十六

 ちょうど同じ頃、ジヨンはサキを抱え、〈ウミホタル〉の緊急修復施設を訪れたところだった。施設には二つの修復ポッドがあった。

 サキを片方のポッドに寝かせ、ジヨンは指示に従ってスイッチを押した。

 サキはありがとうと言って眠りについた。

 これで、数時間後にはサキの身体は完全に修復されるだろう。

「ふう」

 ジヨンは大きく息を吐いた。ここまで緊張する瞬間ばかりで、息をつく暇すらなかった。

 サキの言ったとおり、〈ウミホタル〉は、近づいても、降下してもすでに人っ子ひとりおらず、静寂があたりを支配していた。

 妙だ、とジヨンは不穏な気配を感じてはいたが、まずは緊急修復施設を探すのが先だったので、いったんそれを見つけてサキを預けた。

 念のため、他の人物が入って来られないように簡易ロックをかけておく。これにより、ジヨンが設定した暗証番号を知る者以外は外から開けることができなくなった。仮にジヨンが何か事故があったとしても、中からは開けられるので、修復が完了したサキは外に出ることができる。

 いくら制圧が完了したとはいえ、数名は何かあったときのために普通は残していくはずだった。運用上そういう決まりになっているし、それをアカネもユキナも知らないはずはない。仮にアカネが知らなくてもユキナが止めるはずだった。

 それに、仮に全員で突撃することになったとしても、「全員」がそうするとは限らない。特に、第二部隊も含めた混成部隊でこのように運用上の決まりとは別の命令をしているときは、「全員」が指示に従うことの方が珍しい。

 だから、〈ウミホタル〉にひとりの【V】すらもいないのは、他に理由があるだろうとジヨンは考えたのであった。

 はたして、その理由は〈ウミホタル〉から【南東京詰所サウス・トウキョウ・ステーション】へと繋がる【東南連絡坑シン・アクアライン】の入り口にあった。

 隔壁に埋まった【竜】の死体、そして、数名の【V】の死体と共に、イノマタ・ミクリが座り込んでいた。

 ミクリはジヨンに気づく。

「あー、ジヨンさんじゃないすか」

 かれは気さくに話しかけた。

 付近で倒れている【V】は、明らかに何者かに殺されている。そして、ミクリの周囲に、放射状に倒れていた。

「これ、ミクリがやったの?」

 ジヨンの声はびっくりするほど温度がなかった。

「そっすよ。

 ――ジヨンさん、そんな冷たい声出せるんすね。あーし、ゾクゾクしてきちゃいました」

 ジヨンは思い出したようにミクリの首元を見る。そこには、灰色の【活竜装リバース】が埋まっていた。

「ジヨンさん、あーしが同性愛者ビアンなの知ってますよね?」

「ええ」

「あーし、ジヨンさん好きっす」

 ミクリは槍斧ポールアクスを取り出して、ジヨンに笑いかけた。

「そう、なんとなくわかってた。ごめんなさい。私は異性愛者ストレートよ」

「もちろん知ってますよ。でも、この状況なら、そう言わなきゃなんねーって、そう思ったんす」

「なんで?」

「見てわからないすか?」

 ミクリは、目の前に倒れている【V】の死体たちを槍斧で指し示した。

「こいつら、あーしがやったんすよ。あーしが受けた命令は、『ここを通ろうとする【V】と【竜】を全て始末せよ』なんで」

「――それが、第零部隊の任務ってこと?」

「そうっす。ミズタニ部隊長タイチョーの指示っす。

 ――もちろん、ジヨンさんもここ通るなら、例外はないっす」

 ミクリの目は極めて落ち着いていた。

「本当に例外はないの?」

「ないっす」

「あなたが見なかったことにしたら?」

「無理っす。そしたらジヨンさんがもっと酷い目に遭うっす。あーしはそうなるの嫌っす」

「じゃあどうすればいいの?」

「ほんとにわかんないんすか?」

 ミクリは槍斧を地面に突き刺し、しなだれかかりながらジヨンを見つめた。

「あーしとジヨンさんは戦うしかないんすよ。ここで、死ぬまで、ふたりきりで」

 ジヨンは寒気を覚えた。

 気さくで、器用で、頼りになるミクリが、敵として今、前に立ちはだかっている。

 これほど恐ろしいことは経験していないような気すらした。

「じゃあ、空から逃げるわ」

「できるとおもってんすか? 閣下が、空になんも配備してないって本気で思ってます?」

 ミクリはぎろりとジヨンを見つめたまま、笑顔を崩さない。

「どういうこと? 【詰所】に【竜】でもいるってこと?」

「違いますよ。閣下は、もう【V】なんかいらないって、思ってるんす」

「は?」

 ジヨンは耳を疑った。

「じゃなきゃ、こんなボロボロの状態で特攻トッコーなんかさせないっすよ。戦力が少ないのは何のことはない、閣下が共倒れを狙ってるからなんすよ」

「どういうこと?」

「よく考えてくださいジヨンさん。あーしらは、【耐竜装フォース】から出せる武器だけが【竜】に効くと教わってきたし、実際そうだった。【竜】には何の火器も効かねえってそう教えられましたよね?」

「ええ――まさか、それが嘘だとでもいうの?」

 ジヨンはミクリに詰め寄った。

「嘘ではないんすよ。だけど、よく考えてください。例えば、【竜】に飛び道具って効かないっすか?」

「効くわ。ユキナのボウガンは、【竜】に効果がある」

 実際、ユキナはそうして多くの【竜】を葬ってきた。

 ――まさか。

「【耐竜装】で生み出された弾丸を使えば、【竜】と【V】の両方に効果がある火器を作れるってこと?」

「あたりっす。さすがジヨンさんっすね。

 ――そこまでわかってんなら、あーしが言いたいこともわかりますよね?」

 ミクリは空を見上げた。

「【詰所】にもそれが配備されているということね」

「そうっす。ジヨンさんが【詰所】にまっすぐ飛んでいったらハチノスになっちまいますよ。別にジヨンさんじゃなくたって、前部隊長ボスですら弾幕張られたら避けようがないっす。あんなんどんなヤツでも抜けようがないっす」

 ミクリは苦笑する。

「どれだけの配備があるか知ってるのね」

「まあ、そりゃ、そういうことなんで」

 ミクリは槍斧ポールアクスを構えた。

 ミクリの身長よりずっと長い柄のそれは、ミクリが【東南連絡坑シン・アクア・ライン】の中央に立てば坑内のほぼ全ての場所に攻撃が届くほどであった。

「ジヨンさん、ひとつお願いがあるんすけど、いいっすか?」

「何?」

 ジヨンも旋棍トンファーを構えた。

「あーし、伍長昇格から十期経ってなかったから、討伐数が百いってても称号もらえなかったんすよ。あーし実は百五十くらいぶっ倒してんす。なんでそんな頑張ったかっていうと、あーしは、ただ称号が欲しかったんす。んで、ずっと前から称号はジヨンさんにつけて貰おうと思ってたんすよ」

「私の称号も、あなたに付けてもらった」

「そうっすよ、部隊長タイチョーはセンスないから、とかひどいこと言って、ジヨンさんが困った顔してたからあーしが付けたんすよ。

 ――だからね、ジヨンさん、あーしに、今称号を付けて欲しいんすよ」

「――でも、あなたはもう戦死している扱いだし、私を倒して帰ってもその称号はもらえない。それでもいいの?」

「いいに決まってんじゃないっすか! もし生きていて他の誰かに称号付けさせられるより、あーしはジヨンさんに付けてもらいたかったんすから。それが別に正しい称号である必要なんかないんすよ。もう、称号付きの名前で呼ばれることはないんすから。

 ――それに、あーしはここで死んだらそれはそれで本望なんで」

 ミクリは小さくつけ加えた。

「――そう」

 ジヨンは、冷静にそう言った。

「実は、あなたに称号をつけて欲しいと言われるだろうと思って、ずっと考えていた。

 ――尖った風、【尖風センプウ】のミクリ。これでどう?」

 ジヨンの出した称号に、ミクリは顔を輝かせた。

「すげー! めちゃめちゃかっけー! さすがジヨンさん! あーし、【尖風センプウ】って称号、死んでも大事にします!」

 ミクリはそう言って、表情を変えた。

 ジヨンは戦慄した。ミクリの顔は、【竜】に相対するときの顔そのものだったからだ。

「んじゃ、覚悟はいいっすか、ジヨンさん?

 ――お互い、命を賭けた真剣勝負デスマッチ、いきますよ! あーし、ジヨンさん相手だったら絶対ゼッテー手加減しませんし、負けるつもり一切ないっすから!」

 ミクリは気迫を込めた声でそう言うと、槍斧を振りかざし、ジヨンへ距離を詰めた。

 ジヨンの両手に自然に力がこもった。

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