35 動き出す人々

 鼻を覆いたくなるきつい薬品の臭いが僕を出迎える。今は店の商品を見ている場合じゃなく、つい先程ここに入った男を追いかけなくてはならない。なんなら、棚の向こうで強い敵意を放っているのがわかる。嫌な予感が実現する前に、棚の裏へ向かうと――


「ちょっと! 何をやってるんですか!」


 僕は店員に伝わるよう声をあげ、男の手首をがっしりと掴む。彼はナイフを握っていて、棚に飾られたポーションへそれを振り下ろそうとしていた。幸い、スキルのおかげで単純な力は僕の方が上回っていたらしく、動きは完全に止まる。


「くそっ、なんて馬鹿力だ。放しやがれ!」

「しません! なんでこんなことを!」


 まだ両手を掴めていなかったせいで、相手の肘が僕の脇腹に激突する。が、ぐっと力を込めていたおかげでダメージはなく、僕の姿勢が崩れることはない。


「君たち、一体何事だ? なにをしている?」

「こいつがいきなり掴んできたんだよ!」


 店員らしき人物がやってきた途端、ナイフの男は態度を変える。それを言うなら、もう少し早い段階でナイフを手放すべきだったんじゃないか。現に、今の僕はナイフを持った人間を阻止しているように見えるし。


「彼が商品に切りかかろうとしていたので、こうなっています」


 念のため、僕の方から見た状況を説明しておく。店員の表情はより懐疑的になるが、これ以上言えることはないし、彼の判断を信じるしかない。

 だが、こうして腕を拘束したぐらいで様子を見ていたのが間違いだった。ナイフの男はぐるりと腰を捻り、脚を振り回して棚に陳列された瓶を落とそうと企む。

 咄嗟に相手の足元を払い、床へうつ伏せになるよう押し倒す。拘束の仕方なんて知らないが、とにかく動きが止まってほしい僕は、両手を使って手の動きを封じた。


「ちいっ、なんでまたこんな奴がここに……」

「お客さん、こりゃ一体どういうことなんだい!?」


 こっちが聞きたい。そう話すわけにはいかないので、困惑する店員へ簡単に説明しようとする。この瞬間、この時点での情報を整理して、どう伝えるべきか。

 このナイフの男は大した動きを見せないし、強そうな雰囲気もない。火事場泥棒にしては手慣れていないというか、店員がいるかもしれないのに、わざわざ店に押し入る時点で不自然だ。


「この人は店のポーションを破壊して、あなたを殺すつもりだったんです」

「はあ!? そこまでじゃねえ、ただ壊せって――」


 吐いたなこの野郎。適当に断定してみたらまんまと釣られたのを見るに、あまり目的意識がないのかも。わざわざ何をしに来たかを問いただす時間もないし興味もないので、強めに頭をはたいてみる。すぐに手の力が抜け、気を失った。


「殺すつもりはなかったのかもしれませんが、とにかくここの商品を狙っていたんだと思います。外の状況はご存じですか?」

「魔物が町に入ってきそうなのは知ってるが……」

「その通りです。騒ぎに乗じて悪さをする方が現れるかもしれないので、僕はこの人を騎士団支部に届けて、ここに騎士を配置するよう頼んできます」

「あ、ああ。わざわざすまないな」


 突然の出来事だったので仕方がないけど、店員さんもいまいち話を理解できていないような。いやいや、今は彼の理解を得ることよりも大事なことがある。一瞬考えて、何か情報がなかったかを振り返ってみよう。確か、ザーディスさんが治療薬で有名だって言っていたような。


「ここって、治療のポーションが有名なんですよね」

「そうだが、まだ何か?」


 不安半分、警戒半分といった表情。あまり考えてはいられないか。気絶したこの人も、おそらくは魔王軍の下っ端。強烈なスキルを持った人物を向かわせなかったから、多分ここの商品を破壊することはそれほど重要じゃないんだろう。


 魔王軍とやらの目的はこの町を陥落させること。1店舗に気を取られている場合ではないのはわかる。……いや、違うかもしれない。

 そもそもまともに戦える人であるなら、ここに人を派遣するよりこの町の偉い人を叩きにいった方がいいはず。ここを襲いに来たという時点で意味があると考えていい。


「表に出てる治療のポーション、全部買うといくらになりますか」

「さあ。金貨10枚もありゃお釣りがありそうだが」

「ここに金貨が10枚あります。これからお金がない人も怪我をすると思うので、その人たちの分を今僕が買ったことにしてくれませんか。これで、丁度です」

「……外で何が起こってる?」

「僕にもさっぱりですよ。大したことじゃなければいいんですけどね。あ、お釣りはいいです。よろしくお願いしますね!」


 店員に金貨10枚を握らせ、薬を、特に東区域の人に使ってもらうよう念押しする。気絶した男のナイフを僕の腰に差し、横たわった身体をひょいと担ぎ上げた。スキルが発動しているうちにと、全力で騎士団支部へと飛び出していく。少しでも怪我人が減ってくれと願いながら、店を後にした。


 自分1人で動き回るにも限界がある。とにかく今やるべきことは、どうにかして戦える人を町へ呼び戻すこと。外にいる魔物の攻勢が弱まるのは目に見えているが、大半の冒険者たちは町が襲われる可能性を知らない。


 どこかから煙たい臭いが漂ってくるのに気づき、僕は足を止めた。まさか、火事が。一体どこからと、煙が上がっている場所を探す。

 建物に遮られて、屋根の上にでも登らないと確認が難しい。かろうじて見えたのは……町の東の方からだった。


 なんてことを。怒りが心の底から湧き上がって来るものの、僕が今からそこに向かってできることはない。東門の方が近いだろうし、気づいた冒険者や騎士、いるのかわからない火消しに任せるしかない。


 地面を踏みしめる力が強くなる。僕の仕事とは。役割とは。無力感を踏み潰すような荒々しい足取りで、一心不乱に騎士団支部へと辿り着いた。

 人を担いている僕のことを気にも留めず、何人かの高そうな鎧を着た人が建物から外に出ていくのが見える。纏う雰囲気が違うのを見るに、王都の騎士っていうのはこの人たちか。


「すみません! どなたかいらっしゃいますか!」


 扉を開けながら、声を張り上げる。緊急事態だからか、受付らしき場所に人はいない。先ほど出ていった人で、中に居る騎士はいなくなったのかも。

 よく考えれば、僕より事態を把握している可能性が完全に抜け落ちていた。いやしかし、ポーションの店には人員がいなかったじゃないか。主要な施設や復興の役に立つ施設を把握していているのは騎士の方。人を出せない事情があるのか。


 誰か、誰か来てくれ。階段を下りる足音がする。この下りてきた人に事情を全て伝えよう。邪魔しにきたわけじゃないんだから。


「……チヨリさん? まさか、何か新しい事件があったの?」


 大当たりを引いた。知り合いで地位の高そうなソフィアさん。僕は担いだ人を脇に下ろし、できるだけ情報を簡潔に伝えるべく頭を回す。


「手短に言います。住民にとって重要な施設が、魔王軍に襲われ始めるかもしれません。この人は中央のポーション屋を狙っていたようです。騎士の方に対応をお願いしたくて」

「わかったわ。ごめんなさいね、襲撃の対応で本当に時間がないの。私はそれを伝えに戻るから、この人の対応は他の騎士にお願いするわね。チヨリさんも無理しないようにしてちょうだい。私も頑張るから、騎士団に任せて」

「……はい。お邪魔してしまいすみません、すぐ出ますね」


 時間がない、か。状況はよくないのかも。ソフィアさんに礼を言って、すぐに騎士団から出ていく。より騒がしくなってきた町の中で、状況は刻一刻と変わっていくのを感じていた。

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