第9話 星屑のオルゴール sideフィア
私には、たった一つだけ、秘密の宝物がある。
それは、去年の誕生日に、お母様がくれた小さなオルゴール。蓋を開けると、夜空の星屑をぜんぶ集めたみたいに、きらきらの光がふわあってあふれて、子守唄が流れるのだ。お母様はこれを「星屑のオルゴール」って呼んでいた。
毎晩、私はこのオルゴールを枕元に置いて眠る。光と音に包まれていると、まるでお母様の腕の中にいるみたいに、安心して眠れるから。
でも、あの日、私は取り返しのつかないことをしてしまった。ベッドの上でオルゴールを抱きしめていたら、うっかり手を滑らせて、床に落としてしまったのだ。ゴン、と嫌な音がした。
慌てて拾い上げて蓋を開けても、オルゴールはシーンと黙り込んだまま。あんなに綺麗だった光も、優しい音も、どこかへ行ってしまった。私の宝物は、ただの冷たい木の箱になってしまった。
どうしよう。
頭の中が、真っ白になった。お母様に言わなきゃ。でも、言えない。あんなに嬉しそうに、このオルゴールを私に渡してくれたお母様の顔を思い出すと、胸がぎゅーって苦しくなる。私が壊しちゃったって知ったら、きっとすごく悲しむ。
その日の夜、私は初めて、オルゴールなしで眠った。
お布団にもぐっても、全然眠れなかった。暗い天井を見つめていると、涙がどんどんあふれてきて、枕がぐっしょり濡れてしまった。
次の日、私は市場にパンを買いに行く時、エルナおばあちゃんのお手伝いをした。その時、エルナおばあちゃんが、街のみんなに嬉しそうに話しているのを聞いたのだ。
「森の入り口に新しくできた工房の若い衆がね、あたしの古いオルゴールを直してくれたんだよ。昔と少しも変わらない、優しい音色でねえ」
その言葉を聞いた瞬間、私の心の中に、ぽっと小さな灯りがともった気がした。
森の、工房。
もしかしたら、私の宝物も、あそこなら……。
でも、怖かった。
森の入り口の工房には、人間のお兄さんが一人で住んでいると聞いていた。人間は、エルフよりも身体が大きくて、声も低い。人見知りの私が、一人でちゃんとお願いできるわけがない。
だけど、このまま黙っていたら、私の宝物は永遠に壊れたままだ。お母様にも、ずっと嘘をつき続けなくちゃいけない。
私は、ぎゅっと拳を握りしめた。
行くんだ。
お母様を悲しませないために。私の、たった一つの宝物を取り戻すために。それが、私の人生で一番の、大きな大きな勇気だった。
工房の扉は、思ったよりもずっと大きくて、重そうだった。心臓が、喉から飛び出しそうなくらい、どきどきしていた。私は、小さな声で「ご、ごめんなさい」と言いながら、扉をコン、コン、と叩いた。
出てきたのは、やっぱり、人間のお兄さんだった。亜麻色の髪で、森の葉っぱみたいな緑色の目をした人。でも、その声は、私が思っていたよりもずっと低くて、少しだけ怖くて、涙が出そうになった。
もうダメだ、帰ろう。そう思った時、奥から、別のお兄さんが出てきた。カワウソの獣人の、ナギさんというお兄さんだった。彼は、太陽みたいに明るく笑って、私の目線までしゃがんでくれた。その笑顔を見たら、さっきまでのドキドキが、少しだけ治まった。
リアムさん。それが、緑色の目をしたお兄さんの名前だった。彼は、私が差し出したオルゴールを、とても真剣な顔で見てくれた。そして、「やってみよう」と言ってくれた。その時、彼の低い声が、全然怖くない、すごく優しい声に聞こえた。
次の日、お母様に、全部正直に話した。オルゴールを壊してしまったこと。森の工房にお願いしに行ったこと。
私は、すごく叱られると思っていた。だけど、お母様は、黙って私の話を全部聞いてくれた後、「そう、一人でよく頑張ったわね」と言って、私の頭を優しく撫でてくれた。そして、私の手を握って、「さあ、一緒にお礼を言いに行きましょう」と言ってくれたのだ。
工房に着くと、リアムさんとナギさんは、ちょうど修理が終わったところだった。リアムさんが、私の目の前で、オルゴールの蓋を開けてくれる。
――その瞬間、私は、息をするのも忘れてしまった。
箱の中からあふれ出したのは、前よりもずっと優しくて、温かい、満点の星空だった。そして、聞こえてきたメロディは、まさしく、私の大好きな、お母様の子守唄。
「よかった……!」
涙が、今度は嬉しくて、止まらなかった。帰り道、私は、お母様としっかりと手を繋いで歩いた。手の中には、ちゃんと光と音を取り戻した、私の宝物がある。
「リアムさん、すごいね、お母様」
「ええ、本当に。まるで魔法使いのようだわ」
「うん!」
私は、もう一度、森の工房の方を振り返った。夕日に照らされた工房が、なんだかキラキラして見えた。
私の小さな勇気は、二人の優しいお兄さんのおかげで、星屑の奇跡に変わった。この日のことを、私はきっと、ずっと忘れない。
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