Chapter 18 「もう一つの闘い 霞が関の力学」
Chpter18 「もう一つの闘い 霞が関の力学」
米子は調布市東つつじヶ丘2丁目のコンビニエンスストアの前にKawasaki KLX250を停めた。ツーリングネットでリアシートに固定していた紙袋を外して手に持つと住宅街を歩いた。200mほど歩いて阿南邸の玄関のチャイムを押した。
『はい、何の御用でしょうか?』
阿南麻由美がモニター付きインターフォンに出た。
『ハゲタカ運輸です。阿南誠様にメール便のお届けです』
配達員のオレンジ色のユニフォームを着て帽子を目深に被った米子が言った。ユニフォームは劇団が用意したものだった。
『はい、今開けます』
阿南真由美が玄関のドアを開けた。
「毎度ありがとうございます。ハゲタカの『赤ハゲちゃん』マークでおなじみのハゲタカ運輸です。今回は『若ハゲちゃん』マークのハゲガタメール便のお届けです」
米子はA3サイズの紙袋を差し出しながら澱みなく言った。シチュエーションに合わせた業界別の口上やシナリオも劇団が用意してくれるのだ。
「あら、何処からかしら?」
阿南麻由美が訊いた。
「差出人は笹塚の沢村米子様ですね」
米子が袋の裏面に書かれた差出人の名前を読み上げた。
「沢村? 誰かしら? まあいいわ、主人に渡しておくわ」
「それでは受け取り印をお願いします。サインでもかまいません」
米子がボールペンを渡すと阿南麻由美は受け取り伝票にサインをした。
「ありがとうございました。今後もハゲタカ運輸をよろしくお願いします」
米子は頭を下げて言った。
阿南は帰宅するとダイニングの食卓の上に置かれた紙袋を手に取った。厚みのある紙袋の宛名は自分宛だった。
「ハゲタカメール便? 若ハゲちゃん?」
阿南は紙袋に印刷された文字とハゲタカが笑顔で外人が両手を広げるように羽を広げておどけたポーズをとるキャラクターの絵を見て呟いた。袋を裏返すと差出人は『沢村米子』だった。
「うおっ!」
阿南は思わず声を上げると袋を勢いよく破いて逆さにした。破れた紙袋から警察手帳が5冊と財布が5つテーブルの上に落ちた。その内一冊の警察手帳を手に取って開くと警察官の身分証が目に入った。身分証の写真に見覚えがあった。闇桜のメンバーで警部補の『田上』だった。阿南は他の警察手帳を素早く手に取って開くと証明証の写真の何人かは見覚えのある闇桜のメンバーだった。財布の手に取って中を確認すると運転免許証が入っていたがそっちは知らない男達のものだった。
警視庁公安部部長室で阿南は自席に座り、公安1課課長の神崎と公安2課課長柳瀬は応接用の椅子に座っていた。柳瀬は闇桜の責任者でもあった。阿南は自宅に警察手帳5冊と財布が5つ宅配便で送られてき来た事を2人に説明した。
「柳瀬君、どういう事か説明したまえ。送られてきた警察手帳は君の部下のものだった」
「実は一昨日に闇桜5名と懸賞金目当ての5名で沢村米子を襲撃する予定でしたが、全員行方不明になりました。沢村米子を尾行して襲撃する作戦でしたが恐らく全員殺されていると思います。詳しい状況は分かりませんが、部長には本日報告しようと思っていました」
「何? 行方不明だと? じゃあ私の家に送られて来た警察手帳と財布その者達のものか? 差出人は沢村米子だ!」
阿南が言った。
「おそらくそうだと思います」
柳瀬が言った。
「全員か? 全員行方不明なのか? 元SATとSPだぞ!」
「はい、どうやら罠に嵌められたようです。あの女子高生は死神です」
「どこで行方不明になったんだ?」
「吉祥寺のライブハウスです。尾行していた沢村米子が入ったのでそのライブハウスで襲撃を決行する事になったようです。襲撃の15分前に本部に連絡がありましたが、それが最後の連絡になりました」
「ライブハウスで全員殺されたという事か。死体はどうなってるんだ?」
「おそらく掃除屋と呼ばれる死体を処理する組織に渡されたものと思われます。今回は沢村米子だけでなく、その仲間も加わっていたと思われます」
「笹塚の地下道で2人、榊の襲撃で11人、今回で5人。あの女に18人も殺られたのか・・・・・・」
阿南が沈んだ声で言った。
「闇桜の戦力は半減です。懸賞金目当ての殺し屋も6人失いました」
柳瀬が悔しそうに言った。
「それだけじゃありません。沢村米子は東北で赤い狐を多数、長野県の山荘で赤い連隊を15人葬ってますよ。ゼニゲーバの時もSP4人を射殺しています」
神崎が言った。
「くそっ、沢村米子が所属しているのはニコニコ企画とかいう内閣情報統括室のダミー会社だったな?」
「そうです。責任者は木崎という男です」
「神崎君、ニコニコ企画に行くぞ。沢村米子の身柄引き渡しを要求するんだ。すぐに沢村米子の逮捕状を取れ!」
「何の容疑で逮捕状を請求するのですか? それに私は沢村米子の件から外されたはずです」
神崎が言った。
「ゼニゲーバ商務長官暗殺未遂だ。いや、なんでも構わん。銃刀法違反でもいい。とにかく逮捕状を地裁に請求するんだ。私の名前を使ってもかまわん! 明日木崎という男に会いに行くから一緒に来い。君はゼニゲーバ暗殺の件で沢村米子と何回か顔を合わせているだろ」
阿南が言った。
「わかりました。アポを取ります」
神崎が言った。
17:30、米子は西新宿の事務所で吉祥寺のライブハウスの件の報告書を作成していた。
「明日の午後、公安部長の阿南と公安1課課長の神崎とういう男が訪ねてくる。このオフィスに来たいと言っていたが本部で会う事にした。要件は不明だがこの前ライブハウスで闇桜を殲滅した件の絡みだろうな。気になる事はあるか?」
木崎が言った。
「きっと私の事を探りに来るのだと思います。わざわざ向こうから来るなんてかなり焦ってますね。それと神崎さんは味方です。榊さん襲撃の件も今回の私を襲撃する闇桜の作戦も事前に教えてくれました」
米子が言った。
「その神崎という男に会えるは楽しみだな。こっちは東山管理官にも同席してもらう予定だ。東山管理官にはすべてを話してある。阿南が赤い狐と繋がっている事もな」
「それは心強いです」
米子が言った。
【内閣府別館6F内閣情報統括室第1応接室】
応接セットの奥のソファに阿南と神崎が座り、入り口側のソファに木崎が座っていた。
「警視公安部部長の阿南だ。隣の男は公安1課課長の神崎だ」
阿南が不機嫌そうに挨拶をした。
「内閣情報統括室特務課課長の木崎です」
木崎が軽く頭を下げた。
「特務課とは暗殺部隊か?」
阿南が訊いた。
「今日はどんな御用でしょうか?」
木崎が阿南の質問を無視して訊いた。木崎はかけがえのない部下である米子を殺そうとしている阿南に激しい怒りを感じていたがそれを押し殺していた。
「君の部下の沢村米子を引き渡して欲しい。地裁に逮捕状を請求している。すぐ発行されるだろう」
阿南がいきなり本題に入った。
「逮捕状? どんな罪状ですか?」
木崎が訊いた。
「ゼニゲーバ商務長官暗殺未遂及び銃刀法違反だ。逮捕して調べればまだまだ余罪もあるだろう」
「ゼニゲーバ? てっきり榊先生襲撃の件か吉祥寺の件かと思いました。それか笹塚の地下道の件かと」
木崎がカマをかけるように言った。
「何を言っている! いいから沢村米子を引渡せ!」
ドアがノックされて東山管理官が入室してきた。
「遅くなって申し訳ありません。管理官の東山です。室長の三枝が不在なので私が同席いたします」
東山が立ったまま挨拶すると木崎の隣に座った。阿南の顔に焦りの色が浮かんだ。管理官が来るとは思っていなかったのだ。東山管理官の役職は『参事官』で、公務員としては阿南の役職の『警視監』より低い地位である。しかし内閣情報統括室の管理官は他の省庁の局長クラスの権限があり、警視庁公安部部長より格が上とされている。そもそも内閣情報統括室は内閣直轄の組織で防衛省や警察庁より格上だった。霞ヶ関では役職よりも所属する組織の格が物を言うのだ。こうした役職の逆転現象は霞が関では往々にして起こる現象である。かつての大蔵省(現財務省)と他の省庁の関係がそうだった。
「いや、こっちは木崎課長で十分でして、西新宿の事務所でよかったのですが本部にお呼びいただき、管理官まで出て下さるなんて恐縮ですな」
阿南が言った。
「阿南部長が沢村の身柄を引き渡せとおっしゃってます。逮捕状を取るようです。罪状はゼニゲーバ商務長官の暗殺未遂と銃刀法違反だそうです」
木崎が東山に説明した。
「ほう、それは困りましたね。沢村君はたいへん優秀だと聞いています。うちにとっては貴重な戦力だ」
東山が言った。
「たしかに優秀ですが、ただの女子高生ですよ」
木崎がわざとらしく言った。
「何がただの女子高生だ! あんなバケモノを野放しにしておけるか! そもそもあんた達があんなバケモノみたいな女を造ったんだろ! 責任を取るべきだ! 謝罪をして欲しい! あの女は死神だ!!」
阿南が感情的になって叫ぶように言った。その姿は何かに怯えているようだった。
「バケモノ? 死神? いくら公安部の部長でも大事な部下を侮辱する事は許せない! あんたこそ謝れ!」
木崎が怒鳴るように言った。怒りを押し殺していた木崎も阿南の言いぐさに怒りのスイッチが入ったのだ。
「部長、地裁から電話です、ちょっと席を外します」
神崎がスマートフォンを手に取って立ち上がり、部屋を出て行った。
「阿南さん、近頃では赤い狐という外国の組織が暗躍してこの国の脅威になっているらしいですね。警察、特に公安には頑張って目を光らせて欲しいものだ」
東山が言った。
「何の話だ? 赤い狐は常に公安がマークしている。あなた達には関係ない」
阿南が言った。神崎が再び部屋に入って来てソファに座ると自分の口に手を当てて阿南の耳元に顔を近づけた。
「東京地裁が逮捕状の請求を却下しました」
神崎が囁くように言った。
「なんだと? ちゃんと私の名前で請求したのか!?」
阿南が驚いた顔をして言った。
「はい、部長の名前で請求しています。却下した裁判官が言うには『小田原公』の御触れには逆らえないとの事でした」
「なに? 小田原公? 榊の事か?」
「榊先生は法曹界にも顔が効きます。事情は分かりませんが榊先生から圧力が掛かったのではないでしょうか?」
神崎が言った。神崎は内心嬉しかった。自分の顔が笑顔になっていないか心配になった。
榊陣営は静かに、しかし確実に動いていた。内閣総理大臣に警視庁公安部の解体を迫ったが、米子の要望を踏まえてその実施は1年後という条件を出している。そしてニコニコ企画、とりわけ米子とミントを庇護するよう各界に御触れを出していた。
「クソ、あの死に損いのジジイが」
阿南が悔しそうに言った。
「どうやら逮捕状は取れないみたいですね。どうしても沢村の身柄を拘束したいのなら公安部長ではなく、西郷警察長長官に来ていただきたい。こちらも三枝室長が対応します。おっと失礼、西郷長官は榊先生の警護に不備があって更迭されたんですよね。新しい長官は大久保さんだったかな?」
東山がわざとらしく言った。
「どうせ沢村米子は袋の鼠だ。銃刀法違反の現行犯で身柄を拘束するまでだ」
阿南が言った。
「阿南さん、袋の鼠はあなたの方じゃないですか? しかも2重の袋に閉じ込められている。沢村米子という袋と榊良介という袋です。気を付けた方がいいですよ、うちの沢村はバケモノみたいに強いですから。いや、美しき死神ですかね?」
木崎が微かに微笑んで言った。神崎は必死に笑いを堪えたが肩が震えていた。木崎は神崎のそんな様子を興味深く見ていた。
「くだらん、帰るぞ!」
阿南が吐き捨てるように言って立ち上がったたがその顔は冷や汗が滲み、真っ青だった。
阿南と神崎は桜田門の警視庁本部庁舎までタクシーで帰ると部長室に入り、内線電話で公安2課課長の柳瀬を呼んだ。
「どうでしたか?」
柳瀬が訊いた。
「どうもこうもない。沢村米子にもっと監視をつけるんだ!」
阿南が不機嫌な顔で言った。
「しかし沢村米子は笹塚のマンションには帰ってないようです。他の場所に隠れているのでしょう」
柳瀬が言った。
「東京中の防犯カメラを使え! 見つけ次第射殺しろ!」
「闇桜は14人しか残ってません。残っているメンバーもモチベーションが下がってます。沢村米子に関わると命を落とすと噂になっています。沢村米子は死神だと」
柳瀬が言った。
「その死神を仕留めたら特別ボナースを出すとメンバーに伝えろ。とにかく早くあの女を始末するんだ! 神崎君も何か案を出せ! この中で実際に沢村米子に会って話した事があるのは君だけだ。何かいい案はないのか?」
「そういわれましても以前から申し上げてるように沢村米子の強さは規格外です。上司の木崎課長は普通の女子高生だと言ってましたが、どうなんでしょうね?」
神崎が言った。笑顔にならないように必死だった。
「君は何か楽しそうだな。普通の女子高生が公安の刑事を18人も血祭にあげるか! それも元SATとSPだぞ! まさに死神だ!」
阿南は怯えるように言った。
「沢村米子にはやり残している事があります」
神崎が低い声で言った。
「何だ?」
阿南が興味を示す。
「家族の復讐です。両親と弟を殺戮した実行犯2人の存在を教えましたがまだ復讐はしていないようです」
神崎が言った。
「その実行犯の実名や『やさ』(住所)は教えたのか?」
「いえ、まだ存在しか教えていません。実行犯の詳細を教える事を条件に沢村米子はゼニゲーバの暗殺を引き受けました。しかしヒントは与えましたので沢村米子ならすぐに突き止めるでしょう」
神崎は嘘をついた。米子には実行犯の詳細を記した書類を渡していた。神崎はこの偽情報を阿南に教える事で闇桜の動きをコントロールできると思った。闇桜は米子の家族を殺戮した実行犯に張り付くはずだ。その事を米子に伝えれば米子がまた罠を張ってくれると思ったのだ。
「なるほど。それは使えるな。あの女も今は警戒しているが、そのうち復讐に動き出すだろう。柳瀬君、沢村米子の捜索ではなく、その実行犯2人に監視をつけろ。今回はこっちが罠を仕掛けるんだ。今度こそ仕留めてやる。慎重にやるぞ」
阿南が言った。
「はい、早速監視を付けます。神崎課長、その2人の情報を教えて下さい」
柳瀬が言った。
『沢村君、ライブハウスの罠は上手くいったようだね。阿南はかなり焦っている。君の事を死神と呼んで恐れてもいる。そして君の復讐に罠を張ろうとしている。闇桜は君の復讐対象の2人を監視している。君が復讐を実行するところを襲うつもりだ。くれぐれも気を付けて動いてくれ。
闇夜のカラスより』
神崎は米子にメールを送った。
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