5. 卒業ライブに出よう【2/3】

 ぼくらの通う洲田原すたはら中学――通称「スタ中」――で毎年恒例の卒業イベント、「スタ中 卒業ライブ」は今年で三年目を迎える。これは「生徒たちの自由な発想と創造性の発展のため」と謳われたイベントで、学校に断りを入れてはいるが正式な学校行事ではない。主催者である小沢先生が個人で企画しているものだ。三年前にスタ中に赴任してきた小沢先生は過去にバンド活動と自主映画制作の経験を持つ三十過ぎの独身男で、中学卒業ぐらいのタイミングで学校行事以外にも「とにかく楽しかった思い出」ができれば卒業後の人生の糧になるんじゃないかと考え、年寄りの堅物の先生にはいい顔はされなかったけれど押し通し、卒業生たちから出演者を募り、ポスターやフライヤーを作り、学校内に掲示する、というぼくら中学生からすればかなりセンセーショナルなイベントを実現させた。当然協力的な生徒が多く、美術部がポスターを描いたり出演者でフライヤーを配ったりするのをぼくも一年のときから毎年見ていた。

 このイベントは学校ではなく本物のライブハウスで行われる。小沢先生がミゼニを切ってレンタル料金を払っているのだと思う。「知り合いが店長をしているライブハウス」と言っていたから多少のディスカウントはあるのかもしれないけれど、「年に一度の自分にできる最大の奉仕」らしいのでチケット料金はタダだった。そして、参加するしないも個人の自由。チケットは出演者か小沢先生からしか受けとることはできないものだが、文化祭とかとは違って家族を呼ぶ者は少なく、たいていクラスメートか、部活などの後輩を招待するものらしい。

 今回で三年目だから四つ上の兄 和崇のときにはこの卒業イベントはなかった。

「正嗣がそれに出るならみんなで観にいくわ」

 と兄が言った。ここで言う「みんな」とは、家族のことである。

 兄が言うその家族とは、父 富士郎と、三男 澄治と、長女 恵媛だろう。兄は母 由真とは折り合いがよくない。思想の違いがある。祖母 きらりは高齢だし普段着が和服だからライブハウスに連れていくのを躊躇わせる。 

 どうせ家族に観られるんだったら、と思うと欲が出て、

「ちゃんとした音質と綺麗な画質で撮影したデータを共有してくれるならば招待してやらないこともない」

 と交換条件を提示した。

 兄は映画好きが高じて映像の専門学生になったから、入学祝いに買ってもらったいいカメラで本気で撮れ、という意味だ。それに対する兄の返答はこういうものだった。

「ほう、なんなら音響やってる奴を呼んで回り込みの音を編集用に押さえて、ハコには事情を説明してライン録りの音源もらえるようお願いするわ。キャメラも学校から借りてあと二台は用意しよう。一台は固定、もう一台は澄治にでも動き回ってもらうか。で、前後のインタビューやインサートも撮る。やるからにはとことん、徹底的に本気のライブ作品作ろうぜ!」

 伝統的に家族をあまり呼ばないイベントだと聞いていたせいでちょっと恥ずかしいかも、と揺れ動いていたぼくの中途半端な状態に任せて出た「条件」だったが、結果的に兄の士気を爆上げてしまったのだった。早口だし、ところどころ謎の単語まで出てくる始末だ。映像の作り手として欲求不満だったのだろう。熱意はぼくにも充分伝わってきたのだが、問題なのはその「最高のライブ作品」の演者が経験皆無の素人集団だということだ。おまけにギターボーカルがニキビだらけで坊主頭のスミエダだ。ああいうのは歌っている奴が一番画面に登場する回数が多いと決まっていて、ぼくはドラムだから一番が登場シーンが少ないだろう。



「やっぱりやるなら全曲オリジナルっしょ」

 スミエダは西側の窓の前のソファーにどかっと座って鞄を足元に置き、木製の長テーブルにノートを広げて一枚破り、「三十分ステージなら五、六曲くらいか?」と言ってボールペンを走らせた。

「あと二ヶ月しかないけどそんな何曲もできるん?」

 サカキは脱いだ上着を手にどこに置こうか一瞬うろうろしていたけど、ぼくが恵媛と喋っているうちに折りたたんでスミエダの隣に置いて、自分はテーブルの短い辺の前にある一人掛けソファーに座った。

「そこ、びびすけがよく寝てるから毛付くかも」

「ええよ。あとでコロコロ貸して」

「うん。びびすけ、どこー? あ、おった」

 一歳七ヶ月になるねこのびびすけは南窓の前のまだ陽が当たっている床におしりをくっつけて外を見ていたらしく、ぼくが見つけたときはこっちを見ていたけどすぐ視線を外へ戻した。

「おててが揃っててかわいいね。お上品だね」

 とぼくは言った。

「オムラ、ねこに話すときキャラ変わりすぎ」

「そうか? みんなこんなもんやろ」

「いやほらほら、今の、その低くなった声がいつものお前の声や」

 スミエダは笑う。確かにびびすけに話しかけるときは声のトーンが上がっている。

 こっちの騒がしさが気になったのかびびすけはちょんちょんと歩いてきて僕の前を通り過ぎ、サカキのすぐ側の床にぺたっとお腹をつけて座った。

「びびすけ全然人見知りせーへんな」

 サカキが言った。「ごめんなぁ、ここ、いつも寝てるとこなんやなぁ。どこうかぁ?」

 と猫撫で声でびびすけの背中を撫でる。

「座ってていいよ。びびすけのお気に入りスポットはこの家にいくらでもあるから」

「おいおい、サカキまでキャラ変わってるやん……」

「おれもばーちゃんちにねこおるから」

 びびすけはサカキに撫でられながら目を細め、ごろごろと喉を鳴らし始めた。「な?」

 と彼は得意げにスミエダを見る。スミエダは言った。

「おれにもあとで撫でさせてくれ。実はおれ……、ちょっとこわいねんねこ」

「ほう、こんなにかわいいのに」

「そやったん。全然撫でてくれていいし、びびすけは遊ぶん大好きやから遊んだってよ」

「遊ぶ? 遊ぶとは?」

「あとでおもちゃ持ってくるわ」

「持ってきました」

 恵媛が言った。なみなみとオレンジジュースが注がれたガラスコップをおぼんに三つ載せてキッチンからゆっくりと歩いてくる。こぼさないように慎重に、のろのろよろよろと、実に頼りない。だがそれがかわいらしく、

「あらありがと~う」

 とスミエダが両手を頬に当てて感激している。

「どうぞ……」

 こぼさないように……、そう意識するあまり手が震えていた。

「ありがとね恵媛。でもちょっとジュース入れすぎやで」

 とぼくはへらへらしながら指摘したのだが、無視だった。再来月の四月一日で七歳になる妹は三つのジュースをお客さんの前に並べるミッションに集中していた。「これは昨日恵媛がおとんと買い物行って買ってもらったジュースやねん。それをぼくらにもくれるらしい」

 と二人に説明すると、サカキはうなずいた。

「それでさっきあっちで話しあってたんか」

「そそ。ぼくがお茶でいいし自分で入れるでって言ってんけど。全部任せてほしかってんて。な?」

 恵媛に同意を求めると、無事ミッションを完遂した妹は、「おとん……」と言った。

 聞き慣れない言葉だったからだが、文脈から意味は理解できていたから、

「とーちゃん!」

 と元気よく言った。

「ははは、ごめんごめんいつも家ではお父さんって言ってるねん」

 ぼくは二人に弁明したが、

「おれもそや。外ではおとん、うちではお父さんや」

 とサカキが言った。

「その、とうちゃんに? 買ってもらったジュースを? おれたちに? しかも自分で入れて運んできてくれて? いや~んケナゲ~」

 スミエダはテンションが上がっている。恵媛に両手を振りながら高い声で、「ありがとんね~ん」と言った。

「おい、妹が引いてるから」

「お前もキャラ変わっとるやないか」

 どう接したらいいのかわからず苦笑いで固まっている妹にぼくは言った。

「このお兄ちゃん、ジュースもろたんよっぽど嬉しかったみたいやわ」

「どうもありがとうね」

 位置的に恵媛の真横にあるソファーに座っているサカキが続く。スミエダとは対照的に物静かな感じ。座っている彼と立っている妹の顔はちょうど同じくらいの高さにあった。恵媛はサカキを見、うつむいて少し笑い、おぼんを両手でぎゅっと抱きかかえて、何も言わず走り去った。何今の間。

 スミエダには悪いがサカキは顔面がかっこよくて態度は結構クールだけど本当は色々気付く奴だから女子にも男子にもやさしい。だからモテる。おぼんを片付けて自室へ入っていく妹の背中を見ながら、恵媛、サカキは十年早いぞ、と念を送り、実際妹が男女交際をするような年齢になったときに、こんなサカキみたいないい奴に出会えれば良いのだが……、などとそのまま十年先の心配をしているうちに二人は切り替えて本題を話し始めていた。



5.【3/3】へ続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る