#10 生徒会長

生徒会室の窓から、午後の光が斜めに差し込んでいた。

机の上に広がる書類の白が、淡く金色に染まっている。

クラリスは、筆記魔道具の先を止めたまま、セシルの言葉を反芻していた。


「僕、幽霊なんだよね」


その一言が、部屋の空気を変えた。

静かすぎるほどの沈黙が、二人の間に落ちる。


「……そんなわけないでしょう」


クラリスは、ゆっくりと立ち上がった。

制服の裾が揺れ、椅子の脚が床を擦る音がやけに大きく響く。


「あなたは、いつもここにいる。私の隣に座って、話して、笑って……幽霊なんて、そんな……」


セシルは、窓辺から一歩だけ近づいた。

その動きは、風のように静かだった。


「クラリス。僕に話しかけた人、他にいた?」


クラリスは、言葉に詰まった。

思い返す。トイレの調査のときも、女子寮の事件のときも、食堂での対峙のときも――

誰も、セシルに目を向けていなかった。

彼の言葉に返事をしたのは、いつも自分だけだった。


「……それは……」


「君だけが、僕を見ている。君だけが、僕と話せる」


セシルの声は、優しくて、どこか遠くのもののようだった。


クラリスは、机の端に手を置いたまま、視線を落とした。

書類の文字が滲んで見える。

信じたくない。でも、心の奥で何かが崩れ始めていた。


「じゃあ、手を出して」

「……え?」

セシルの言葉に、クラリスは顔を上げた。


「君の手を、僕が取る。それで、確かめてみよう」

クラリスは、躊躇いながらも、そっと手を差し出した。

指先が震えていた。

セシルは、その手に向かって、ゆっくりと手を伸ばす。


――すり抜けた。


クラリスの指先には、何の感触もなかった。

セシルの手は、確かにそこにあったはずなのに。


「やっぱり。これじゃ、ダンスに誘えないや」


セシルは、少しだけ寂しそうに笑った。

その笑顔が、余計に胸を締めつける。


クラリスは、真っ青になった。

心臓が、ひゅっと縮こまるような感覚。

足元が、少し揺れた気がした。


「ごめんね。怖がらせたよね」


セシルの声は、静かに響いた。

その優しさが、逆に痛かった。


クラリスは、彼の顔を見つめた。

その表情を見て、自分がどんなに酷い顔をしているのかを考えた。


「……そんな顔、しないで」

セシルは、そっと言った。


「君が僕を見てくれることが、僕にとってどれだけ救いだったか、君は知らない」


クラリスは、唇を噛んだ。

胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「……じゃあ、セシルは……死んでしまっているの?」

その言葉は、震えていた。

でも、確かに口に出した。


セシルは、何も言わなかった。

ただ、静かにクラリスを見つめていた。


窓の外では、風が木々を揺らしていた。

その音だけが、二人の間を満たしていた。


クラリスは、椅子に腰を下ろし、机の端に肘をついた。

視線は書類の隅に落ちていたが、意識はセシルの言葉に縛られていた。


「死んでいるかもしれない……」


その可能性が、現実味を帯びて迫ってくる。

でも、彼はここにいる。

目の前で、声を発している。

その矛盾が、クラリスの中で渦を巻いていた。


「……でも、あなたはここにいる。私の目の前に」


「うん。それが、僕にも分からないんだ」


セシルは、窓辺に戻り、外を見つめた。


「僕が幽霊なのか、生霊なのか、それとも何か別の存在なのか。自分でも分からない。ただ、君が僕を見てくれる限り、僕はここにいる」


クラリスは、静かに息を吐いた。

その言葉が、少しだけ救いになった。


「……なら、もう少しだけ、あなたの話を聞かせて」


セシルは、振り返り、微笑んだ。


「ありがとう。君になら、話せる気がする」


その笑顔は、どこか懐かしくて、温かかった。

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