第15話 必要なもの


店から出ると3人の女性がいた。じろりとこちらを見る。その時、空気が締まるのが伝わってきた。


「……」


何も言わない。僕と秋穂は頭をさげ、その視線を掻い潜るように3人を横切る。香水なのか微かに香る柑橘系の匂い。


姿が見えなくなった頃、秋穂は口を開いた。


「……あの人達は、前に佐倉さんがいたバンドのメンバーです」

「え……あ、そうなの」

「はい。おそらく、佐倉さんを待っているのでしょう」

「……仲がいいんだな」

「そうですね。……おそらく、とっても」


そういう秋穂の声はどこか浮いていた。


「……兄さん」

「ん?」

「もし、何か用があってあのライブハウスに行くときは、必ず私に知らせて下さい。一緒に行くので」

「え、あ、うん……まあ、秋穂か灯夏さんがいないと行けないけど……」

「……そうですよね」


?、あんなリア充陽キャの巣窟であるライブハウスに僕が単独で突入するなんてあるわけないだろ。

最近じゃリハビリのせいか、少しの時間なら一人で出歩くことが出来るようになった。けど、あんなライブハウスなんて近づくなんて、陰キャ根暗ニート引き篭もり(元)の僕には到底できない。そんなの秋穂が一番わかってるはずなのに……なんでそんな事を言ったんだ?


コンビニの前に差し掛かった頃。秋穂に電話がかかってきた。


「――はい、はい……そうですか。わかりました、すぐそちらへ向かいます」


秋穂の顔が明るくなる。


「兄さん、私これからちょっと研究室に行きます。一人で帰れますか?」

「……帰れるよ。それくらい出来る。心配しないで大丈夫だ」


まだまだ外だと、びくつき声がどもり緊張しまくり挙動不審だ。でも、頑張って慣れていかないと。秋穂がいないときもちゃんとできるように。


いつまでもおんぶにだっこされたままじゃ兄の名が廃る。……いや、もう廃りきってるかもしれんけど。でも、努力する姿勢くらいはみせたい。


「ほんとに?」

「うん、大丈夫。僕、コンビニで買い物して帰るから……じゃあね」

「わかりました。では」


手を振り僕はコンビニへと入る。秋穂が研究室に行ったとなると今日の夕食は自分で作らなければならない。一度研究室に行くとしばらくは帰ってこないからな。


(……なに食べよう……)


最近はずっと灯夏さんか秋穂がいてご飯作ってくれたり外食したりが続いていたからな。久しぶりの一人の食事か。……カップ麺でいいかな。


適当なカップ麺と水、お菓子をカゴにいれレジへと向かう。するとその時、雨が降っている事に気がついた。

土砂降りの大雨。


……秋穂は、もう研究室ついたよな……。


ビニール傘を手に取りレジへ。灯夏さんが傘を持ってきて無かったのを思い出し、僕はライブハウスへ戻る。


灯夏さんに連絡してみたが返信は無い。もしかしたらライブハウスの傘を借りて帰れるかもだけど、一応行ってみる。いなければ普通に帰るだけだ。でも、もし帰れずに困っているなら助けたい。


(バンドメンバーだしな)


秋穂には連絡しなかった。これくらいなら別に大丈夫だと思ったのと、彼女の邪魔になりたくなかったから。さっき連絡が来たときの笑顔を思うと、その気にはなれなかった。まあ、お兄ちゃんだしな。


ライブハウスに着く。傘をたたみ、中へ入ろうとした時扉が開いた。


「……あ」


そこから出てきたのはさっきすれ違った3人の女性。灯夏さんの元バンドメンバー。


「あなた、灯夏の……」

「あ、は、はいっ……あ、え……と」

「……どうしたの?」


視線がキツイ。目を合わせられないし、僕は俯いたまま。だけど……さっきよりもかなり、強烈に睨まれてるのがわかる。

苛立つ雰囲気と怒気をはらんだ言葉の圧力。この感じ……この人達は、多分、僕の事を嫌っている……。


「……と、灯、夏……さんに、傘……雨、ふって」


なんとか言葉を絞り出す。それが更に彼女らの癇に障ったのか、小さく舌打つ音が聞こえた。


「灯夏ならもう帰ったわよ」

「……あ、そ、そうですか……」


はあ、と3人の一人が深くため息をつく。


「あんた、なに?どうして灯夏と一緒に組んでんの?」

「……ど、どうして……って」

「びくびくおどおどして。歌だって上手くもない、どう考えても結の方がいいギタボなのに。なんであんたみたいなのと灯夏が組んでるのよ」

「……そ、れは……」


声が掠れる。息がくるしい。何かを言えばより強い言葉でねじ伏せられる……過去のその経験がフラッシュバックのように呼び起こされ、さらに僕の喉は締まりだす。


みえない手が伸びて首を絞められているようだ。


「どうせ顔だけ、ビジュが良いからちやほやされてんでしょ?あんた。ゆーちゅーばー?Vちゅーばー?だかなんだか知んないけどさ、下手くそなんだからわきまえてよ」

「……」

「おい、ダンマリかよ。あの子の側から離れろって言ってんの」

「わかってんの?灯夏は凄いギタリストなんだよ。なのに、あんなしょぼいバンドで……才能腐らすとか。マジで耐えらんないんだけど!」


しょぼい……バンド……。


「灯夏はねギターが凄いんだよ。大好きなの。なのに、ベース弾かせてさ……」

「!」


ボーカルだと言われた結と言う子が涙ぐむ。袖で目を擦り、そして僕を敵意に満ちた目で睨む。

恐ろしくて手が震え、手に持っていた買い物袋と傘を落とす。


「あんなクソみたいなお遊びすんならさ……あんた、消えてよ。灯夏のために」


ひとしきり罵倒し終え、3人は立ち去った。


……灯夏のために……消えろ……。


その言葉が僕の心に深く刺さる。


上手く呼吸が出来ない。


(……やば、い……)


膝を抱え、うずくまる。


雨に湿るスニーカーが冷さに今更気がつく。ソックスがぐちゃぐちゃだ。気持ち悪い。


「……ん?」

「……え……?」


扉がいつのまにか開いていた。そこから顔を出している男性。渋沢店長だった。


「おおおっ!?どーした!?きみ、あれだろ……秋穂ちゃんの、姉……じゃなくて兄の春ちゃん!」

「……あ、え……はい……」


や、ややこしくてすみません……まじで。


「って、びしょ濡れじゃねえかよ!入って」

「……え、でも……」

「風引いたらまずいって!ほら、はやく」

「……す、すみません」


タオルをかりて更衣室で濡れた体を拭く。そして客席で作業をしている店長のもとへ戻ると、彼はホットコーヒーを出してくれた。


「温まるぜ」

「……え、けど……僕……」

「あ、いやいや。金はいいから」

「……」


カップを覗き込むと絵が描かれていた。ラテアートというやつだろう。ホットコーヒーではなくホットラテだった。

しかしこれは……なんだろう……なんの絵だ?動物に見えるけど。


「……ぶ、ぶた……?」

「ちがっ、ね、猫だよ!!」

「……」


猫だったらしい。しまった、どうやら僕はやらかしたっぽい。……え、でもこれ猫なの?普通に……あ、これ鼻じゃないのか!目か!

いやいやだとしたらバランスおかしいでしょ、バケモンでしょ!


「……ぷっ、ふふ……」

「ちょ、笑うんじゃねえ!!」

「だ、だって……目、寄りすぎじゃないですか、ふふ」

「え、あ、マジで?……いや、そうか……ううむ。会心の出来だと思ったんだが」

「これが?会心の出来っ!あはは……!」

「爆笑してる!?ぐっ、ぬう」


恥ずかしかったのか、店長は顔を赤らめてそっぽ向いてしまった。可愛いかよ。

しかし、頑張って作ったのに笑ってしまったのは申し訳ない。謝ろう。


「す、すみません。……けど、どうしてラテアートを」

「え?……ああ、今度カフェでもやろうかと思ってな」

「このライブハウスでですか……?」

「そう。日中はライブ演奏を聴きながらゆっくりできる場所にしようかと思ってさ」

「凄いですね」

「まあ色々やんねーとこのご時世生き残っていけねえからな」

「……生き残れない……」


そう言った店長さんの顔はどこか寂しげだった。


「ライブハウスも色々と厳しいんだよ。ま、だから今回の件も良い機会だと思って受けたんだがな」

「……僕たちの話ですか」

「ああ。だから、まあ……なんだ。悪いな」

「?、……何がですか」


店長は髭を撫でた。


「もしかして、灯夏ちゃんから話聞いて戻ってきたんじゃねえのか?」

「……話……?」


なんのことだろう。ふと、そのとき帰り際の灯夏さんの顔が過ぎった。珍しく暗い顔をしていた灯夏さん。

僕は気になって、つい口にする。


「……な、にか……あったんですか……?」

「うん?ああ、まあ……」


言い淀む店長。髭をじょりじょり撫で、視線が落ち着きを無くす。やがて彼は「すまん」と頭をさげてきた。


「え?」

「……実は、な。君らのライブが単独でやるのが難しくなったというか……」


どきりと心臓が跳ねる。


「他のバンドの奴から対バンの申し出が来てるんだ。さっきもそいつらと話をしていたんだが、どうにもひいてくれそうにもなくてな……」

「もしかして、灯夏さんの元いたバンドの……?」

「知っていたのか。なら話は早いな。そう、彼女らからの申し出だ。ホントなら君たちが当初予定していたように、単独ライブだからといって断らなきゃいけないんだがな……」

「断りきれなかった……?」

「……ああ、まあ。彼女らも君らの練習をみていたんだよ。それで……なんというか」

「単独ライブするには力が、足りない……ですか」

「……まあ、そうだな」


気まずそうにしている店長。僕はなんだか申し訳ない気持ちになってきた。


「まあ、なんだ。ウチも色んなバンドマンやお客さんに支えられてここまで生き残ってきたからな。単独ライブだからといってきっぱり断る事もできるんだが……中々どうにも」


……要するに、僕らは認められていないということだ。『初練習だから失敗して当たり前、仕方ない。これから上手くなればいい』僕らからすれば、それはそうだ。けど、ここで活動しているバンドマンたちにとってはそうではない。


店長の言う通り、バンドマンやそれを見に来てくれるお客さんがいて、その人達に支えられているからこそこのライブハウスは存続できている。

だから、今までそうして支えてくれていた人達の意見を無視して僕らのライブを強行するわけにはいかないのだろう。


(……多分、さっきの女の子たちだけじゃないんだろうな)


もっとたくさんの人達が僕らの単独ライブに反対をしているとみて良いだろう。


「あのよ、春ちゃん。勘違いしてほしくないからあらかじめ言っとくがよ。別に君らのバンドを潰してやろうだなんて思ってないんだ、俺は。VTuberなんて新しい風を吹き込んでくれるのは嬉しいし、程度はわからねえがそれによって新しい客層が開拓できるのもありがてえ。けど、現時点ではそうじゃねえ。今度の君らのライブを見に来るやつらはVTuberを知らねえ連中が殆どだ……だから」

「……そう、ですね……」


あのクオリティではライブが盛り上がらない。今度のライブに来てくれるお客には受けない。

……きっと、あれじゃあどれだけ練習しても無理だと多くの人が言っていたんだ。


ライブハウスは商売。お金を落としてくれる人がいて初めてなりたつ場所。だから店長もどんどん新しい事を初めて必死に維持しようとしている。

それは回り回ってバンドを愛している人達のためでもあり、だからこそ必死なんだ。


……きっと今回僕らの単独ライブに反対している人達もそうなんだろう。この場所を守るために、ライブを失敗させないための提案。だから店長も断れなかった……そんなところなんじゃないか。多分。


「……悪いな」

「……いえ……わかりました」


僕は苦いラテを飲み干した。


雨上がりの空。まだ降りたそうな曇り空を眺めながら歩く。

このままでは間違いなく失敗する。僕は、きっと歌えない。


多分、あのガールズバンドの人達がライブ自体は盛り上げてくれるだろうし成功はするだろう。それはもう、それで良い。そこは心配しなくてもいい。

ある意味そこの点では気楽なまである。けど、僕らのバンドは失敗する。


(……ここまで話が進んでたらもう逃げられない)


店長の話だと殆どのお客さんはあのライブハウスの常連さんだという。ネット予約はそこまで売れてないらしい。それはまあ、仕方ない。配信でみてくれてるリスナーは近場に住んでない限りこられないだろうし。地元民である常連さんが大半になるのは当たり前だ。


けど、それは要するに……アウェーになることを意味している。


(声、出ないよな……絶対)


考えるだけでまた指先が震えてくる。あの暗い感情の込められた鋭い目。潰されそうな重々しい雰囲気。

また呼吸が荒くなってくる。


「……くそ……」


気持ちだけでは越えられない。どれだけ何とかしたくても。


(……仕方ない、か……)


これもある種、自業自得な気はする。


ずっと部屋に引きこもって、殻にこもって、治そうとも思わないで。

でも、いずれはこうなると思っていた。


遅かれ早かれ、この痛みは受けなければならないと。


それが今度のライブってなだけだ。かなりの痛みを伴う失敗だろうけど、仕方ない。

配信でも惨めな姿が流れるだろう。それによってリスナーやファン、フォロワーは減る。

男に戻るという目標も当然遠のく。


けど、仕方ない。その失敗も僕が背負うべきものだからだ。身から出た錆って奴だ。


「……あ、春ちゃん?」

「!」


声の先に目をやると、そこには灯夏さんがいた。コンビニの前。いつの間にか僕は傘を買ったコンビニのところまで戻ってきていた。


「灯夏さん」

「やほやほ。って、あれ?配信は?」

「……あ、それは……」


傘を灯夏さんへ持っていった。そのことを素直に言う気にはなれなかった。

ちらつく彼女の元バンドメンバーの顔。きっと彼女らは灯夏さんのことが心配だったに違いない。あの口振りからして、そうだろう。

だから、灯夏さんと目が合わせられない。今度のライブはきっと失敗する。そんな情けない僕なんかと組ませてしまった彼女らへの申し訳なさ、灯夏さんへの罪悪感が言葉を形成するのを阻む。


「……あのさ、春ちゃん」

「うん」

「配信しないなら、ちょっとごカフェでお茶しない?話したいこともあるし」


話したいこと。それはきっと店長が言っていた話だろう。


「……わかった」


今の僕には、受け入れる事しかできない。


……なんであれ、痛くても辛くても。


もう何もできない無い僕には、それしか。


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