#12 帰る場所

朝の空気は澄んでいて、少し冷たかった。

学院の門を出て、クラリスとセシルは並んで歩いていた。

目的地は、セシルが最後に記憶している山――最上学年の記念旅行の下見で訪れた場所。


クラリスは登山用の軽装に身を包み、地図と記録魔道具を鞄に入れていた。

セシルは、いつも通りの姿だったが、足取りは軽い。


「まさか、クラリスから“生霊”なんて言葉が出るとはね」


セシルは、嬉しそうに笑った。


「生霊というのは、強い未練や感情が肉体から離れて、霊的な形で現れる現象でね。古くは“生きながらにして幽霊になる”とも言われていて、特定の相手にだけ見えることが多いんだ」


クラリスは、くすくすと笑った。


「セシル、いつも通りですね」

「うん。君が隣にいると、話したくなるんだ。オカルトでも、なんでも」


クラリスは、セシルの横顔をちらりと見た。

その表情は、どこか楽しげで、安心しているようにも見えた。


山道に入ると、空気が一段と冷たくなった。

木々の間から差し込む光が、落ち葉を照らしている。

クラリスは、セシルの記憶を頼りに、道を進んだ。


「ここで地図を広げていたって言ってましたね」

「そう。あのときは、引率の教師がいて、数人の生徒が……」


セシルの声が、少しだけ遠くなる。

彼の記憶が、風景と重なっていく。


「分岐があって、僕は……誰かの声を聞いた気がして、そっちへ向かった」


クラリスは、分岐点で立ち止まり、周囲を見渡した。

霧が出ていたという記憶。

今は晴れているが、地形は確かに複雑だった。


「この先ですね。道なき道を進んだとしたら……」


クラリスは、足元に注意しながら進んだ。

セシルは、彼女の後ろを歩いていたが、時折立ち止まっては、木々を見上げていた。


「この辺りで、足を滑らせた気がする」


セシルが呟いた。


「でも、落ちた記憶はない。ただ、そこで意識が途切れた」


クラリスは、斜面を慎重に下りながら、周囲を探った。

すると、少し開けた場所に出た。

そこには、踏みならされた痕跡があり、古びた登山靴の片方が落ちていた。


「……これ」


クラリスは、靴を拾い上げた。

サイズも、形も、セシルが履いていたものと一致する。


「ここで、何かがあったんですね」


セシルは、黙って頷いた。


そのとき、風が吹き抜け、遠くに煙が立ち上るのが見えた。

クラリスは、目を細めて確認する。


「煙……あれは、小屋の煙突?」

「誰かが住んでるのかも」


クラリスは、靴を鞄にしまい、足を速めた。

セシルも、少し驚いたように後を追う。


小屋は、木々に囲まれた場所にひっそりと建っていた。

煙突からは、細く煙が立ち上っている。

クラリスは、扉の前で深呼吸をしてから、ノックした。


「すみません。どなたかいらっしゃいますか?」


しばらくして、扉が開いた。

中から現れたのは、年配の男性だった。

髪は白く、顔には深い皺が刻まれている。

ぶっきらぼうな表情だったが、目は優しかった。


「……あんた、何の用だ?」


クラリスは、少し緊張しながら答えた。


「この辺りで、行方不明になった人を探しています。

銀髪で、紫の瞳。登山服を着ていたはずです。学院の生徒で、名前はセシル・ノクティスです」


男は、眉をひそめた。


「名前は知らん。けど……銀髪で、そんな目の若い男なら、うちにいる」


クラリスは、息を呑んだ。


「本当に……?」


「山で倒れてた。意識はなかったが、息はあった。医者にも診てもらったが、原因は分からん。ずっと眠ったままだ。身元も分からず、どうしたもんかと悩んでたところだ」


クラリスは、男の後について小屋の奥へ進んだ。

そこには、簡素なベッドがあり、セシルが横たわっていた。


顔色は悪くない。

呼吸も、穏やかだった。

ただ、瞼は閉じたまま、動かない。


クラリスは、振り返った。

セシル――“幽霊”の彼が、そこにいるはずだった。


だが、誰もいなかった。


「……消えた」


クラリスは、呟いた。

本体と近すぎると、影響があるのかもしれない。

いや、これは――


クラリスは、そっとセシルの手を握った。

冷たいけれど、確かにそこにある。


「早く起きてくれないと、一緒に踊れないじゃないですか」


その言葉に、セシルの指がぴくりと動いた。

クラリスは、息を止めて見つめる。


やがて、瞼がゆっくりと持ち上がり、紫の瞳がクラリスを捉えた。


「……おかえりなさい」


クラリスは、微笑んだ。

セシルは、掠れた声で、ただ一言だけ返した。


「……ただいま」

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