは少し息をついてから、また歩き始めた。

 ウィルヘルムは森の獣道を迷いなく進んでいく。ウィルヘルムに連れてこられた二人は、まだどこに行くのか聞かされていなかった。大師匠であるウィルヘルムを信頼していないわけではないが、フィリームズは義務として訊ねずないわけにはいかない。


「あの、こういうことを訊くのもあれですが……」


「じゃあ、訊くな」


「いえ、一応、お嬢の護衛ですので。それに街を出てから教えると言っていたじゃないですか。もう、街からだいぶ離れましたよ」


 ウィルヘルムは自分の唇に指を立てて黙るように促す。


「ここら辺は魔物が居るぞ。話していたら、狙われるかもしれん。それに街の門は夕方に閉まる。ちんたら歩いていたら、野宿することになるが、それでも良いのか?」


 そう言われては黙るしかない。フィリームズはようやく髪を結び終わったレイリアルに声を掛けた。


「お嬢、急ぎましょう。ウィルヘルム先生は野宿でも平気かもしれませんが、俺たちはそうもいきませんから。頑張りましょう」


「ええ……。わかりました。頑張ります」


 両腕を軽く上げて拳を握ったレイリアルの澄んだ瞳を、フィリームズは愛らしく思った。幼い時分から見守ってきた彼は、レイリアルを妹のように思っている。ただ近頃は、それはただの幻想で、ずっと騙されていたのではないかという疑問が、心の隅でチクチクと彼を苛んでいた。ここ数日は特に、彼女が道場に来るたびにそう思う。

 魔物がいると言われて、フィリームズは警戒しながら進んだが、ウィルヘルムは一向に速度を落とす気配がない。彼ほどになるとこの速度でも警戒できるのかとも思ったが、魔物がいると言うのはフィリームズを黙らせる方便だと気が付いた。考えてみれば、人の入らない森の中とはいえ、武装都市からほど近い場所である。大型の危険な魔物すら、恐れて近付かない街だ。森の中も他の街周辺に比べれば安全である。


「二人とも、剣を抜け。そろそろ着く」


 フィリームズはその言葉に驚いた。着くのに剣を抜くということは安全ではないということだ。

 レイリアルが何の躊躇もなく剣を抜いた。その動作は、まるで今までも何度も経験しているかのように滑らかで、一点の淀みもない。だが、レイリアルが真剣を持つのは、今日が初めてのはずである。それは間違いない。だが、柄を手に握った彼女の顔つきは、無邪気さとは程遠く、氷のような冷たい表情となる。


「誰を殺すの?」


 しゃべり方もしゃべる内容も、剣を抜く前と違い過ぎて、自分の方がおかしいのかと思うくらいだ。


「殺す必要はないが、己の命は守れ」


 それだけ言うと、ウィルヘルムは少しだけゆっくり進む。そして、少し開けた場所に出る。そこには大小様々な形の奇岩が転がっており、古い墓場のように不気味な雰囲気か漂っていた。

 広場の真ん中に来るとウィルヘルムはピタリと足を止めると、どこかに大声を投げ掛ける。


「ゴーレムよ、客が来たぞ! もてなさんか!」


「ゴーレム⁉」


 フィリームズも抜刀し、背後を警戒した。形を成していなかった岩々が、糸で吊られるように浮かび上がり、不格好な人型を成していく。


「うわあぁ!」


 叫び声を上げて、レイリアルがゴーレムの群れに突っ込む。レイリアルの真剣は、貴族の屋敷から持ってきたもので、かなりの業物である。だが、ゴーレムの岩の体を切り裂くことはできなかった。フィリームズも後ろの一体に剣を叩き付けるが、やはり無意味である。何とか身を屈めて攻撃をやり過ごすと、ウィルヘルムの元に下がった。

 ゴーレムは太い腕を振り降ろし、レイリアルを叩き潰そうとする。ウィルヘルムは彼女の襟首を掴んで、後ろに引き寄せた。レイリアルのなびいた髪の毛を岩の腕が掠め、数本が風に舞う。


「無闇に攻撃するな。剣が折れるぞ」


「ここはアトリエですか⁉ こんなところに俺たちを連れてきて……」


 三千年以上前の古代魔術士の遺跡、通称アトリエとは呼ばれる場所には、古代に造り出された魔物が住み着いている。ゴーレムもそのひとつだ。


「アトリエではない。ここに住んでいる魔術士のものじゃ」


「魔術士⁉ 古代魔術士が生きているのですか⁉」


 フィリームズが発狂したように言うので、ウィルヘルムは辟易した。ゴーレムに包囲され、完全に逃げ場はなくなる。フィリームズはなんとかレイリアルだけでも逃がすように算段し始めるが、ウィルヘルムは落ち着いた声色で、


「とにかく、見ておれ」


 それだけ言うと、一歩前に出た。

 剣の通じない相手に、剣士は無力だ。フィリームズの背中に冷たい汗が流れ落ちる。

 何かがバラバラと崩れ落ちる音が響き、包囲を縮めていたゴーレムの足が止まる。背後を警戒していたフィリームズは、ウィルヘルムが何をしたのか見ていなかった。振り返ると、一体のゴーレムが正中線をなぞって真っ二つにされ、手足の岩が転がり落ちている場面であった。


「見たか?」


 ウィルヘルムが振り返り、フィリームズたちを見る。レイリアルは頷くが、フィリームズは首を横に振った。


「だから、見ておれと言ったじゃろう。レイ、やれるか?」


 レイリアルはウィルヘルムの一挙手一投足を真似して、一歩前に出た。そして、剣を振り上げると、一体のゴーレムの正中線に振り下ろす。ゴーレムは一体目と同様に真っ二つになって、ただの岩と化してしまった。フィリームズは顎を落とし、信じられないと表情で語って見せる。


「どうやって……」


 フィリームズが呟くと、レイリアルが答えた。


「足で切るんだね。何度も足を踏みしめて、その力を切っ先に伝える」


「さすがじゃな。で見切ってしまうとは。技の名を、破鱗ハリンという。魔物の固い鱗に切り裂くために編み出した技じゃ」


 破鱗はフィリームズも知っている。固い物体を振動で切り裂く技だが、薄い鱗は断つことはできても、岩を一刀両断するなど不可能である。


「物にはそれぞれの波がある。それと同じ波を切っ先に伝えれば、理論上は斬れぬ物はない。サイクロップスの脚の骨も、竜の鱗も首も、切り裂けるぞ」


「あの、魔人……ガーネルトムにもこれを当てたのか」


「そうじゃ。応用よ。鞘に振動を伝え、神経に直接、痛手を与えた。相手は電撃を受けたかのように体が麻痺する。これを破鱗流しという」


 信じられないことを平気で言うウィルヘルムだ。


(一歩間違えれば、全身が弾け飛ぶんじゃないか……?)


 フィリームズはそう思わずにはいられなかった。


「とにかく、やってみろ。ほれ」


「やってみろって……」


 ゴーレムたちは仲間をやられたことで警戒したのか、包囲を縮めようとしなかった。フィリームズは引け腰ながらも、目の前の一体に集中した。レイリアルは既に二体目を斬っていた。護衛である自分が、姫より弱いなど認めるわけにはいかない。気合を入れ、破鱗のやり方を頭の中で思い浮かべ、ゴーレムの岩の肌に剣を振るう。ただ、ウィルヘルムやレイリアルのように上段から真っ二つにではなく、胴体の細いところ狙って輪切りにする。

 岩を斬るには、地面から伝える振動を、長く持続しなければならない。そう思ったフィリームズは、ゆっくりと剣を振るい、ノコギリをあてがうように、胴体を切断した。


「き……斬れた……!」


 だが、ゴーレムは崩れ去らず、切れた部分から新たな体が生えてくる。


「な……。他のと違う⁉」


「ゴーレムは正中線のどこかに急所があるぞ。見極めて斬るか、正中線を全て斬るかせんと、キリがないぞ」


 ウィルヘルムはおもむろに突きを放つと、フィリームズが倒し損ねたゴーレムは、その場で身動きを止め、ゆっくりと崩れていく。急所をひと突きで仕留めたのだ。レイリアルは真似して破鱗を使った突きを放つも、ゴーレムは動きを止めない。


「急所を見極めるには、動きを見切る必要がある。急所から動きが伝わり、手足が動くのじゃ。だから、一番最初に動く場所を見つける必要がある」


 レイリアルはもう一度、突きを放つが、やはり仕留められなかった。仕方なく、正中線をなぞって両断する。

 フィリームズの方は、正中線で両断することも、急所を見極めることもできない。彼は考えた結果、正中線をなぞって突きを無数に放つことにした。そのひとつの突きが、ゴーレムの急所を捉えたらしく、ゴーレムは崩れ去る。


「わははは。ごり押しじゃな。まぁ良い、まぁ良い。初めてにしては上出来じゃ。良いか、どんなものにも、力の伝わる急所が必ず存在する。そして、それを構成する振動もな。その二つを見極めることができれば、斬れないものはない。例えそれが、風や火であろうともじゃ。それを応用すれば、こういうこともで……」


 言い終わる前にゴーレムの太い腕が、ウィルヘルムの横っ面に直撃した。


「じいさん!」


「先生!」


 若き二人が同時に叫ぶ。だが、崩れ落ちたのはウィルヘルムでなく、ゴーレムの腕の方である。

 明らかに直撃し、凄まじい音が響いたのにも関わらず、ウィルヘルムは何食わぬ顔をしている。


「これぞ新地流・破鱗流し・滅じゃ。使う機会はないかもしれんが、覚えて置け」


 振動で力を相殺し、さらに相手に跳ね返す技。一歩間違えれば、自分自身がバラバラに弾け飛ぶ。緊急の技だ。

 ウィルヘルムの力を見たことで、弟子二人はコツを掴んだようである。自分にもできるかもしれないと思うことは、新たな技を覚えるには大切なことだ。

 二人が次々とゴーレムを倒していく。固く厄介な敵ではあるが、ここにいるものは動きは遅いので、よほど油断しなければ二人の敵ではなかった。だいぶ数が減ってきたところで、ゴーレムたちの動きが一斉に止まった。


「なんだ?」


 フィリームズとレイリアルは手を止めた。地鳴りとともに砕けた岩が一ヵ所に集まり始め、巨大な一体のゴーレムと化す。二人はそれを見上げるしかなかったが、ウィルヘルムはさしも当然のように前に出ると、ゴーレムに向けて言った。


「もう良いぞ、リンドー」


「……何がもう良いだよ。勝手にうちの子たちを練習台にしておいて。本当に昔から勝手だね、ウィル」


 ゴーレムが女とも男ともつかない声で、ウィルヘルムに応えた。


「ゴーレムが喋った……」


 フィリームズは魔物と戦った経験もあるし、しゃべる魔物がいることも知っている。ホムンクルスや吸血鬼など、人間に擬態している魔物もいるくらいだ。だが、しゃべるゴーレムは初めて見たし、聞いたこともない。

 巨大ゴーレムの脚が変形し、そこからまたひとつの人型のゴーレムが生み出される。そのゴーレムはこっちに来いと合図すると、向きを変えて広場の奥に消えていった。

 ウィルヘルムが剣を仕舞ったので、レイリアルも同じようにした。フィリームズは剣を収めることができずに立ち尽くす。


「しゃべるゴーレムなんて……」


「なんだか、かわいいですね」


 レイリアルがそう言うので、フィリームズは次の言葉を言えなかった。彼には不気味にしか思えない。


「あれが魔術士なのですか?」


 フィリームズが小声で訊くと、ウィルヘルムは違うと言った。


「あれはただの人形。さぁ、行くぞ」


 ウィルヘルムとレイリアルが、さっさとゴーレムに付いて行ってしまうので、取り残されたフィリームズも、仕方なく広場の奥の森へと入っていった。


 ◆


 少し奥へ入り込むと、奇岩に囲まれて少しだけ入り組んだ場所に入った。小屋でもあるかと想像していたが、どうやらそこが目的地らしく、小さな石のテーブルと、木を輪切りにしただけの椅子が並べられている。屋根もなく、葉の間から漏れる光がやさしく辺りを照らしている。


「まぁ! 素敵な場所。お菓子とお茶でも持ってくれば良かったわ」


 レイリアルが美しい休息場を見てはしゃぐ。その言葉を聞いたからなのか、別の通路から現れた小さなゴーレムが、お盆にお茶と茶請けを乗せて現れた。小さなゴーレムはテーブルにそれらを並べ、茶を淹れると、ペコリと可愛らしく挨拶して帰っていく。レイリアルはその情景に目を奪われて、うっとりと眺めていた。

 ウィルヘルムは慣れた様子で席につく。レイリアルもそれに倣った。フィリームズは警戒してレイリアルの後ろに立ち、いつでも剣を抜けるような場所で落ち着いた。


「リンドー? なぜ姿を見せん」


 ウィルヘルムが言うと、奥から声がした。少年のような、少女のような声は、歌うように答えた。


「服装が決まらなくて……」


「なにを言っておるんじゃ。だから、前にも言っただろう。来客のときに悩むくらいなら、最初から完璧な服装にしておけとな」


 小さな溜息が聞こえて、奥から小さな影が現れる。


「ほんと、無粋ね。服装は、人や状況に合わせて変えるものだよ。完璧な服装なんてない。あなたなんてずっと前から同じ格好じゃない。そんな人に言われたくないわ」


「これが完璧な格好というものじゃ。似合っておれば問題ない」


「ハア」


 溜息とともに現れたのは、奇妙な姿の背の低い人であった。

 真っ赤な長い髪が顔をほとんど覆っており、肌が見えるのはわずかに覗く口元のみである。背丈はレイリアルの半分ほどで、緩やかな緑のローブに身を包み、体型は良く判らないが、丸みが女性らしさを称えている。不思議な雰囲気を漂わせた女の子だった。


「久しぶりじゃな、リンドー。お前は変わらんな」


「ウィル、新しい弟子を取ったんだね。あたしの名は、リンドー・フィオ・オドだよ。二人はなんて名前?」


 リンドーと呼ばれた人物は、レイリアルとフィリームズを見つめた。レイリアルは立ち上がってリンドーに近付くと、おもむろに抱き上げた。あまりにも突拍子もない動きだったため、ウィルヘルムすら止められなかった。


「まぁ、なんて可愛らしいの。私はレイリアル・ミゲルソンって言うの。お父さんお母さんは? あなたひとりでここに暮らしているの?」


 ウィルヘルムは茶を噴き出した。咳き込みながらも、大声で笑う。フィリームズは何とも言えない顰め面をして、姫の非常識さに呆れてしまった。リンドーは何事かを呻きながら、手足をバタバタさせ、魔の手から逃れようとしている。


「お、お嬢……、その人は石人ドワーフですよ……。多分、俺たちよりもずっと年上です……」


「ドワーフ! まぁ! 無骨な名前だから、もっと強面のだと思っていたのに。こんなに可愛らしいなんて! もっと早くに知っておくべきだったわ!」


 それでも手を離さないレイリアルに、ウィルヘルムはさらに笑い転げた。小さなゴーレムたちが近くにやってきて、どうするべきかとオロオロとしている。仕方なくフィリームズがレイリアルの腕からリンドーを取り上げると、優しく地面に立たせた。


「ありがとう……、君は紳士だな。お前は近付くな!」


 そう言ってフィリームズの影に隠れたリンドーは子どもにしか見えない。レイリアルは不満そうにフィリームズを睨んだ。そんなに睨まれても、と思いながら、レイリアルに席につくように促すと、不承不承といった様子で彼女は席に戻る。リンドーはそれでもフィリームズを盾にして、レイリアルに牙を剥いているので、フィリームズは片膝ついてリンドーに話しかける。


「俺はフィリームズと言います。どうか、フィルと呼んでください。すみません。お嬢は、その……、少し変わったところがありまして……。もう、いきなり抱き上げたりしないので、どうかお許しください。もう、抱き上げたりしませんよね、お嬢⁉」


 半ば怒鳴り気味に言うと、レイリアルは嫌そうな顔をしてから頷いた。


「わかった。フィルに免じてあの女を許そう。だが、あいつはあの席から立たせるな! ウィル、お前も笑っているんじゃない! 弟子の不始末だぞ!」


「わははは。まぁ、座って茶でも啜れ。その弟子の加護について訊ねたいから、ここまできたんじゃ」


「加護? 何も感じなかったよ、こいつからは」


「だから、座って落ち着いて見ていろ。面白いぞ。レイ、剣を抜いてみろ」


 レイリアルはそう言われて、飲んでいた茶を慌てて置く。いそいそと立ち上がると、剣を抜き放つ。

 彼女を包んでいた恍けた雰囲気が、突然、凍てつくようなものに変わる。レイリアルの顔は変わらないのに、目光が鋭くなり、まるで同じ人物には見えない。今しがたどんくさいと言われた人物ではない。

 リンドーは興味深げにレイリアルを見つめる。


「ふ~ん……」


「そ、そうか。魔術士にお嬢のこれを見せるために、こんなところまで連れてきたんですね!」


 フィリームズが言う。リンドーはフィリームズに冷めた視線を移す。


ね」


「す。すみません。その、そういう意味じゃなくて……。お嬢のこれは病気なんですか? それとも、何かの加護の影響を受けているのでしょうか」


「どうだろうね。触ってみればわかるかもだけど……」


 リンドーは剣を抜いたレイリアルを警戒している。先ほど突然、抱き上げられたのもあるが、剣を抜いている人物に近付きたくはないのは普通のことだ。


「さっきは申し訳なかった。時々、自分でもわけのわからない行動をする。私には何かの加護があるのか? 街の協会では私に強い加護はないと言われた。だけど、剣を持ったり、剣のことを考えていると、頭の中にかかったモヤが晴れる気がするんだ。何か魔法的な力のように思える」


 レイリアルがハッキリとした口調で言う。リンドーは目を見開いて、その言葉を聞いた。その後、ウィルヘルムに許可を求めるように彼を見ると、ウィルヘルムは頷いた。リンドーはレイリアルに近付いた。


「靄が晴れるって言うけど、具体的にはどんな感じ? 剣を持つ前の記憶はあるの? 剣を仕舞ったあとは剣を持ってたときの記憶はどうなるの?」


「剣を抜くと、人の動きがハッキリ見えるようになる。体が完全に言うことを聞くような、手足の先まで感覚が研ぎ澄まされる。こういう風に」


 レイリアルが手を払う。リンドーには無造作に払ったように見えたが、その指先に小さな昆虫が潰されもせずに逃げようともがいているのを見て、ドワーフは息を飲んだ。


「記憶は……、ある。ただ、夢の中にいたような感じだ。剣を抜いていないときは」


「つまり、自覚はあるんだね。何かが変わっているっていう、自覚が」


 レイリアルは頷いた。


「剣を仕舞ってみてもらっても?」


 リンドーにそう言われ、レイリアルは剣を鞘に納めた。すると、鋭い目光は消え去り、リスか小鳥のような無邪気な光が、瞳に宿る。


「えっと、あの……」


「今の会話、覚えてる? どんな感じ?」


「覚えてますけど……」


「剣を振ることをどう思う?」


「え? どうと言われても……。重いとしか」


「なるほど。手を握っても?」


「ええ、もちろんですわ」


 リンドーはレイリアルの手を小さな手で握った。


「じゃあ、剣を抜いてみて」


「この状態で、ですか? はい……」


 レイリアルは剣が誤ってリンドーに当たらないように、体の向きを変えて抜く。鞘から片手で抜くのは、慣れが必要だったが、なんとかやって見せる。

 レイリアルの顔つきが変わるのが、良く判った。ウィルヘルムが補足する。


「ちなみに、木剣でも同じようになる。手に持った瞬間にな。だが、腰に佩いているときは、のままじゃ。あと、剣のことを考えているときも、こうなるようじゃな」


「へぇ……。もういいよ。剣を仕舞って、お菓子でも食べな」


 レイリアルは剣を仕舞い、生まれたときのレイリアルに戻ると、何も言わずに座った。リンドーも座って、ひと口だけ茶を飲んだ。


「加護の力じゃないね。魔法のようだけど魔法じゃない。『ケモノソウ』ってやつだね」


ケモノ……? 私に毛皮が生えてくるんですか?」


 レイリアルは心配そうにリンドーの言ったことを反芻した。獣とはなんだろうか、四つの脚で歩くようになってしまうのか。それとも自分は魔人デーモンのように毛むくじゃらになってしまうのだろうか。もしそうなったら、お風呂で洗うのが大変そうだ。けれど、あの黒豹の魔人のような毛皮なら美しいかもしれない、と考えた。


「いや、毛皮になるわけじゃない。人にはそういう本性みたいなものがあるのよ。例えば、ウィルやフィルみたいな男どもは、あんたが今ここで裸になって尻を振ったら、獣みたいに飛び掛かってくるでしょ? それと一緒さ」


「い、言われなき、誹謗中傷だ! そんなことはしませんよ、お嬢!」


「わしはもう少し、ボンキュッボンがええのう」


 二人が抗議するが、リンドーは無視した。


「まぁ、つまり、動物は何かの切っ掛けがあれば、本性を現すってこと。風で翻った紙の表が裏になるように、にんじんを目の前にぶら下げられれば、馬が狂ったように前に進むようにね。あなたの場合は、剣を持つっていう行動が、それなんだね」


 レイリアルは言葉を咀嚼すると、リンドーに訊き返した。


「つまり、先生もフィルも、私を好きじゃないってこと……?」


「お嬢……、そういう話では……」


 フィリームズが説明しようとするが、リンドーは話を続けた。


「好き嫌いは物の例えさ。あんたは剣の才能に溢れている。けれど、その力は暴走しかねない、自分自身を滅ぼすような危険な力。だから、体が自身を守るために、力の切り替え機能を設けたんだろう。この力に気付いたのは、いつ頃なのよ?」


「二週間ほど前です」


「二週間⁉ 待って。武装都市で暮らしているのに、その歳まで気が付かなかったの?」


「も、申し訳ありません……」


「別に謝ることじゃないけど……。もしかしたら、力が強い分、防衛本能も強く働くのか、それで剣から無意識に遠ざかっていたのかも」


 リンドーの説明は終わりらしく、最後は独り言のように呟いて、それから茶をゆっくりと啜った。黙っていたウィルヘルムは、話すタイミングを計っていたらしく、菓子を茶で流し込んだ。


「その切り替え機能を失くすことは可能か。常に剣を抜いた『獣の相』状態を維持できるか」


「それはあたしには無理だね。本人の心の持ちよう次第ってところじゃない? 時間をかけて……」


 リンドーが言い終える前に、フィリームズがウィルヘルムに言った。


「待ってください! 先生は、剣を持ったお嬢をだと思っているのですか⁉」


 フィリームズはウィルヘルムに叫んだ。その動揺の仕方に、ウィルヘルムは溜息をついただけだが、レイリアルの方が驚いてしまった。


「フィルは剣を持った私は嫌いですか?」


「いえ、その、別に嫌いというわけでは……」


 泣きそうな顔で言われ、フィリームズは複雑な気持ちである。


「こいつは、姫が自分より強いのが気に食わんのだ」


 ウィルヘルムが言うと、レイリアルは納得したように頷いた。


「ああ、そういうことですね! 大丈夫ですよ、フィル。お父さまに言って、ちゃんと護衛の仕事は残してもらいますから」


 そういうことではないのだが、フィリームズは否定はせず何も言わないでおいた。


「それにね、フィル。先生は私を鍛えようとしてくれているのです。ミゲルソン家の娘として、剣に疎いままではいられませんからね。いつまでも、世間知らずのお嬢さまではいられません。あと二年で成人ですし、ちゃんと嫁入りの準備をしておかないとね」


「はい……、お嬢。なんで、ニヤニヤと笑っているんですか」


 ウィルヘルムとリンドーが、フィリームズを眺めていやらしく笑っている。フィリームズはしかめっ面で、勢い良く空いていた椅子に腰を下ろすと、残りの菓子を貪った。


「話の続きだが、獣の相を表に出し続ける方法はあるのか?」


 ウィルヘルムが言うと、リンドーは首を振った。


「時間をかけて、慣らしていくしかないだろうね。十数年も裏に眠っていた力を、いきなり表に出すことなんてできないよ。もし、それをするなら、本人をそうせざるを得ない状況に追い込むしかないね」


「具体的には?」


「さぁ? 愛とか? 塔に囚われた姫を救い出すとかさ、そういうの。それか復讐だね。家族を殺された恨みとか」


 ウィルヘルムは溜息をついた。


「狙ってできるものではないな。まぁ、良いわ。時間をかけてやっていくか」


 そういうとウィルヘルムは立ち上がり、リンドーの前に小袋を差し出した。音からして金子キンスが入っているようである。


「世話になったな。そろそろ、帰るとしよう」


「まぁ、ずいぶん沢山ね」


「気にするな。正当な報酬じゃ。それとゴーレム代じゃな」


「わかったよ」


 リンドーが小袋を懐に仕舞うと、レイリアルとフィリームズも立ち上がる。レイリアルが何かを言いたそうに、リンドーを見つめた。


「何?」


「その、すっかり言い忘れて……。ゴーレムさんたちを壊してしまって、ごめんなさい!」


 リンドーはレイリアルに微笑んだ。


「気にしないでいいよ。あれはいくらでも作れるからね。ウィルなんか、若い頃は毎日のように壊しに来てたよ。むしゃくしゃする、とかなんとか言ってね」


 レイリアルとフィリームズが、ウィルヘルムを見る。何となくバツが悪くなったウィルヘルムは、自分の銀髪を撫でた。


「剣の練習に良かっただけで……、別に……」


 リンドーはウィルヘルムの言い訳は無視して、口を開いた。


「あ、そうだ。今から王都に帰るんだろう? あたしも行っていいかい」


「構わんが。もう、王都に賭博場は少ないぞ」


「あんたじゃないんだから、金ができたら全部賭博に使うなんてしないよ! 買い物がしたいだけさ」


「まぁ! 今からなら泊まりになりますよね? ぜひ、うちの屋敷に泊ってくださいな! 色々、お話を聞かせてください! お風呂もありますよ!」


「泊まれるのありがたいけど、風呂は別に……」


「やった! じゃあ、決まりです!」


 レイリアルはリンドーを抱きしめようとして、すぐに思い直すと、手を差し出した。握手するのかと、リンドーはその手を握ったが、レイリアルは握手している手を持ち帰ると、引っ張って歩き出した。手を繋ぎたかっただけらしい。

 彼女たちに続いて、ウィルヘルムたちも歩き出した。リンドーの助けを求める視線があったが、フィリームズは姫が楽しそうなので無視し、ウィルヘルムは理由もなく無視した。

 ゴーレムたちは主人らが出掛けるのを、手を振って見送った。

 少し旅行にするはずだった石人ドワーフの魔術士リンドーだが、ここから長い旅になるとは思いもしていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る