第3話 家族の記憶と影

マコはゆっくりと瞼を開けた。


窓から差し込む月明かりが、薄暗い室内にやわらかな影を落としている。

空気は少し湿っていて、夜風がカーテンを揺らし、森の草木の匂いを運んでくる。

虫の声が遠くでかすかに響き、涼しげな初夏の夜の静けさが、部屋の中を包み込んでいた。


いつもは屋根裏の小さな一間を借りて寝起きしているが、昨夜はレオンが自分の寝床である大きなベッドに運び上げてくれていたらしい。

初めて出会った日に一度だけ使わせてもらった、あの寝床だ。


――また厄介をかけてしまった。手が掛かる同居人だと、自分で思わず苦笑する。


あのとき、彼は一瞬ためらったあと、低く落ち着いた声で言った。

「ここで寝てろ。今夜は俺がそばについてるから」


そう言うと、レオンは手をかざし、部屋の空間をふっと広げた。

外から見れば小さな木造小屋なのに、中は居間がゆったりと伸び、寝床がふたつ並ぶほどの広さに変わる――それは彼が秘める空間魔法の力だった。

木の壁がわずかに光を帯び、夜風がゆるやかに通り抜ける。外では木々の葉がさらさらと揺れ、星の瞬きが窓の向こうに淡く揺らめいていた。


柔らかな毛布の感触が背中に伝わり、重たいまぶたの奥に夢の余韻がまだ尾を引く。

その夢の中で見た家族の笑顔がふと胸をよぎり、寂しさが波のように押し寄せる。

肩先が小さく震え、マコは胸の奥の痛みをただ静かに受け止めていた。


そのとき、傍らに座っていたレオンが、思い切ったように口を開く。

「……なあ、マコ。さっき、夢の中で“ふみ”って呼んでた。……それは、誰なんだ?」


唐突な問いに、マコの胸がどきりと跳ねる。

夢の残り香のように夫の声と笑顔がよみがえり、視界がわずかに滲む。手がほんのわずかに震えた。


「……私の、家族よ。もう会えない、私の……夫なの」


その答えに、レオンは一瞬言葉を失った。

月光に照らされた横顔に、驚きと拭いきれない複雑さが影を落とす。

眉根がわずかに寄せられ、唇が動きかけては止まる。


レオンの胸の奥で、何かがぎゅっと引きつるのを感じながら、彼は唇を噛み、答えを飲み込む。

静寂が、二人の間に淡い光とともに漂う。


「……そうか」


少し強めの声で、レオンは視線をそらす。

「でも、今一番そばにいるのは俺だろう?」


マコははっと顔を上げ、困ったように微笑み、言葉をにごす。

「……あなたは、私の命の恩人よ。それ以上でも、それ以下でもないわ」


柔らかくも揺るぎない口調。レオンは一瞬だけ目を閉じ、胸の内の熱を静かに抑え込む。

窓から流れ込む夜風が、カーテンを揺らし、灯りを小さく揺らした。

淡い月の光だけが二人の間を照らし、静かな温度を保っていた。


マコは小さく息をつき、手のひらを膝の上に置いたまま、心の奥で懸命に平静を保つ。

涙が零れそうになるのを抑え、静かにその瞬間を受け止めていた。

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