第4話
ブライズルームにつくと、椅子に腰かけていた吉子が立ち上がった。
「伊沙那ちゃん」
第一声を聞いて、ああ、吉子は幸せなのだなと伊沙那は理解した。
そう確信できるほど温もりのある、ふんわりとした声だった。
「吉子ちゃん、おめでとう。遊びにきちゃった」
ブライズルームの壁紙はクリーム色で、ガラスのテーブルには真紅の薔薇がこぼれそうなほどたっぷり飾られている。
布張りのソファーがあり、入って左手には壁を覆い尽くすような大きな姿見が設置されている。
部屋の奥は嵌め殺しのガラス窓になっていて、室内には潤沢に光が降り注いでいた。
吉子は美しかった、この世のものとは思われないほど。
「吉子ちゃん、本当に綺麗。今まで見た人の中で一番綺麗」
「ありがとう」
吉子はにっこり微笑んだ。
ウエディングドレス自体は、シンプルなデザインだった。
流れるようなシルエットで、裾にかけて緩やかに広がっている。
胸元と裾に銀糸で刺繍がなされており、レースが透けて繊細な陰影を生みだしていた。
髪はボリュームを持たせて大きく結い上げ、頭には銀のティアラ、胸元には真珠のネックレスをつけており、全体的によく調和がとれている。
吉子にしか持ちえない優しさと気品が、光の粒子となって彼女を包んでいる。
伊沙那は目を細めた。
すごい――結婚式とは、これほど美しいものなのか。
花婿のコメントを聞き忘れていたことに気づき、伊沙那は洋介を振り返った。
そして驚いた。
洋介は入ってきた場所から微動だにせず、凍りついたように棒立ちになっていた。
まるでマネキンのような、無機質な様子にぞっとする。
洋介が吉子を見る、その瞳。
不可解だった。これから共に結婚式を挙げる相手、神に愛を誓うはずの伴侶を見る目とは、とても思えない。
なぜなら、その目に色濃く刻まれていたのは、まぎれもなく恐怖だったから。
――どうして?
伊沙那は答えを求めるように吉子を見た。
吉子は洋介を見つめ、慈愛に満ちた聖母のように微笑んでいる。
洋介の瞳が物語るものを知っているのか、それとも異変に気づいていないのか。
洋介は一言も発さず、茫然と立ち尽くしたまま吉子を見つめている。
眉間は強張り、口元は引きつり、顔色は紙のように真っ白になっている。
その瞳は大きく見開かれ、やはり見間違えようもなく恐怖していた。
これは演技ではない。冗談でもない。
西浦洋介は妻である吉子を本気で、死ぬほど怖がっている。
この顔は、悲鳴を上げることもできないほど怯えている人間の顔だ。
なぜ、花婿が花嫁を恐れる必要がある?
伊沙那は自分に向かって問いかける。
無論、納得できる答えなど返ってくるはずもない。
異常な沈黙が室内に張り詰めていた。
「洋介さん」
この上なく優しい吉子の声に促され、洋介は弾かれたように顔を上げた。
「あ、ごめん。少しぼうっとしてた」
下手な言い訳で取り繕うさまは、先ほど伊沙那に見せた自信に満ち溢れた態度とは天と地ほど違っていた。
洋介は何度かわざとらしく咳払いすると、
「吉子、本当に綺麗だよ。とてもよく似合ってる」
月並みな台詞だったが、吉子は嬉しそうに「ありがとう」と応えた。
「それじゃ、俺はこれで失礼するよ」
そそくさと出ていく洋介に、吉子も特に引き留める様子もなく「ええ、後で」と穏和な笑みを向けた。
まるで逃げるように洋介が去ると、伊沙那は知らずに止めていた息を大きく吐き出した。
まだ頭が混乱して、思考が整理できずにいる。
――今のは一体、何だったの?
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