第22話【五億年前の視線】

ゼミの掲示用ポスターを作っていたら、名雪さんがホワイトボードに大きく書いた。


「次回テーマ――アノマリカリス!」


俺は思わずペンを止める。


「一文字だけ訂正してもよろしいですか。“アノマロカリス”です」


「ロか……たしかにロだ。舌が迷子になるやつ」


「読み間違えるほど、形が想像の外側なんでしょうね」




今回の展示は“奇妙さのデザイン”。そこで俺たちは、古生物のぬいぐるみを一つ作って置くことにした。名雪さんはフェルトを切りながら、前部付属肢にあたるパーツを指で挟む。


「この“がしっ”ってする腕、メカっぽくて好き。可動域、増やしたい」


「ではベルクロで関節を増やしましょう。――複眼は透明ビーズを縫い付けると、それっぽくなります」


マジックテープってベルクロっていうと格好いい不思議である。


「わ、光の粒が並ぶ。五億年前に、ピン留めの光を見てた生き物がいたって思うと、急に現在とつながるね」




アノマロカリスはカンブリア紀の海にいた一属で、体側のひれで泳ぎ、頭の前に一対の付属肢、円盤状の口、発達した複眼をもっていたとされる。最近、「わけあって絶滅しました」で読んだ。




「名前も可愛いよね。“アノマロ”が“普通じゃない”、“カリス”が“エビ”。“ふつうじゃないエビ”。」


「命名からしてメッセージ性が強いです。――ところで、この子を“怖くない奇妙さ”にするには、どこを丸めるべきでしょう」


「うーん、口。円盤の歯は、フェルトだとギザギザが強すぎるから、刺繍で“点々”にしてみる。あと体色はサンゴピンクに寄せよ」


「賛成です。奇妙さを“拒絶の記号”にしないようにしましょう」




「ねえ、“複眼”ってさ、ゼミに似てない?」


「と言いますと」


「一つの正解じゃなくて、一人一人の小さいレンズで世界を少しずつ見る。全体像は、みんなの視線が並んだときに出る。そういう学び」


「良い比喩です。前足は“拾い上げる手”として、仮説を捕まえる役、口は“議論の口”ですね」


「つまりこのぬいぐるみ、ゼミのマスコットだ。某フレンズ的に言うと“やさしい捕食者”」




仕上げの糸を結ぶと、卓上の海に一匹の影が生まれた。目はビーズで、腕はベルクロで、口は刺繍の点々。怖さより先に、観察したくなる奇妙さが立ち上がる。


「完成。名前、どうする?」


「“アノマロさん”でいかがでしょう。親しみを優先します」




ポスターには「見たことのない形を、見慣れた手触りで」と書き足した。展示の隅には注意書き――「触ってよし」。


「触れる奇妙さって、安心する」


「未知は、手ざわりがあるほど怖くなくなりますから」




片づけを終えて外へ出ると、夕焼けが廊下を満たしていた。複眼が集める小さな光が、床のタイルに散っているように見える。


「……五億年前の視線が、ここにも届く気がします」


「うん。いま見えてる“ふつう”がどう映るのか気になるね」


俺はうなずいて、アノマロさんをそっと抱えた。奇妙さは、怖がるためではなく、世界をもう一歩広げるための合図だ。今日の展示も、きっとそれを伝えられる。

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