王宮を追放された天才魔道具技師、辺境の街でスローライフ始めます ~作るものは兵器じゃなくて、人々の思い出に寄り添う温かい道具です~
紘
第1話 魔具師リアム
この世界には、魔物がいる。
森の奥深く、忘れられた遺跡、あるいは雄大な山脈の頂に。人々の領域の外側には、常に異形の者たちの気配があった。
人々は、その脅威と共に生きる術を学んだ。魔物を討伐した際に残される、魔力の結晶体――『魔石』。それは、倒された魔物の心臓そのものであり、文明を支える神秘の歯車だった。
人々は魔石から魔力を引き出し、生活を照らすランプや、農耕を助ける自動人形など、様々な『魔道具』を生み出した。魔石の輝きは、人々の暮らしの輝きそのものであった。
舞台は、広大な森林と豊かな水源に恵まれた、シルヴァニア王国。
自然との共存を重んじる穏やかなこの国で、最も魔道具技術が発展しているのは、王都アステルだ。王宮や貴族たちの庇護のもと、日夜、最新技術の研究が行われ、国威を示すための豪華絢爛な魔道具が作られている。王宮に仕える魔道具技師は、誰もが羨む誉れの職だ。
リアムは、その全てを捨てた。王都の喧騒から遠く離れた、東の辺境。森と川の街、リバーフェル。
隣国であるドワーフの職人国家との交易で細々と栄えてはいるが、王都の華やかさとは無縁の、のどかな時間が流れる場所。様々な獣人や人間、エルフなど数多くの種族が共に暮らす、自然豊かな街だ。
リアムは今、この街外れの、森の入り口に工房を構えている。蔦の葉に覆われた山小屋のようなその工房は『森の灯火(もりのともしび)』と名付けられているが、その看板は小さく、知る人ぞ知る隠れ家といった佇まいだ。
工房の中では、革のエプロンをつけた一人の青年が、作業台の上の小さなオルゴールと向き合っていた。亜麻色の髪から覗く真剣な眼差しは、森の若葉のような緑色。彼の名は、リアム。かつて王宮で、その才能を嘱望された若き天才。
彼が王都を捨てた理由を知る者は、この街にはいない。ただ、彼は今、ここで息をしている。誰かを傷つけることのない、人々のささやかな日常に寄り添う道具たちに、新たな命を吹き込みながら。
リバーフェルに腰を落ち着けて、まもなく二度目の春が来ようとしていた。
工房『森の灯火』の中は、静寂に満ちていた。差し込む柔らかな陽光が、空気中を舞う細かな埃をきらきらと照らし出す。壁にかけられた無数の工具が鈍い銀色の光を放ち、棚に並んだ多種多様な素材――乾燥させた薬草の束、色とりどりの鉱石の欠片、ドワーフ製の硬質な金属線――が、静かに出番を待っている。
リアムは息を詰め、ピンセットの先で極小のゼンマイを調整していた。カチリ、と心地よい金属音が響く。持ち込まれたオルゴールは、もう何十年も前に作られた年代物だ。魔石の力で自動演奏するのではなく、純粋な機械仕掛け。
だからこそ、修理にはごまかしの効かない繊細な技術が求められる。依頼主である街のパン屋の老婆は、「亡くなった亭主からの初めての贈り物なんだよ」と、皺の刻まれた手でオルゴールをそっと撫でていた。
その光景を思い出し、リアムの指先はさらに精度を増す。
(……あと少し)
最後のネジを締めようと、彼がさらに集中力を高めた、その時だった。
「おーい、リアム!いるかーっ!」
工房の静寂を豪快に破って、裏手の方から間延びした声が響いた。声の主は、扉を叩くという習慣を持ち合わせていないらしい。木の扉が勢いよく開かれ、ひょこりと顔を覗かせたのは、艶のある焦げ茶色の髪と、ぴょこんと立った丸い耳の青年だった。
「……ナギか。声が大きい」
リアムは顔も上げずに、低い声で応じる。眉間に寄ったシワが、深い集中の邪魔をされた不機嫌さを物語っていた。
「ははっ、悪い悪い。また細かいことやってるなぁ」
ナギと呼ばれたカワウソの獣人青年は、悪びれる様子もなく工房に入ってくる。その手には、まだ水滴のついた大きな川魚が三匹、エラを紐で結わえられてぶら下がっていた。川の水の匂いと、若い獣人の快活な気配が、機械油と乾燥ハーブの匂いが満ちた空間に混じり合う。
「何の用だ。見ての通り、取り込み中なんだが」
「つれないこと言うなって。ほら、いいのが獲れたからお裾分けだ。こいつ、塩焼きにすると美味いんだぜ」
そう言ってナギは、作業台の空いたスペースに、どさりと魚を置いた。銀色に輝く鱗が、春の日差しを反射する。
「どうせお前、昼飯もまだなんだろ。パンをかじって終わり、とかそんなんだろ?」
「……うるさい」
図星を突かれ、リアムはようやく顔を上げた。その緑色の瞳に、悪戯っぽく笑うナギの顔が映る。リアムは小さく、誰にも聞こえないくらいの溜め息をつくと、手にしていた工具をそっと作業台に置いた。その仕草に、ナギは満足そうににっと笑う。
「で、実はさ、魚を届けに来ただけじゃないんだ」
ナギはそう言うと、懐から布に包まれた小さな何かを取り出した。
「こいつも、ちょっと見てほしくてさ」
ナギがおずおずと差し出したのは、魚の形をした古いルアーだった。手のひらに収まるほどの大きさで、使い込まれた木製の胴体には、所々に傷がついている。だが、その目にはめ込まれた小さな石は、ただのガラスや水晶ではなかった。乳白色の、柔らかな光を内に秘めたような不思議な石。
「『月の雫石』か。古いな」
リアムはルアーを指先でつまみ上げ、光にかざしながら言った。
「ああ。じっちゃんの形見なんだ。昔はこれで、川の主みたいな大物を釣ったって自慢してた」
月の雫石は、水中で魔力に反応し、魚を惹きつける淡い光を放つ特殊な鉱石だ。このルアーは、その石の特性を活かした、カワウソの獣人族に伝わる漁のお守りのようなものだった。
「こいつ、最近まったく光らなくなっちまってさ。ただの木彫りの魚だ。これじゃ、じっちゃんに顔向けできねえ」
ナギは少し寂しそうに頭をかいた。リアムは何も言わず、作業台の引き出しから魔道具技師用の単眼鏡を取り出すと、慣れた手つきで右目に装着した。ルアーを慎重に覗き込み、内部の構造を探る。彼の瞳が、ただの職人のそれから、獲物を見据える狩人のように鋭く変わった。
ナギは黙ってその様子を見守る。リアムがこうして道具と向き合っている時の、空気が張り詰めるような集中した雰囲気が、彼は嫌いではなかった。
「……なるほどな」
しばらくして、リアムは単眼鏡を外した。
「石そのものの魔力は、まだ僅かに残ってる。だが、石から胴体内部に張り巡らされた魔力回路が、経年劣化で三か所、断線してる。これじゃ光るわけがない」
「やっぱり壊れてたのか……。直せるか?」
「直せる」
リアムは即答した。その声には、揺るぎない自信が満ちていた。
「ただ、回路を繋ぎ直すにはドワーフ製の極細銀線が必要だ。それと……石に残った魔力だけじゃ、もう光は安定しない。魔力を再充填する必要がある」
「魔力の充填? そんなことできるのか?」
「専門の設備があればな。王都ならともかく、こんな辺境の個人工房じゃ……」
リアムは一度言葉を切り、自分の作業台の、一番奥の引き出しに目をやった。そこには、王都を離れる際に、最低限の道具と共に持ち出した私物がいくつか入っている。その中に、掌に収まるほどの小さな桐の箱があった。
彼は少しだけ躊躇うそぶりを見せた後、立ち上がってその箱を手に取った。箱を開けると、中にはビロードの布が敷かれ、その上に小指の爪ほどの大きさの、澄み切った青色の魔石が一つ、鎮座していた。王宮で扱っていたような最高級品ではないが、不純物がほとんどない、非常に質の良い魔石だった。
「……貸しだからな」
リアムはぶっきらぼうにそう言うと、魔石をピンセットで慎重につまみ上げた。
リアムの作業は、まるで精密な手術のようだった。彼はまず、ルアーの腹部にある継ぎ目から、特殊な薬品を使って木製の胴体を傷つけないように慎重に解体していく。やがて姿を現したのは、蜘蛛の巣のように張り巡らされた、髪の毛よりも細い魔力回路だった。
「すげえ……中はこうなってたのか」
ナギが感嘆の声を漏らす。
リアムはナギの声など聞こえていないかのように、断線した回路を、極細の銀線を使って繋ぎ合わせていく。それはミリ単位以下の、気の遠くなるような作業だった。息遣いすら聞こえないほどの静寂の中、工房には工具のかすかな金属音だけが響く。
「じっちゃん、このルアーをすごく大事にしてたんだ」
作業を見守りながら、ナギがぽつりぽつりと話し始めた。
「俺がまだ小さい頃、よく川に連れてってもらってさ。じっちゃんがこれを投げると、本当に、月の光が水の中に溶けたみたいに光るんだ。それを見てるだけで、わくわくした」
リアムの手は止まらない。だが、その耳は確かにナギの言葉を拾っていた。
「じっちゃんが死んじまって、俺がこれを譲り受けた時、いつかこれで、じっちゃんが釣ったみたいな大物を釣って、墓前に報告するんだって誓ったんだ。……なのに、俺が下手くそだからか、だんだん光が弱くなっちまって……」
リアムは、ふと王都での日々を思い出していた。彼が作っていたのは、こんな小さな思い出の品ではなかった。貴族を飾る豪華な宝飾品、国の威信をかけた巨大な魔導機械。そこには技術の粋が尽くされていたが、持ち主の温かい想いが込められているものは、ほとんどなかった。求められるのは性能、効率、そして見栄え。彼はいつしか、自分が何のために道具を作っているのか、分からなくなっていた。
リアムは静かに青い魔石を削り、その粉末を乳鉢ですり潰していく。魔力を暴走させないよう、工房に常備している中和作用のあるハーブを数滴混ぜ、慎重に練り上げていく。それは、王宮の教科書には載っていない、彼が独自に編み出した技術だった。
練り上げた魔石のペーストを、月の雫石の根元に、針の先で慎重に充填していく。すべての作業を終え、リアムが再びルアーを組み上げた頃には、窓から差し込む光はオレンジ色に変わり始めていた。
「……終わった」
リアムはそう呟くと、完成したルアーをナギの前に置いた。
ナギが恐る恐るそれを手に取ると、胴体に埋め込まれた月の雫石が、まるで呼吸をするように、ぽぅ……と柔らかく、そしてどこか懐かしい光を灯した。満月の光をそのまま溶かしたような、優しい光だった。
「……あ……」
ナギは言葉を失い、光るルアーをじっと見つめていた。その大きな黒い瞳が、わずかに潤んでいるように見えた。
「すげえ……前よりも、もっと綺麗に光ってるみてえだ……! ありがとう、リアム!本当に、ありがとう!」
ナギは満面の笑みを浮かべると、リアムの肩を力強くバンバンと叩いた。
「おい、やめろ」
「いやー、さっすが王宮出の天才様は違うぜ!」
「……その呼び方はやめろと言ってるだろ」
リアムは迷惑そうに顔をしかめるが、その声にはいつものような刺々しさはない。ナギの心からの喜びに、知らず知らずのうちに、固く閉ざしていた胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じていた。
「よし!この礼だ!今日の魚は全部置いてく!なんなら俺が焼いてやろうか?」
「いらん。自分でやる」
「なんだよ、つれねえなあ。まあいいや、とにかく、本当に助かった!今度こそ、大物を釣ってみせるぜ!」
ナギは興奮冷めやらぬ様子で、光を取り戻した宝物を大事そうに懐にしまうと、嵐のように工房から出て行った。
再び訪れた静寂の中、リアムは作業台に置かれたままの三匹の魚に目をやった。エラを貫く紐を解き、一匹を手に取る。ずしりとした重さと、生命の感触。
王都では、食事はいつも配給されるか、金で買うだけのものだった。こうして、友人が獲ってきてくれた、顔の見える食材を手に取るのは、ここに来てからの習慣だ。
リアムは小さく息をつくと、工房の隅に置かれた質素な調理場に向かって立ち上がった。
「……たまには、焼いてみるか」
西日が差し込む工房で、若き魔道具技師は、少しだけ面倒くさそうに、でもどこか満更でもない表情で、一人呟いた。
王都の華やかさも、約束された名誉も、ここにはない。
だが、失くした光を取り戻した道具と、友人の笑顔、そして川魚の焼けるささやかな匂い。そんなものに囲まれたこの暮らしが、今の彼にとっては、世界の全てだった。
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