第11話 狂い出した輪

祭りのざわめきが、一瞬で凍りついた。


広場の向こうから、鋭い悲鳴が響いた。


「誰か、助けて! 子どもが……血が止まらないの!」


人々のざわめきが途切れ、群衆は一瞬にして動きを止めた。叫び声に驚き、足をすくませた者もいれば、好奇心に駆られて覗き込もうとする者もいる。


荷車が転がり、積まれた荷物が地面に散乱する中、血に濡れた小さな体を母親が抱きしめ、必死に守っている姿を見て、マコの足は自然と前に出た。胸の奥がぎゅっと締めつけられるように痛む。


「待て、マコ!」レオンの声が後ろから響く。しかし、その声は群衆の喧騒にかき消され、彼女の耳には届かない。


群衆をかき分け、膝をついたマコは子どもの前に身を屈めた。


「大丈夫です。……貸してください」


母親の震える手を包み込み、無理に引き離すことはせず、寄り添うように抱きかかえた。掌から淡く光が滲み出し、指先から子どもの胸へと染み渡る。青白かった顔に徐々に血の色が戻り、閉じられていた唇が微かに震える。小さな胸が上下し、かすかな呼吸が力を取り戻していった。


「……血が、止まった、息があるわ……」母親の声が震え、涙で頬を濡らす。歓声が広場に湧き、周囲は一瞬、奇跡に息を呑んだ。


だがその熱気の中に、冷たい視線が紛れ込んでいた。


通りの陰から光る、鋭い目。目立たぬよう人混みに紛れる数人の兵士たちだ。彼らは王妃直属の任務を帯び、街中を警護する役割を持つ精鋭である。人々にはただの見張りとして映るが、実際には目標を確保するための刺客に等しい存在だった。


レオンは人垣の隙間からその視線に気づく。背筋が凍りついた。


「マコ、やめろ!」声を荒げるが、届かない。群衆の波に遮られ、短剣を抜く手も届かない。数の差は明らかだった。長剣は小屋に置いたまま、身動きは取れない。


兵士たちが徐々に距離を詰め、マコを囲むように押し分けて進む。群衆の一部は恐怖で固まり、逃げられずに見守るしかない。別の者は好奇心から近づき、状況を確認しようと身を乗り出す。群衆のざわめきと緊張感が、まるで波打つ空気のように入り混じった。


マコは驚いたように目を見開いたが、抵抗することはしない。淡い光がまだ掌に残るが、それも消えつつあった。兵士の腕が彼女の肩を掴み、ゆっくりと持ち上げる。足元をすくわれ、地面を蹴る隙もないまま、まるで流れるように歩みを進められる。


「離せ!」レオンは咄嗟に短剣を振るおうとするが、数には敵わず、腕が押さえつけられる。


群衆の中には恐怖で声も出せず、ただ目の前の光景に釘付けになる者もいる。だが誰もが、次に起こることがただ事ではないと本能的に悟っていた。


やがて、広場の中央から外れた通りへ、マコは連れ去られていく。赤いマントの端が揺れ、淡い光が残像のように消えていく。群衆のざわめきが再び戻る頃には、もう彼女の姿は視界から消えていた。


祭りの賑わいが一瞬にして凍りついたかのように感じられた。だが時間は残酷に流れ続ける。数刻も経たぬうちに、楽師の音が再び鳴り、人々は「見なかったこと」にするように祭りを続けた。


ただ一人、地に膝をついたレオンだけが、その喧騒から切り離されていた。短剣を握る手は震え、胸の奥で渦巻く怒りと恐怖が収まりきらなかった。


――一夜にして、二人の日常は崩れ去った。

今日までの優しい奇跡が、皮肉にも彼らの運命を大きく狂わせていったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る