12. 世界はめちゃくちゃにならずに今もここにちゃんとある【4/7】

 一見閉まっているように見えた扉も半ドア状態で、ノブを回さなくていいならびびすけは余裕で出入りできる。こっちからは内開きだが取っ掛かりは手の届く低い位置を爪でカリカリ引いて、ドアがふわりと手前に動いたところをすかさず肉球で止め、そのまま多少の勢いをつけて開ける。その光景は毎日見ているものだ。この家の扉はどれも手を離すと自然に閉じようとすることはびびすけも承知だから開けると同時に中へ入る。

 おれが両親の寝室に入ると窓と網戸が少し開いていて、戻ってきて毛繕いをしているびびすけと目が合った。そうだよな、あんなに器用にドアを開けるねこちゃんがベランダへと続くサッシと網戸を真横に引くなんて楽勝だろう。当然だがびびすけ自身には特に禁止事項を破ったことによる罪悪感だとかがあるはずもなく、「澄治か。なんか用?」みたいな表情を見せて再び毛繕いに集中し始める。おれは驚きが勝ってびびすけに何も言えてないのだけど、とりあえず胸を撫で下ろしている状態にあった。

 外に出てたみたいだがちゃんと帰ってきている、と。

 網戸と窓を閉めながら、そもそもなんでこんな状態で窓を放置しているのだと、段々両親に対して腹が立ってくる。

 換気のためとかで窓を開けておくなら部屋の扉は閉めるべきだ。

 リビングにいるびびすけがこっちの部屋にも自由に出入りできるようにしてあげたい気持ちがあってわざと部屋の扉を半ドアにしておいた、というのなら窓を閉めて外出するべきだ。

 どうしても換気したいのならネットで買ったねこちゃん用の網戸ストッパーをすべての網戸に取り付けてあるのだからちゃんとロックしておくべき。

 どういう目的だったとしても、なんらかの対応は必須で、もし、それ以前の「忘れてた」とか「気が抜けてた」とかいう詰めの甘い低次元な話なら腹立つを通り越して呆れるし、反省もないとしたら失望だ。

 うちではずっと外に出さないようにしていたからお母さんやお父さんが洗濯物を干しにいくときも、おれら男三兄弟が友達との通話とかでベランダへ出るときなんかでもそこにびびすけがいれば気を付けていたし、窓際で網戸越しに外の匂いをスンスン嗅いだり洗濯物を干してるお父さんを見つめながら直立して網戸におててを押しつけたりと、「外へ出たいのかな? 外に興味があるんだろうな」って印象だから家族の誰もが基本的に「そっち行っちゃダメよ」的な声掛けをしてきた。この子が生後三ヶ月でうちに来てからの六年間ずっとだ。外と、キッチンに関しては徹底して立ち入ることを禁じてきた。

 別に誰かが一緒にいるのならキッチンなんて危険は少ないが、もしもそこを好きになって家に誰もいないときに入り浸ったりごみ箱や戸棚を物色するようなことになったらここにはねこには有害とされる「ねぎ」やら「たまねぎ」やら「チョコレート」があるから危険だ、ということでキッチン周りにはびびすけ単独では開けられないような手作りの柵が設けられている。外へ出さないことも理由は同じだ。

 そこには「危険な目に遭わないように」とか「ずっと健康でいてほしい」とか「長生きしてほしい」とかって思いを乗せてるわけだけど、そしてそいつは基本的に「びびすけのためを思ってやってきた」スタンスなわけだけど、本当はびびすけのために何かをしていると思いたい自分のためなのだ。小村家のみんな、それぞれがそれぞれの役割を持ってびびすけに接してきたそれらは、本当はびびすけのためなんかじゃなくて自分自身のためなんだろ。

 相手によって接しかたを選ぶのは誰でもそうだ。個別の接しかたはどれも自身の表現だから別にそれはそれでいい。同じ理由で、人間のエゴをペットに押しつけているのではないかという煩悶とか議論がしたいわけじゃない。それじゃあこの、湧きでる気分はなんだというのだ。

 そりゃやっぱ最初に浮かぶのは「びびすけのことはびびすけ本人にしかわからない」ということ。

 人間とねこの違いとか人間のエゴだの思い上がりだのじゃない、一緒に暮らしてきた家族としての間合い、というものがびびすけとおれのあいだには確かにある。

 長年過ごして確立してると思い込んでる関係性が、実のところいつだって変わり得る不確定なものでしかないという懸念も同時にあって、それこそが生きるってことだよね、とか、そういう一筋縄じゃないところがおもしろいよね、とか、そんな感じで軽く扱える気分のときはいいのだけれど、こういうことにさっきからつまずいてばかりの今日は調子が乱れているとしか思えなくて「やっぱり家を出ようかな」なんて思う。外は危険がいっぱいだからびびすけに学んで家で大人しくしてよう、とかソファーにひっくり返ってのんびり構えてたけど、そんなんだとこうやって同じような思考のループだし当のびびすけもなんか知らんけど出かけとるし。このねこはこんなこといつからやってたんだろう?

 まぁおれもこれを機に改める。想像を超えてくることは日常茶飯事として起こりまくっている、と。

 さっき一瞬一緒に心配していた妹はトイレを終えてリビングからこの部屋のドアが半開きなのに気付いたみたいで、

「びびちゃん。ここにいてたのん」

 と猫撫で声で入ってきた。おれはびびすけが外にいたことは黙っておくことにした。恵媛が取り乱す様子をちょっと想像して、なんとなく避けた。「キレイキレイにしてるのん。えらいね~」

 妹はびびすけに近づいて背中を撫でるが毛繕いの終わっていないねこはそのうっとうしい手をたしなめるように噛もうとする。凶暴さはまったくないが「今はやめろ」みたいな感じ。恵媛は拒絶されてるくせに「かわいいねぇ」「かわいいよぉ」と繰り返す。こうやって見てると愚かな人間そのものだがおれだって普段は似たようなものだ。なんだか自然にそうなってる。そして、その接しかたに対応したリアクションを相手にも求めているということなんだろう。猫撫で声でかわいがりたい相手にはそれに見合うだけのかわいさを要求している。

 自分が他人に認識されてる自分を演じてしまうのと同様に、自分も周りの人間に役割を押しつけている。それでも世界は完璧なバランスを保っていて、一人一人の認定がバラバラなこととは無関係にただ在る。ただ在るように世界はあって、一人一人が全然違う解釈をしているだけ。ある意味本人にとって「思い通りの世界」になっているわけだ。物事の解釈に用いるワードセンスとか、未知のものに対してのネーミングセンスとか、それらに応じた世界がその人のなかだけに広がっていく。だから本人は心地いい。当然、居心地がいいんだから。

 同じ塗り絵でも自由に塗れと言われたら人によって色調がまるで違うし、何がどうあれば思い通りの満足感を得られるのか、それはその人による。にもかかわらず周りに役割を押しつけたり、押しつけられたら演じてやったりもしていて、誰も彼もがこんな調子でボタンの掛け違いまくり状態、しかもこれはあちこちで頻繁に巻き起こってる出来事だというのに世界はめちゃくちゃにならずに今もここにちゃんとある。

 おれがこのことに気付けるのはなぜだ。

 それは多分きっと、おれから見えるおれを中心とした世界ではそういうルールが適用されているからだ。それを採用したのはいつだったかは定かじゃないが過去のいつかの時点のおれだ。つまりおれがおれの世界のルールを作ってる。「この世界はこう」と断定する実権を握っているのはおれなのだ。誰かの影響で意見が変わるようなことがあったとしても、最終的にそいつを採用する判断をしたのならば責任の所在は自分にある。何らかの行動をとった時点で「おれが決めたこと」として世界に刻まれる。何かに属したり傾倒したり価値観は移ろうけども、その度ごとに都合の良いように、ストーリーに沿うような解釈を与える。

 そうやって何回も何回も世界を再定義する。

 そもそもこの世界ってなんなんだ? て根本の疑問には一つの正解がないし、楽しむための舞台やろ、とかおれはそんな感じ。みんな、それぞれのなかに自分の答えがあるだけでそれらはみんな屁理屈みたいな強引さがあって、だけど不思議なことにこれが、当人にとっては納得するだけの説得力とリアリティを持っているのだ。

「するってぇと、神様なのかい、みんな。お前さんもお前さんもおれも、みーんな神様だ。神は全部と繋がってるからね、お前さんはおれなんだ。けれどもねぇ、全部と繋がってるからって調子に乗っちゃあいけねぇよ? それはお前さんなんだけどそこに立ってるあんたのことだけの話じゃねんだ。そいつはこの世界を体験するための乗り物みてぇなもんで、本当のお前さんはてぇと、意識のほうにいる。意識のなかからお前さんが送る人生を観てる、そういうまぁ、アトラクション? 肉体に乗り込んでそいつの思考や反応を体験し楽しむ、人生 ザ ライドてぇわけだな。てことはだな、イカした乗りもんでありてぇってのがさぁ、人情ってもんじゃない。より良く在ろうとするってのはさ、神の意識と肉体とが調和してる表れであり、気の利いたことが心地よいのも善いことをすると気分がいいつうのも神と一体になってる証なんだぜ。気持ちが良いってぇと、気分、こころ、という目に見えない精神の話に聞こえるけども、胸のあたりがジワーっとほっこりしたりさ、なんかがバーっとほどけてくような心臓とも別個の脈動を感知できたりしない? それ、肉体のほうでも反射的に反応しちゃってるじゃない。つまりそれってのはさ、思考とも感情とも違う、意識するだけのもの。端的に言っちゃえば意識に送られてきた神の表現そのものってわけ」

「お兄どうした。何さっきからぶつぶつ言うてんの? やばない?」



12.【5/7】へ続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る