6. 一番下の兄貴【3/3】

 わたしは後ろ手にドアを閉め、

「こんな演出をやるつもりじゃなかってんけど、アレが三番目」

 と言った。正直スミ兄の前で騒がなかったことでほっとしていた。

 でもそこからはすごかった。怒涛の質問攻めだった。うるさいくらいで、もしスミ兄がまだキッチンやダイニングにいたなら全部聞かれているだろう。

 名前は? 何歳? 彼女はいるの? 好きな食べ物は? 血液型は? 誕生日は? 好きな女性のタイプは? 好きな芸能人は? 趣味は? 身長は? 体重は? 苦手なものは? どこの大学? 出身高校は? などなど……。

 答えられるものはすぐ答えるけども、わたしだって知らないことはいっぱいある。それは本人に訊いてくれって思うことや、知っているけどなんとなく教えたくないこと、倫理的に教えるのが憚られるものもある。うちは家族と言えど一定のプライバシーは保たれて育っているから感覚的にブレーキがかかる。そんなわたしだけどみんなからは不満や非難は特に出なかった。

 阿部たちはスミ兄が今年から大学生で、趣味は音楽鑑賞で、十二月生まれ、といったごく基本的なプロファイルで結構騒がしく盛りあがっていて、「好きな食べ物はクルトンとオムライスと味付けのり」と答えるとそれだけでかわいいかわいいとひっくり返って喜び、苦手なものはに対し「ピーマンとシシトウとウニ」と言うと子供みたいっつって大爆笑していた。ちなみにウニはわたしの大好物だ。食べ物系の話題は偉大だ。

 でもわたしはもう今となってはスミ兄も食べ物の好き嫌いなんて克服しているかもしれない、好きなものもの嫌いなものも今では更新されて本人だったら全然違うものを答えたかもしれない、とふと思う。もちろんわたしのなかではスミ兄の印象は変わっていないからこう答えているのだけれど。だがそれも印象を更新するべきときにこちらがそれを無視して、自分に都合のいいような解釈を維持しているだけなんじゃないか、なんてことも話しながら感じるのは、トモヨより阿部のほうが断然食いつきが強くて、わたしは阿部のことをもっとクールでさばさばした子で、たとえスミ兄の顔面がタイプだったとしてももうちょっと余裕を残して会話できる子だと思っていたってことが、そうじゃない阿部を見てわかったからだった。それこそわたしの創りあげた勝手な阿部像だった――ってことになる。スミ兄の情報を真剣に訊いたり、きゃっきゃと笑い転げる様を見ていて、「阿部、めっちゃ乙女やん……」とわたしは思っていた。

 こっちがそんな調子で盛りあがっているあいだ、キャムはキャムでびびすけと盛りあがっていて、クッキーの個包装の袋を丸く結んだものをひらひらさせて追わせたり、それを手のなかやクッションの下に隠して探させたりしていた。

「キャム遊ぶの上手やな」

 と言うと、

「近所のいとこの家にねこがいるんです。あと、よくお母さんとねこカフェにいくんですよぉ」

 と返して、でへへ、と笑った。

 ひとしきりみんなで話して、一応ちゃんとわたしと志田君の話を聞いてもらったり、勉強会みたいな空気になったけれどトモヨと彼氏の馴れ初めなんかも詳しく聞けて、あとみんなで今日買ったアイテムを見せあって、挙句わたしは全身着替えさせられ、遠足当日の靴や鞄や髪型はどんなのがいいか、裾を折るなら何回折るのがベストか、袖をまくるのはアリかナシか、とかどれもみんな真剣に議論してくれた。そのあいだずっとびびすけはわたしのベッドの真ん中で眠っていた。

 トモヨが一番ここから家が遠く、門限があるからと言ってお開きになったのだけれど、わたしもみんなをバス停まで送ろうと四人で玄関にいくと、またスミ兄と鉢合わせた。ついでに正嗣もいた。

「あらお帰りで」

 とスミ兄。

「どうも、妹がお世話になっておりまして」

 とブーツを履き終わって立ちあがった正嗣が馬鹿丁寧にお辞儀した。今日はバンドのほうだったみたいで、皮のギターケースを肩に下げ、ひげは剃っていたけど目も耳も隠れるくらい長い髪は毛先のほうが無造作に外ハネしていて、隣に爽やかなスミ兄がいるせいでちょっと小汚く見える。服装もスミ兄がシンプルな無地のサマーセーターなのに対し正嗣は古着が好きで、柄シャツの上に気に入ってずっと着ている古びたスタジャンを羽織っていた。だけど正嗣はまじめな奴だからこういうときちゃんと丁寧な挨拶をする。

「どうも~」ってみんな頭を下げ、まず兄二人を見送って、四人でバス停へと歩きだしたとき、キャムが、「今初めてまともに顔を見ました。やばいです」と言った。

「そっか。そういやキャム、お兄さんが来たときもびびすけ君ばっかり見てたな」

「それにうちらが最初に覗き見したときはぐふぐふ言いながら漫画読んでた」

「そうなんですよ。びびちゃんに気を取られていました。写真で見るより百倍かっこいいじゃないですか……」

「ええ~、今さらかいな~」

 と言ったが、キャムはそこに反応せず言葉を続けた。

「わたし、好きになってしまったかもしれません」



 今日までわたしは小村澄治という男がこれほどまでにモテてしまうのを、神のイタズラ、みたいな無責任な言葉で、いわば他人事として受けとめていた。しかし今回に限ってはちょっとそうも言ってられない。

 キャムは案外オープンに話す子で、なんでもニュートラルに話すと思っていた阿部は実はめっちゃ乙女で、多分こっちもスミ兄のことを結構本気でいいと思ってるっぽい。実るとか実らないとかはわたしの知ったことではないしスミ兄がわたしの同級生を相手にするとは思えないけれど、恋の行方うんぬん関係なしに「せっかくいい感じの四人でいれそうだったのに亀裂が生じたらどうしてくれんだゴルァ」という気持ち。


 もやもやしながらもみんながバスに乗り込むのを見届けて帰宅。


 スミ兄はコンビニに行っただけですぐに帰ってきていた。わたしの気も知らないで、

「恵媛、さっきな、おもろいもん見つけたで」

 と能天気に話しかけてくる。

「何よ」

「これこれ」

 とリビングのテレビの前へ行き、一台のビデオカメラを手にとった。ケーブルがテレビに繋がれていた。「テレビ台の奥にあってな、おれもさっきちょっと見ただけやねんけどな、やばいで」

 テレビをつけ、チャンネルを合わせて再生する。わたしは見やすいようにテレビ前のソファーに座る。

 大画面に映しだされたのはわたしたちだった。

 それもすごく小さい。どう見ても十年以上は前だ。

 スミ兄が小学校に上がる前くらい? わたしなんてころころと丸くてまともに喋れてないくらい幼い。そんなわたしたちがこのソファーの上、今わたしが座っているあたりで歌いながらぴょんぴょん飛び跳ねている映像だった。わたしは座っているここが今、一緒に浮いたり沈んだりしているような錯覚に陥る。

「これ、お母さんに訊いたらな、当時和崇兄さんがしょっちゅうこうやって家のなかを撮ってて、それはおれも憶えてるんやけど、当時このカメラをお父さんから譲り受けて、お父さんが言うには和崇が映画を撮ろうとしてると。それの試し撮り? らしいわ」

 カカカッ、とスミ兄は笑った。

 画面では小さいスミ兄がソファーから元気に飛びおりてぐるぐる走り回ったあと、カメラを構えているカズ兄に、「ちょっとダンスホール行ってくる」と言って、ダイニングとの段差のところに今もあるコンポの前へ行き再生ボタンを押す。父の所有する昔の音楽が流れて、その激しいロックの曲に合わせてぶんぶん首を振っていた。わたしはそんなスミ兄を真似しようと後ろまで来て頭を振るのだけどスミ兄みたいにうまくできず動きがカクカクしていた。スミ兄は曲をわかっていて展開に合わせて激しく飛んだり寝そべったりするから、「恵媛、危ないよ」と注意を促す父の声が入る。踊り狂うスミ兄はやっぱり今より全然かわいくて、こんなん阿部やキャムからしたら悶絶級のお宝映像やん、と思う。画面に小学生の正嗣が出てきて、一緒に踊りたいのにできないわたしを後ろから抱きかかえて避難させる。カズ兄のカメラがつられてそっちを追いかける。正面に向きを変えられ対面で抱っこされているわたしはじっとスミ兄を見つめながらぎゅっと正嗣に抱きついていた。

 家のシーンはここで唐突に途切れて、そのあとはなんだか薄暗いどこかのお店かなんかの映像しかなくて、人物は一切出てこない、無音のまま店内の風景だけがゆっくり流れる退屈な映像だった。スミ兄はそこでビデオを停止して、

「恵媛。今日連れてきた子たちやけど、高校の友達?」

 と言った。わたしはさっきまでの映像に、当事者であるにもかかわらず幼すぎて記憶がないから懐かしさすら超えて胸に直接揺さぶりをかけてくる初めての衝撃を味わっていた。そしてここに映っていた空間が、今もほとんど変わらず目の前にあり、毎日どの瞬間にもあるこの景色の、今と十数年前が重なった感じがすごくヘンで、その、時空間的歪みにも動揺していた。「大丈夫か? 何泣いてんねん」

「え?」

 意識してみると確かに涙が目に溜まっていた。「なんやろ。わからん、懐かしいからかな」と適当に返事していると、

「いや、こんな昔のこと憶えてへんやろ」

 と見透かされる。「今日友達連れてきて、よかったなって話」

「何がぁ」

 涙をジャージの袖でぬぐう。

「さっき正嗣兄さんと言っててんけどな、友達なんてここ五、六年連れてきてなかったやん。中学のことはつまらなそうに話すし。あんまり遊びにも行かへんし。だから、よかったよな」

 スミ兄は淡々と言う。淡々と言うからなのか、言われている側から涙がぽろぽろとこぼれて止まらなくなった。スミ兄がわたしの友達が来てるってことに反応したのも、びびすけを連れていくときに機嫌が良さそうだったのも、そういう思いだったからなのか。そこまで頭が回らなかったわたしはやっぱり今でもこの人たちに見守られている妹なんだな、と思えて、そこにもまた謎の感情が潜んでいて涙が出てくるのだった。

「あららぁ。泣くほどつらかったん。よしよし」

 とスミ兄は側へ来て頭を撫でるけど、違う。つらかったわけではない。少なくともつらいと感じたことは一度もなかった。けど言い返すような気にはなれず、もうちょっとこのままでいたいかもと、ただ頭部をスミ兄に預けて撫でられるままにしておいた。思えばスミ兄はわたしにとって弱さを見せたくない相手で、今までのわたしならしくしく泣く姿を見せるなんてあり得ないはずだ。その感情だけははっきりと胸に刻みつけながら、気の済むまで泣いた。



7.へ続く

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