1. 初詣にいこう【1/4】

 初詣にいこう、とスミエダから連絡があって、去年は兄も同行したとはいえ同様の流れで外出できたからリビングにいる両親に許可をもらいにきたのだけど今年は母 由真ゆまがもう寝室で、一人でテレビを観ていた父 富士郎ふじろうの反応は「お、いってらっしゃい。気を付けてな」のみ。思いのほかあっけなく出れた。

 夜中に友達と遊ぶのは夏にクラスのみんなで花火大会の屋台を回ったとき以来だ。あのときみんなで集合したのは確かまだ明るい時間帯だったから、夜中に保護者抜きで待ち合わせをするのはこれが初めてだった。外気は思ったほど冷たくもなくて空は晴れていた。ぼくは夜中にも晴天や曇り空の違いがあることは思い返してみれば当たり前のことだけれど今初めて意識していた。集合場所は三人の家の中間地点で、そこが神社へと続く一本道に繋がる角だ。すでにスミエダはそこに立っていた。

「おおオムラ、あけおめ」

「あけおめ」

「ことよろ。もうすぐサカキ来るわ」

 首元にベージュのタートルネックのセーターを覗かせて真っ黒なベンチコートに身を包んだスミエダの赤くなった鼻っ柱はよく見ると微かに湿っているのがわかる。彼は上から下、下から上と、ぼくの全身を眺めて、「なんか今日はおしゃれやね」

 と言った。ぼくは兄の持ち物のワインレッドのダウンジャケットを借りていた。下は裏地が冬用に加工された自分のジーンズだったけど、靴もまた兄から借りてきたムートンブーツだった。こんな真夜中に出かけることなんてなかったから相当寒いだろうと予測して兄の持っている防寒性の高そうなダウンと靴を借りてきたのだが、選ぶとき、おしゃれに見えるように意識はした。

 もし、同学年の女子が同じように初詣に出かけることになっていた場合、このへんは神社はここしかないから鉢合わせすることになる。もはや防寒性うんぬんは口実と言ってよかった。ぼくはクローゼットで耳当てを見つけて「これも借りていい?」と兄に訊いた。耳当てなんて小学校以来だ。それはまだ同級生が大勢集まって遊んだりすることが多かった頃に持っていたのによく似た、ニット素材のケーブル編みのデザインのものだった。小学五年生の冬、寒がっていた遥希はるきに一度貸した思い出がよみがえった。そのときの現物は子供用のものだからとっくに母の手で処分されているしそれ以降耳当ては一度も所有していない。日頃同じクローゼットを使っているのにもかかわらず兄が耳当てを持っていたことすら知らなかった。夜の外出という非日常の高揚から瞬間的に遥希を思い浮かべたちょうどそのとき目に止まったのだ。

「ういっすー。あけましておめでとう」

 サカキが来た。部屋着だった。部屋着を思わせるグレーの上下のスウェットに真っ青な半纏を羽織った状態の、まさしく部屋着姿だった。

 サカキは普段はスミエダやぼくなんかよりは服装に気を遣っているイメージはあったから今日の気遣い皆無のコーディネートに対しては驚きよりも戸惑いのほうが勝ってしまう。自分はかっこつけすぎたのではないかと、夜中の外出に浮かれて、遥希に会うことを妄想して、さすがにそれは妄想だけれども、でもまぁ女子たちの誰かに蜂合わすことくらいは全然あり得るから想定して然るべきだ、などと考えていた自分が途端に恥ずかしくなる。サカキは合流するなり「窓から抜けだしてきたわ」

 と言った。それを聞いたらちょっとほっとした。そしてまたじわじわと高揚する。サカキは家が厳しいから、こんな時間に会えていること自体が奇跡なのだ。

「ほら見てこれ。かっこええやろ。エアージョーダン。兄貴のん」

 とサカキは右足を上げてひらひらと靴を見せてくる。新品のバッシュだった。兄貴は高校生活最後だからと年末年始は友達と旅行中とのことだった。その兄貴が部屋に飾っているバッシュを勝手に履いて、親の目を盗んで窓から出てきた。不良だ。ちゃんと親に許可をもらって兄にも断って服や靴を借りてきたぼくとはまさしく正反対と言える境遇だ。「帰ったら靴底ちゃんと拭いて汚れ落としとかななぁ」

 とか言って冷静さを装っている。サカキ自身も大胆な行動に乗りだして興奮気味なのは普段から一緒にいるぼくらにはわかった。とりあえずあったかい飲み物でも、と近くの自販機で順番に買って三人で白い息を吐きながら暗い住宅地を神社までまっすぐ歩いていく。

「今日は何しとったん」

「家おったで。ゲームして、漫画読んで、だらだらしてた。オムラは?」

「似たようなもんかな。本読んで、兄貴と弟と三人で映画観て。あ、一応午前中に練習はしたで」

「ええなおい」

 サカキが言った。「おれはずっと大掃除やらされてたわ。全然終わらんくて、ベース弾きたいのにさ、終わったらおばあちゃんち行ってからの外食やし」

「ええやん外食!」

「サカキは一軒家やし三階建てやもんな。掃除大変やろな」

「狭いけどな。くそぉ、兄貴がおらんのが悪いねん。おれもいつか旅行して大掃除サボったる」

 サカキは買ったブラックの缶コーヒーをごくごく飲み、「早く大人になりてぇ」とつぶやく。こんなものをごくごく飲めるサカキは大人みたいだが、そういうことが大人になるってことじゃないのはぼくでもわかる。かと言ってさっさと家を出て自立したいだとか、そんな気持ちは今のぼくにはないから想像してみるだけだ。

「オトナなりたいよなぁ……」

 とスミエダが返す。おしるこの缶を包み込むように持って両手を温めながら、「……藤吉さんってOBの橋本さんと付き合ってたって噂あるやん。もう、オトナなんかな……」

 と言った。スミエダはソッチ方面の話が大好きで、いや大好きと言うより思考のベースにソッチへの興味があるから「大人」という単語でどこまでも想像が膨らむようで、うちの中学で数少ないヤンキーギャルの藤吉さんをそういう目で見ていたってことを新年早々暴露した。「まぁ藤吉さんは無理でもさぁ、清楚系で言うたら沖田さんとかもオトナっぽいよな。りんりん先生とか曽根先輩とか、誰でもええから早くおれをオトナにしてくれって感じやったけどさ、同級生同士で一緒にオトナになるってストーリーもありやなって思うわ最近」

「スミエダなんなん? 酔ってんの?」

「もしかして酒でも飲んだ?」

 寒くて鼻が赤いだけと思っていたが、スミエダのお父さんは大酒飲みらしく、家に酒瓶が転がってたとしたらこいつならやりかねない、と思った。

「いやいや、飲んでないよ!」

 スミエダは否定した。「沖田さんも藤吉さんも全然タイプ違うけどおれは二人ともいいと思うねん! サカキ、お前はどうやねん!」

「ええ、おれに振るか」

 サカキは笑う。コーヒーをごくごく飲む。「うーん、その二人やったら断然沖田さんかな。藤吉さんは大人っぽい雰囲気出してるけど顔面は幼いやん。おれはキレイなお姉さんタイプが好きやから、沖田さんは前々からいいと思ってた」

 正直な意見だった。次はぼくに振ってくる、そう思って黙ったまま身構える。

「なるほど。サカキらしいわ。沖田さん初詣来てたら今の言うたろ」

「やめろや」

「いやいやいや、おらんやろこんな夜中に! 沖田さんやったら、元旦の、明るいうちに行くやろ!」

「知らんやん、どんなポイントで興奮してんねんお前。自分で言ったくせに」

「てかおってもスミエダはそんな大胆なこと言わんやろ」

 とぼくも横槍を入れた。てっきり好きな人の話になるのだと思って警戒したのだけど杞憂だった。サカキが言った。

「ホンマやな、よう考えたら初めから全部こいつの妄想やったわ」

「いや、もし沖田さんおってみ。言うたるわ。今日のおれやったらな、なんでも言える。告白だってできる気がする……」

「やっぱスミエダ飲んでるやろ」

「ほれ、ここにハァ~ってしてみ」

「や飲んでないって! あ、神社んとこ明るいで」

 スミエダが前方を指す。

 去年も明けてすぐに兄 和崇とスミエダのいとこ二人と五人で来たから、元旦早々の神社の雰囲気は知っている。サカキは家族旅行でいなかった。

 決して人で溢れ返るということはなく、かと言ってがらがらってわけでもない。去年の印象で言えば入れ替わり立ち替わり人の流れが続いて、常に境内にいる参拝者は三、四十人くらいを保っていた。賽銭箱の前に並ぶ二列縦隊を挟むように篝火台が左右に一つずつ、顔の高さの位置で火がめらめらと燃えていた。去年はそれが温かくて、新鮮で、炎は波とか雲の流れとかと同じでいつまでも見ていられるものだから、顔に当たる熱や徐々に身体が温かくなる感覚と一緒に初詣の景色も記憶に焼きついたのだった。

「武田さん……、今年も会えたらええな」

 とスミエダがぼくの顔を覗き込んでにやつく。どくん、と胸が鳴る。

「なんで遥希が出てくんねん。去年も確かに会ったけどっ」

 武田遥希が幼馴染であることやだんだん疎遠になっていったこと、今の三年一組で小学校一、二年のクラスぶりに同じクラスになったことなど、ぼくは遥希の話題に関しては努めて平静を装って説明してきたつもりだが、どうやら好きとかそういう感情も全部バレているっぽい。自分でも完璧に隠せているとまでは思っていなかったけれど、考えたら一人の女子についてこんなに長い時間をかけて説明している時点で誰でもそう推測するのは当たり前のことだと今さらながら気付いてまだ神社にすら着いていないのに身体がぽかぽかして顔が熱くなった。

「会えたらがんばって喋れよ。おれらどっか行くから。なぁサカキ」

「そやな。もしそんな展開になったらそうするわ」

「じゃあさ、藤吉さんか沖田さんおって、おれががんばったらそのときも応援してくれる?」

「それは、邪魔しよかな……」

「邪魔するわ」

 ぼくも冗談で言った。冗談で余裕のあるフリをした。「てか沖田さんは元旦の、明るいうちに行くやろ」

「なんでオムラもそれ言うねん」

 サカキは笑った。

 スミエダもサカキも小学校が同じだけれどぼくたちが仲良くなったのは中学からで、中二のクラスは三人とも同じだった。遥希とは疎遠になったといっても廊下ですれ違えば挨拶くらいはするから、そんな場面に居合わせたことのある二人には密かに好意を持ち続けていることは伏せつつ簡単な説明はしたし、スミエダは小学校高学年で、サカキは中学一年で、それぞれ遥希と同じクラスになっている。遥希は大人しく、特に男子とは親しくしているイメージはなかったから予想通りだけれど、二人とも同じクラスのときも「会話した記憶がほとんどない」そうだ。

 だから去年の初詣で遥希と鉢合わせたときもスミエダは主にいとこたちと行動していたから遠巻きにぼくらを見ていただけで、しかも兄がいて、遥希も姉の瑠花るかと来ていたから、その現場は兄と瑠花のやりとりだけが盛りあがった。兄と瑠花は昔からよく喋る。それぞれ十九歳と十七歳になった今もその印象は変わらない。羨ましいくらいに弾ませるのだ会話を。一方こっちは口下手なぼくに大人しい遥希だ。確か「よう」とか「来ててんな」とか、兄たちがくっちゃべってるから間を持たせるためにこっちでも喋らなきゃいけない、みたいな感じになっていた。

 情けないことにぼくは遥希のことを五歳で出会ったときから意識はしているがこの意識が恋愛感情の「好き」とイコールだと自覚したのは小学校高学年からで、その頃はたまに複数のグループで遊ぶようなときくらいしか接点もなくて、喫茶店でよく遊んだのも同じクラスだったのも遠い過去で、基本的に小三からはそれぞれ別のコミュニティで全然違う学校生活を送っていたから「がんばって喋れ」とスミエダは言うけれど何をどうがんばればいいのかも、どうがんばったらふつうに喋れるのかもわからない。




1.【2/4】へ続く

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